子役から舞台を中心に活動を始めると、戦後は映画界へ転身して、コミカルな演技で名脇役として活躍し、特におばあちゃん役で親しまれた、堺駿二(さかい しゅんじ)さん。
そんな堺駿二さんは、プライベートでは、結婚を2回、死別を1回しているといいます。
今回は、堺駿二さんの、前妻(最初の妻)幹千代子(三浦たま子)さん、再婚相手(2番目の妻)、次男の堺正章さんほか子供について、ご紹介します。

「【画像】堺駿二(堺正章の父親)の若い頃(子役時代)から死去までの経歴は?」からの続き
堺駿二の前妻(最初の妻)は幹千代子(三浦たま子)
堺駿二さんは、早川雪洲さんの内弟子時代(1933年頃)に、「松竹少女歌劇団」の新人ダンサーだった幹千代子(芸名・三浦たま子)さんと結婚しています。
堺駿二さんと幹千代子さんの馴れ初めは不明ですが、幹千代子さんは、「桃色争議」の煽(あお)りを受け、「松竹少女歌劇団」を離れることになったそうで、堺駿二さんは、そんな幹千代子さんを見て同情し、その後、同情が恋に変わって結婚に至ったといいます。
(「桃色争議」とは、「ターキー争議」とも言われ、「松竹」と「松竹少女歌劇団」の間に起こった労働争議のことで、「松竹少女歌劇団」のスターだった水の江瀧子さんが先頭に立ち、「松竹少女歌劇団」の待遇改善を求めた事件)
ちなみに、幹千代子さんは、紙問屋の娘として誕生すると、令嬢として育ち、「松竹少女歌劇団」には、応募者1000人中、合格者30人という狭き門を、見事、突破して合格したそうですが、
堺駿二さんと結婚後は、夫・堺駿二さんをサポートするため家庭に入ると、その後、芸能界には復帰することなく、1964年に病死されたそうです。
堺駿二の再婚相手(2番目の妻)は?
堺駿二さんは、幹千代子(三浦たま子)さんが亡くなった3年後の1967年には、お見合いで知り合ったという、柳子(りゅうこ)さんという女性と再婚しています。
しかし、堺駿二さんは、結婚からわずか1年半後の1968年8月10日、脳出血で急死しており、
柳子さんは、突然の訃報に接し、
もっと長く舞台が続けられれば良かったのですが、舞台人が舞台で死んだのですから、本人としては満足だったでしょう
と、気丈に答えていたといいます。
(とはいえ、柳子さんは、夫の突然の死にふさぎ込んでいたそうです)
そんな中、堺駿二さんの次男の堺正章さんが、埼玉県内の一戸建てに住んでいた柳子さんに、東京で一緒に暮らすよう持ちかけたそうで、
堺正章さんは、1970年代に渋谷区に2世帯住宅を建てると、そこで柳子さんと同居し、2014年には、柳子さんを実母のように介護をしていることが報道されています。
堺駿二の子供は息子・堺正章ほか3人
堺駿二さんは、前妻(最初の妻)幹千代子(三浦たま子)さんとの間に、
- 1938年には、長女・由紀子さん
- 1939年には、長男・正雄さん
- (不明)次女
- 1946年には、次男・堺正章さん
と、娘2人、息子2人の、合計4人の子供が誕生しているそうですが、
堺正章さん以外は、芸能関係者でないことから詳細は不明です。

ちなみに、堺駿二さんの次男・堺正章さんは、父・堺駿二さんの影響で、5歳から子役として活動を始め、1962年、16歳の時には、田邊昭知さん(現・「田辺エージェンシー」会長)率いるグループサウンズバンド「ザ・スパイダース」に加入し、井上順さんと共にボーカルを担当すると、1966年には、ソロでボーカルを担当したシングル「夕陽が泣いている」が公称120万枚を売り上げる大ヒットを記録し、たちまちブレイクを果たしているのですが、
堺駿二さんは、堺正章さんが「ザ・スパイダース」で活躍する姿を見ることを、何よりも楽しみにしていたといいます。

舞台で共演する堺正章さん(左)と堺駿二さん(右)。
さて、いかがでしたでしょうか。
堺駿二さんの、
- 【画像】堺駿二(堺正章の父親)の若い頃(子役時代)から死去までの経歴は?
- 堺駿二のプロフィール
- 堺駿二の本名は?芸名の由来は?
- 堺駿二は11歳の時に新派の伊村義雄の一座に入門していた
- 堺駿二は18歳の時に早川雪洲に弟子入りを許されていた
- 堺駿二は早川雪洲のアドバイスで喜劇俳優に転身していた
- 堺駿二は23歳頃に「ヤパンモカル劇団」に入団し清水金一とのコンビで人気を博していた
- 堺駿二は27歳の時に清水金一が映画界へ移籍したことで舞台の仕事を失っていた
- 堺駿二は29歳の時に吉本興業で再び清水金一と組み「新生喜劇座」を結成し全国的な人気を博していた
- 堺駿二は30歳の時に田崎潤と共に「新生喜劇座」を脱退し「劇団たんぽぽ」に加入していた
- 堺駿二は33歳の時に「松竹大船」に入社し短編映画「破られた手風琴」で主演
- 堺駿二は42歳~51歳頃には喜劇映画のブームに乗りおばあちゃん役で人気を博していた
- 堺駿二の死因は?
- 堺駿二(堺正章の父)の前妻は幹千代子(堺正章の母)!再婚相手は?他の子供は?
- 堺駿二の前妻(最初の妻)は幹千代子(三浦たま子)
- 堺駿二の再婚相手(2番目の妻)は?
- 堺駿二の子供は4人(娘2人息子2人)
について、ご紹介しました。
舞台で台詞を言い終え、舞台袖に下がった瞬間に倒れて亡くなるも、周りの俳優が芝居中のアドリブだと思って、舞台を続行し、観客も気づかないという、まさに最後の最後まで役者として生きた堺駿二さん。
この機会に、そんな堺駿二さんの作品をご覧になってはいかがでしょうか。
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11歳で新派・伊村義雄さんの一座に入門し、18歳の時には100日間通い詰めて早川雪洲さんに弟子入りを許されると、やがて、喜劇俳優として頭角を現し、その後、清水金一さんとのコンビで全国的な人気を博した、堺駿二(さかい しゅんじ)さん。 今回は、堺駿二さんの、生い立ち(子役時代)、若い頃から他界されるまでの経歴を時系列でご紹介します。









