外交官を目指して慶応大学仏文科に入学するも、授業にはあまり出席せず、町道場などで柔道や合気道の稽古ばかりに励んでいたことから、外交官試験には失敗してしまったという、夏八木勲(なつやぎ いさお)さんですが、その後、俳優修業を経て、「骨までしゃぶる」で映画デビューすると、ジャパンアクションクラブ(JAC)で千葉真一さんと体を鍛えられていたこともあったといいます。
「夏八木勲は昔外交官志望も「骨までしゃぶる」で映画デビュー!」からの続き
「東映」を退社
外交官試験には失敗するも、その後、「文学座」の研究所で1年、「俳優座」の養成所で3年俳優修業をすると、1966年には、「骨までしゃぶる」で映画デビューした夏八木さんは、以降、
1967年「あゝ同期の桜」
「十一人の侍」
1968年「忍びの卍」
「あゝ同期の桜」より。鶴田浩二さん(左)と夏八木さん(右)。
と、立て続けに映画に出演し、俳優としてのキャリアを積んだのですが・・・
当時、京都はローカルな場所で、東京に比べて映画館も少なく、そのうえ、封切りも東京に比べて一ヶ月ほど遅かったほか、東京にいた養成所の仲間たちが小さい劇団を独自に作って活動を始めたことを聞いても、観に行くこともできなかったことから、そんな京都での生活にフラストレーションがたまっていったそうで、
そんな時に、加藤泰監督から映画「懲役十八年」に出ないかと誘われるも、「もう、東京に帰ります」と断り、デビューから数年も経たない、1968年に「東映」を退社してしまいます。
ただ、夏八木さんは、晩年、インタビューで、
新人といっても、僕は二十七歳。とうが立って、可愛げもない・・・そんな男なのに、東映は売り出してくれた。しかも、加藤監督から直接いただいたお話だったのに・・・(「懲役十八年」のこと)
当時のことを思うと・・・本当に無礼だったなと悔恨の情が今でもどんどん出てきます。
と、声をつまらせて泣きながら、振り返っておられます。
「戦国自衛隊」では千葉真一に劣らぬ筋肉
さて、こうして、東京へ戻った夏八木さんは、三島由紀夫さん主宰の劇団「浪蔓劇場」に参加すると、以降、アクション映画、刑事ドラマ、時代劇、やくざ映画など幅広く出演。
1978年には、「野性の証明」
1979年には、「白昼の死角」「戦国自衛隊」
1980年には、「復活の日」
「白昼の死角」より。(左から)中尾彬さん、夏八木さん、竜崎勝さん。
「戦国自衛隊」より。夏八木さん(左)と千葉真一さん(右)。
と、角川映画にも出演すると、「戦国自衛隊」では、共演者の千葉真一さんに負けない筋肉美を披露しつつ、野性味あふれる演技で強烈なインパクトを残されています。
「ジャパンアクションクラブ(JAC)」で千葉真一と共に汗を流していた
実は、千葉さんによると、夏八木さんと千葉さんは、1967年のテレビドラマ「あゝ同期の桜」での共演で知り合うと、ほどなくして、食事をしたりお酒を飲むなど、親しい仲になったそうで、
静岡県御殿場で行われた、1年に及んだ「戦国自衛隊」のロケでは、出演者らが皆バスで10キロ離れた宿に帰って入浴し、明日に備えている中、夏八木さんと千葉さんの2人だけは、ロケ現場から走って帰り、身体を鍛える毎日を送られていたのだとか。
そして、夏八木さんは、「戦国自衛隊」のロケがきっかけで、千葉さんが主宰する「ジャパンアクションクラブ(JAC)」に入部し、千葉さんと一緒に汗を流されたそうで、
千葉さんのやってるトレーニングを、いちいち、「これはどうやるんだ」と聞いては、とても熱心に身体を鍛えられたのだそうです。