1年目は江夏豊投手のトレード話を食い止めるも、2年目には、受け入れざるを得なかったという、吉田義男(よしだ よしお)さんですが、江夏さんに自らトレード話をしなかったことをずっと後悔しているといいます。

「吉田義男は阪神監督第1期では江夏豊の残留を球団に申し入れていた!」からの続き

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開幕当初は江夏豊も意地を見せていたが・・・

阪神球団からは、江夏豊投手をトレードする旨伝えられるも、吉田さんが残留を申し入れると、江夏さんは、見事、期待に応えて、開幕戦を完投勝利し吉田さんに監督初勝利をプレゼントしてくれ、

4月20日の巨人戦(後楽園)でも、ライバルの堀内恒夫投手と通算149勝同士で投げ合い、8回までノーヒットに抑える力投で150勝目を挙げる活躍を見せたそうですが・・・

今度は江夏豊のトレードに同意せざるを得なかった

7月26日の川崎球場での大洋戦では、5回の時点で8対0とリードも、江夏さんは、まさかの逆転を許してしまうと、その後も、往年のエースとしての存在感を示すことができず、結局、このシーズンは、12勝12敗に終わったそうで、

再び、トレード話が蒸し返されると、今度は、吉田さんも同意せざるを得えず、シーズン終了後の翌1976年1月、江夏さんは、望月充外野手と共に、南海の江本孟紀投手、島野育夫外野手、長谷川勉投手、池内豊投手とトレードされてしまいます。

(江夏さんには、成績のほかにも、持病の心臓疾患という同情すべき点があったものの、太らないような節制や、様々な自己管理の面でも問題があったそうです)

自ら江夏豊にトレード話をしようとするも・・・

実は、吉田さんは、自分が江夏さんにトレードされることを説明したいと阪神球団に申し出たそうですが、「人事のことだからフロントがやろう」「監督は知らないことにしておけ」と言われたそうで、南海・野村克也監督とトレードの細部を詰めている間、江夏さんへは、1976年1月19日、長田球団社長からトレードが伝えられたのだそうです。

(トレードは成立するまでは極秘でなければならないため、吉田さんは、決定の直前まで、新聞記者には「江夏のトレードはありえない」と言い張っていたそうです)

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江夏豊に長年恨まれていた

ただ、江夏さんには、「トレードを進めながら、知らぬとは」と、長年、恨まれたそうで、吉田さんは、今でも、自分自身が江夏さんに直接伝えなかったことを悔やんでいるそうです。

(マスコミには、「吉田対江夏」と対立の構図を作られ、人気選手だった江夏さんが同情されたそうで、吉田さんがムキになって反論すると、散々叩かれたそうです)

また、吉田さんは、著書「牛若丸の履歴書」で、

ただ、トレードされるにはされるだけの理由があったのであり、そこを謙虚に見つめてほしかった、という思いも、私にはある。

タイガースを代表するスタープレイヤーの一人だっただけに、阪神とケンカ別れのような形のままなのが惜しい。ダイエーホークスで監督まで務めた田淵が、「阪神のために」とコーチに〝格下げ〟になってまで戻って来たように、江夏にも過去のいろいろなことを乗り越えて人間的成長を果たし、いつか戻ってきてほしいと願う。

とも、綴っています。

(吉田さんは、後に、京セラドームで江夏さんに会った際、トレードの前にゆっくり話し合わなかったことを後悔している旨伝えたことがあったそうですが、江夏さんがどのように受けたとめたかは分からないそうです)

「吉田義男の阪神監督第1期は「走るチーム」を目標にしていた!」に続く


牛若丸の履歴書

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