1976年、山口百恵さんに提供した「横須賀ストーリー」が大ヒットとなり、作詞家としてブレイクした、阿木燿子(あき ようこ)さんは、1978年にも、山口さんに提供した「プレイバック part2」が大ヒットとなります。

「阿木燿子&宇崎竜童夫妻と山口百恵&三浦友和夫妻は現在も親交!」からの続き

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山口百恵に提供した「プレイバック part2」が大ヒット

1976年、山口百恵さんに提供した「横須賀ストーリー」が大ヒットとなった、阿木燿子さん&宇崎竜童さん夫妻は、その後も、山口さんが引退する1980年まで、

夢先案内人」(1977)、「イミテーション・ゴールド」(1977)、「プレイバック part2」(1978)、「しなやかに歌って」(1979)、「ロックンロール・ウィドウ」(1980)、「さよならの向こう側」(1980)等ヒット曲を含む全78曲もの楽曲を提供し、山口さんの黄金時代を支えているのですが、

中でも、1978年に提供したシングル「プレイバック part2」(5月1日発売)は、66万枚を売り上げる大ヒットを記録。”馬鹿にしないでよ”の台詞が大流行しています。


プレイバック part2

「馬鹿にしないでよ!」の歌詞は阿木燿子の本音だった

実は、この「プレイバック part2」、阿木さんは、プロデューサーの酒井政利さんより、タイトルは「プレイバック」、イメージは「キュルキュルとテープが戻るような感じ」とあらかじめ決められた中で作詞を依頼されたそうですが、

さらに、酒井さんからは、翌日にはレコーディングしないとプレスに間に合わないという状況で、まだ何か物足りないと、出来上がっている曲をレコーディングぎりぎりまで何度も何度も作り直しさせられたそうで、その時の阿木さんの本音「馬鹿にしないでよ!」がそのまま歌詞に反映されたのだそうです(笑)

また、「プレイバックPart2」は、何度も書き直しをさせられたことから、遊び心で「Part2」と名付けたのだそうです。

(ちなみに、酒井さんは、宇崎竜童さんと馬飼野康二さん両者に作曲を依頼し、結果、宇崎さんのほうを採用しているのですが、同時進行で作られた「プレイバックPart1」(馬飼野康二さん作曲ヴァージョン)は、「プレイバックPart2」の翌月に発売されたアルバム「THE BEST プレイバック」(1978年6月21日発売)に収録されており、シングルカットはされていません)

「プレイバックPart2」は沢田研二の大ヒット曲「勝手にしやがれ」のアンサーソングだった

また、この「プレイバック part2」の2番の歌詞の中には、

勝手にしやがれ 出ていくんだろ これは昨日のあなたの台詞 強がりばかり言ってたけれど本当はとても淋しがり屋よ

と、あるのですが、

これは、沢田研二さんの大ヒット曲「勝手にしやがれ」(1977年5月21日発売)のアンサーソングとなっているそうで、

「勝手にしやがれ」の歌詞の中にある、

寝たふりしてる間に、出ていってくれ

と、言われ、出ていった女性のその後を、女性の視点で書いたものだそうです。

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「プレイバックPart2」は阿久悠に叩きつけた挑戦状だった?

ちなみに、なぜ、阿木さんが、作詞・阿久悠さん、作曲・大野克夫さんの、「勝手にしやがれ」のアンサーソングを書こうと思ったのかは不明ですが、

国民的大ヒットソングのビッグタイトルを大胆にも歌詞に引用し、ケンカを売ったようなこのセリフは、作詞に追い込まれながらも、阿木さんが、当時、歌謡界のトップクリエイターとして王座に君臨していた阿久さんに叩きつけた挑戦状だったのではないかと考えられています。

(当時の歌謡界は、阿久さんが不動のトップに君臨し、その下に、阿木さんなどの若いクリエイターたちが取り巻く形でしのぎを削っている状態だったそうです)

「阿木燿子のデビューからの作詞作品を画像で!」に続く


「プレイバックPart2」(タップでyoutube)

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