1959年、24歳の時、「パパ起きてちょうだい」で脚本家デビューして以来、60年以上もの間、「前略おふくろ様」「大都会 闘いの日々」「北の国から」「やすらぎの郷」ほか、数々の作品の脚本をてがけてこられた、倉本聰(くらもと そう)さん。今回は、そんな倉本さんの脚本作品を画像を交えてご紹介します。
「倉本聰の「北の国から」は自身の体験が反映されたものだった!」からの続き
脚本作品(映画)
それでは、ここで、倉本さんのデビューからの主な脚本作品をご紹介しましょう。
映画では、
1963年「現代っ子」※弘田功治さんと共同
1964年「月曜日のユカ」※斎藤耕一さんと共同
「くノ一忍法」
「くノ一化粧」
1965年「北国の街」
「月曜日のユカ」より。加賀まりこさん(左)。
1966年「旗本やくざ」
「涙くんさようなら」
「遥かなる慕情 星のフラメンコ」
「おゆきさん」
「帰ってきた狼」
「涙になりたい」
1967年「北国の旅情」
「陽のあたる坂道」
「君が青春のとき」
「ザ・スパイダースのゴーゴー・向う見ず作戦」
「ザ・スパイダースの大進撃」
「陽のあたる坂道」より。(左から)北原三枝さん、芦川いづみさん、石原裕次郎さん。
1968年「昭和元禄 TOKYO196X年」
1969年「青春の鐘」
1971年「君は海を見たか」
1978年「ブルークリスマス」
「冬の華」
1981年「駅 STATION」
1986年「時計 Adieu l’Hiver」
1988年「海へ~See you~」
「時計 Adieu l’Hiver」より。中嶋朋子さん。
脚本作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
1975年「前略おふくろ様」
1976年「大都会 闘いの日々」
1977年「あにき」
1978年「七人の刑事」
1979年「たとえば、愛」
「あにき」より。高倉健さん。
1980年「さよならお竜さん」
1981年「北の国から」
1982年「ガラスの知恵の輪」
1983年「波の盆」
1984年「昨日、悲別で」
「昨日、悲別で」より。石田えりさんと天宮良さん。
1986年「ライスカレー」
1987年「秋のシナリオ」
1989年「親父の一番長い日」
1990年「失われた時の流れを」
1991年「ガラス細工の家」
「ガラス細工の家」より。熊谷俊哉さんと岸田今日子さん。
1997年「町」
1999年「もう呼ぶな、海!」
2003年「川、いつか海へ 6つの愛の物語」第3話・第6話
2004年「あゝ離婚式」
2005年「優しい時間」
「祇園囃子」
2007年「拝啓、父上様」
2008年「風のガーデン」
2010年「歸國」
2012年「學」
2014年「おやじの背中」第3話
2017年「やすらぎの郷」
2019年「やすらぎの刻~道」
「風のガーデン」より。神木隆之介さん(左)と中井貴一さん(右)。
ほか、数多くの作品を執筆されています。
受賞・受章歴
そんな倉本さんは、
1976年には、「前略おふくろ様」で「ゴールデンアロー賞」「毎日芸術賞」「第27回芸術選奨文部大臣賞」
1982年には、「北の国から」で「山本有三記念路傍の石文学賞」
1986年には、「山路ふみ子文化財団特別賞」
1987年には、「北の国から ’87初恋(小説版)」で「小学館文学賞」
2002年には、「北の国から 2002遺言」で「第21回向田邦子賞」
「北の国から 2002遺言」より。内田有紀さんと吉岡秀隆さん。
と、数多くの賞を受賞されているほか、
2000年には「紫綬褒章」、2010年には「旭日小綬章」も受章されています。
「倉本聰が二宮和也を絶賛し寺尾聰を使わなくなった理由とは?」に続く