「亀治郎として生きていきたい」と語り、「猿之助」襲名に関心がなかったにもかかわらず、三代目市川猿之助さんに襲名を持ちかけられると、歌舞伎界入りを狙う従兄弟の香川照之さんの誘いもあり、「澤瀉屋」に戻り、「四代目」を襲名した、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さんですが、実は、香川照之さんの長男・市川團子さんの襲名までの中継ぎだったといいます。
「市川猿之助(4代目)は従兄弟の香川照之に誘われて猿之助を襲名していた!」からの続き
「ずっと亀治郎でいたい」と公言していた
2003年、お父さんの四代目市川段四郎さんと共に、伯父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんの一門(澤瀉屋)を離脱して、フリー(歌舞伎界でどの一座にも加わらないという意味)で活動するも、従兄弟の香川照之さんの誘いに乗り、「澤瀉屋」に戻って、「四代目猿之助」を襲名した猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんですが、
猿之助さんは、かねてより、「生涯一役者として生きたい」と思っていたそうで、「四代目」を襲名前は、ことあるごとに、「ずっと亀治郎でいたい」と言っていたといいます。
そして、「猿之助」襲名の際にも、
僕の人生設計では「市川亀治郎」を一生変えないつもりだった
亀治郎に戻って死にたい
と、発言しています。
(役者として「猿之助の芸」は継ぎたかったが、「一門の長」になる気はなかったのだそうです)
市川團子(香川照之の長男)が「四代目」を襲名するまでの中継ぎだった
このことについて、澤瀉屋の事情を知る某関係者は、
四代目が事あるごとに“結婚はしない”と言っていたこともあって、一門はその“指向”を熟知し、将来も後継ぎは生まれないものと理解していました
四代目は、自分はあくまで團子(香川照之の長男)への“中継ぎ”であるという意識を常に持ち合わせてきました。実際に三代目から襲名を持ちかけられた際、“いずれは中車(香川照之)の息子に返すとして、それまでは自分が継がせてほしい”との意思を示していたのです
と、明かしており、
「四代目猿之助」襲名は、あくまで、香川照之さんの長男・市川團子さんが、「猿之助」を襲名するまでの期間だけ、という約束があったのだそうです。
(香川さんは、長男に「猿之助」を継がせたがっていました)
「市川團子がボンクラだったら継がせられない」と言い放っていた
とはいえ、猿之助さんは、2012年の襲名直前、親しい仲間の集まりでは、
團子がボンクラだったら継がせられない。今度は僕の意思で決める。(香川が継がせたがっていても)歌舞伎はそんなに甘いところではない
とも、言い放っていたといいます。
「市川猿之助(4代目)の愛するMはマネージャー兼付き人だった!」に続く