1985年4月17日の甲子園での巨人戦では、ランディ・バース選手、掛布雅之選手、岡田彰布選手が「バックスクリーン3連続ホームラン」を打ち、鳥肌が立ったという、吉田義男(よしだ よしお)さんですが、吉田タイガースは、この出来事がきっかけで勢いづき、破竹の勢いで快進撃を続けると、マジック1で迎えたヤクルト戦では接戦の末、同点で、見事、21年ぶりのリーグ優勝を果たします。
「吉田義男は甲子園バックスクリーン3連発を見て鳥肌が立っていた!」からの続き
ヤクルトに1点先制されるも真弓明信のソロホームランとランディ・バースの2ランホームランで逆転
1985年10月16日、吉田さん率いる阪神タイガースは、マジック1で神宮球場にヤクルトを迎えると、
(この試合が始まる前の時点で、阪神は71勝47敗6分(勝率.602)で、2位広島とは6.5ゲーム差を付けており、阪神がこの日勝つか引き分けるかで優勝が決まる状況でした)
2回裏、ヤクルトの杉浦亨選手のソロホームランで先制されるのですが、4回表、ヤクルトの先発・荒木大輔投手から、真弓明信選手がソロホームランを放ち同点に追いつくと、さらには、6回表、ランディ・バース選手が2ランホームランを放ち、3対1と逆転します。
ヤクルトに3対5と逆転されるも・・・
ただ、6回裏、ヤクルト・角富士夫選手のタイムリーツーベースヒットで同点とされると、吉田さんは、先発のゲイル投手の交代を告げ、福間納投手をマウンドへ送るも、
福間投手は杉浦享選手からタイムリーツーベースヒットを打たれ、続く、八重樫幸雄選手にもタイムリーヒットを打たれて、3対5と逆転されてしまいます。
掛布雅之のソロホームランを皮切りに2点追加して5対5の同点に追いつく
しかし、迎えた9回表、先頭打者の掛布雅之選手がポール直撃のソロホームランを放ち、4対5と1点差まで追い上げると、続く岡田彰布選手が二塁打、そして、次の代打・北村照文選手が送りバントを成功させ、1死3塁となったところで、佐野仙好選手が犠牲フライを打ち、5対5の同点に追いつきます。
中西清起が9回10回を3人ずつで打ち取り21年ぶりのリーグ優勝
すると、中西清起投手が、9回裏を、ショートゴロ、三振、三振、10回裏を、セカンドゴロ、空振り三振、ピッチャーゴロと、それぞれ、3人で抑え、規定により引き分けで試合終了となり、吉田さん率いる阪神は、21年ぶりのリーグ優勝を果たしたのでした。
優勝が決定し、抱き合う中西清起投手と木戸克彦捕手。
(1985年当時のセ・リーグの規則では、延長線に突入する場合、試合開始から3時間20分が経過した時点で新しいイニングに突入しないこととなっており、10回裏までで試合終了となったのだそうです)
21年ぶりのリーグ優勝は雲の上を歩いているような気分だった
ちなみに、吉田さんは、著書「阪神タイガース」で、この時のことを、
結局、時間切れで延長十回、引き分けた。投ゴロを笑顔でキャッチした中西(清起)の送球が、渡真利克則のファーストミットに吸い込まれるシーンが、私の鮮明な記憶のラストシーンだ。
そこから先をほとんど覚えていない。だれと抱き合い、どうマウンドまで足を運び、どんなふうに胴上げされたのか。残念ながら、よくわからないのである。
次の記憶の扉は、胴上げの後のインタビューに飛んでいる。「ヤクルトファンの皆さんのためにも、日本シリーズでは西武ライオンズに勝ちたいと思っています」と話したことをおぼろげに覚えている。
宿舎のサテライトホテルで催した祝勝会でのビールかけは、はっきりと思い出せる。中西が、バースが、そして岡田が、私に駆け寄りビールをかけてくれた。昭和37年、39年の選手時代とは、また違った勝利の味がした。雲の上を歩いているような気分だった。
と、綴っています。
(実は、吉田さんは、引き分けでも優勝となることを土壇場まで忘れていたそうで、3対5とリードされていた9回、掛布選手のホームランと代打・佐野選手の犠牲フライで同点に追いついた時、そのことを知っていた球場内のファンは大変な騒ぎになったそうですが、すっかり忘れていた吉田さんは、なんとかして勝ち越さなければと、頭を巡らせていたのだそうです)
甲子園で「六甲颪(おろし)」と「ヨシダ・コール」を聞き涙が止まらなかった
そんな吉田さんは、シーズン最終戦の巨人戦(甲子園)を終えた後には、チームのみんなでペナントを持って、場内を一周したそうですが、その時に見た、三塁側に沈む夕陽の美しさと、その、まるで絵のような光景をバックにして、超満員の観衆が心から喜び合い、心から吉田さんたちを祝福してくれているのを見て、不覚にも涙がこぼれたそうです。
また、そんな中、「六甲颪(おろし)」の大合唱と「ヨシダ・コール」が交錯すると、ますます涙が止まらなくなったそうで、
(嬉し涙ではなく、ただただ、ありがたくて、甲子園、選手、熱い観衆に包まれながら、天に感謝して泣いたのだそうです)
吉田さんは、著書「阪神タイガース」で、
私のような者でも、こんなに多くの人々を、これほど深く感動させることができるとは。野球をやっていてよかった。阪神というチームで野球生活をまっとうできてよかった。
と、綴っています。
「吉田義男は1985年に阪神を初の日本一に導いていた!」に続く
胴上げされる吉田監督