小悪魔的な魅力でたちまち絶大な人気を博すも、人気絶頂だった20歳の時、突然、仕事をすべてキャンセルし、フランスに渡った、加賀まりこ(かが まりこ)さん。しばらくは、現地の映画人と交流するなど、自由気ままなフランス生活を謳歌されていたのですが、一本の国際電話がかかってきたことから帰国されます。

「加賀まりこの若い頃は人気絶頂時に活動休止しフランスに渡っていた!」からの続き

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浅利慶太から「劇団四季」の舞台「オンディーヌ」への出演依頼

存分にフランス生活を謳歌していた加賀さんですが、やがて、日本から持ってきたお金も尽きたそうで、ちょうどそんな頃、「劇団四季」浅利慶太さんから、一本の国際電話がかかってきたそうです。

そして、その用件というのは、舞台「オンディーヌ」への出演依頼だったそうですが、そもそも、加賀さんは、仕事を辞めるつもりでパリに来ていたことから、浅利さんには待ってもらい、家族に相談の電話をされたそうですが、

電話に出た演劇好きなお姉さんは、

あなたにできるわけないでしょ。男性だったらハムレットくらい大変な役。

と、言ったそうで、

この一言に、かえって加賀さんは負けん気の強さをくすぐられ、

よし、やってやろうじゃないの!

と、舞台出演を承諾されたのでした。

舞台「オンディーヌ」に出演しながら養成所で芝居を勉強していた

こうして、帰国後の1965年、日生劇場で舞台「オンディーヌ」に出演された加賀さんですが、どう頑張っても、喉(のど)からしか声が出せず、演技もどうしようもないことを痛感したそうで、

映画の世界とは違い、全身が客の前にさらされる。声も客席の端まで届かなければならない・・・

とのプレッシャーから、一から芝居を勉強しようと、浅利さんにお願いして、舞台公演をこなしながら「劇団四季」の養成所へと通い始めたそうで、

そんな努力が実ったのか、舞台は連日大入りの大盛況で、日生劇場始まって以来の大成功となったそうで、加賀さんは、この舞台で初めて女優としての喜びを知り、以降、女優業に本腰を入れるようになったのだそうです。(結局、養成所へは丸2年通われたそうです)


劇団四季第34回公演「オンディーヌ」より。北大路欣也さんと加賀さん。

ちなみに、加賀さんは、当時を振り返り、

チケット代をもらっているのに失礼ですけど、「オンディーヌ」の上演中だったから、教室で教わったことを夜に実践していました。21歳の若さで毎日レッスンと本番をやったのは、本当に身につきましたね。

と、おっしゃっていました。

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川端康成と?

そんな加賀さんは、1965年、川端康成さん原作の小説を映画化した「美しさと哀しみと」で、レズビアンの坂見けい子役を演じられているのですが、


「美しさと哀しみと」より。八千草薫さんと加賀さん。

川端さんは、加賀さんのリハーサルの演技を見て、

私がまるで加賀まりこさんのために書いたやうな、ほかの女優は考へられないやうな、主演のまりこがそこに現はれた。

と、加賀さんを絶賛し、

そのうち、料亭旅館で朝ごはんを一緒に食べるようになるなど、親密になっていき、加賀さんを見るため、100人しか入らないような小さな芝居小屋にも来るようになったそうですが、

加賀さんはというと、

大物扱いしないから、彼は私と付き合うのが楽だったんだと思う。

と、当時の川端さんの心境に思いを馳せながらも、

そのときはもう(川端さんが)おじいちゃんだったから、そういう対象ではなかった。夜は夜で(自分が)いろいろモテるから、おじいさんに時間を割いてあげるのは朝しかなかった。

と、肉体関係を否定しつつ、上から目線であっけらかんと明かされていました♪

「加賀まりこのデビューからの出演ドラマ映画を画像で!写真集も!」に続く

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