1994年には、10月8日の中日との優勝決戦で先制ホームランと決勝タイムリーを放つなど、勝負所で活躍し、巨人の4年ぶりのリーグ優勝に貢献した、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、1995年には、4月15日の阪神戦で通算2000本安打を達成しているのですが、名球会入りは辞退しています。
「落合博満は1994.10.8優勝決定戦で先制本塁打&逆転タイムリーを打っていた!」からの続き
1995年には41歳4ヶ月で通算2000本安打を達成
落合さんは、1995年シーズン、4月15日の阪神タイガース戦で、6回裏、久保康生投手が投じたスライダーをバックスクリーン左に叩き込む本塁打で通算2000本安打を達成しているのですが、
この時、落合さんは、41歳4ヶ月で、新井宏昌選手の40歳2ヶ月を抜き、当時の2000本安打史上最年長記録を更新しています。
(2012年5月には、宮本慎也選手が41歳5ヵ月で2000本安打を達成し、記録を更新しています)
会長を務める金田正一との確執から名球会入りを拒否していた?
ただ、落合さんは、日米通算2000本安打を達成すると会員になれる名球会入りを辞退しています。
その理由について、落合さんは、試合後の記者会見で
(名球会は)任意団体だから入る自由もあれば、辞退する自由もある。名球会入りを目指して野球をやってきたわけではない
と、語っているのですが、
実際のところは、確執があった金田正一さんが名球会の会長を務めていたことから、名球会入りを拒んだと言われていました。
(落合さんは、プロ入り後初のキャンプで、金田さんに大きな声で、「こんな打ち方じゃプロでは通用せんぞ」とダメ出しされており、以来、金田さんを毛嫌いするようになったといわれています)
YouTube「落合博満 オレ流チャンネル」で名球会入りを拒否した理由を改めて言及
そんな中、落合さんは、2023年8月1日、自身のYouTube「落合博満 オレ流チャンネル」で、
名球会が任意団体であったこと、現役選手として、オフはしっかりと休養にあてたかったこと、名球会に入らない名選手も多く存在しており「色分けする必要もない」と当時考えていた
と、言及しています。
(日本プロ野球名球会の入会資格は、日米通算2000本安打、200勝、250セーブを達成したプロ野球選手となっています)
1995年はオールスターに出場しMVPも獲得していた
さておき、落合さんは、この(1995年)シーズンは、打率3割1分1厘(リーグ4位)、17本塁打、65打点を記録するほか、オールスターにも出場すると、MVPを獲得しています。
(ただ、この年(1995年)、巨人は、松井秀喜選手、広沢克己選手の調子が上がらなかったほか、桑田真澄投手がケガにより長期離脱し、3位に終わっています)
「落合博満は「清原和博獲得のため巨人を解雇」と報道されていた!」に続く
2000本安打を達成し花束を贈呈される落合さん。