ツアーサポートやスタジオ・ミュージシャンとして活動されていたギタリストの松本孝弘さんは、1988年、事務所の社長に紹介された稲葉浩志さんと出会い、「B’z」を結成。出会いから4ヶ月後にはシングル「だからその手を離して」、アルバム「B’z」でデビューを果たすのですが・・・

Sponsored Link

松本孝弘は「TM NETWORK」のサポートミュージシャンだった

松本孝弘(まつもと たかひろ)さんは、1981年に高校を卒業すると、
「ミューズ音楽院」に入学されるのですが、
すでにギターの技能が非常に高く、
講師からプロになることを勧められて中退。

その後、音楽事務所「ビーイング」に所属されると、
プロのギタリストとして、他のミュージシャンの、
スタジオセッションやライブサポートを中心に活動を始めます。

そして、1985年に「TM NETWORK」の、
レコーディングに参加すると、ほどなくして、
「TM NETWORK」からツアーサポートのオファーを受け、
以降、「TM NETWORK」のツアーに参加するように。


手前が宇都宮隆さん、奥が松本さん。

そんな「TM NETWORK」は、当初は、
レコードセールス的にパッとしませんでしたが、

1987年、シングル「Get Wild」が大ヒットを記録すると、
一躍人気バンドとなり、同年、武道館でもライブを開催。

その武道館ライブにも松本さんは参加されたのですが、
ヴォーカルの宇都宮隆さんの後ろ姿を見て、ふと、

「僕の役目は終わったな」

と、思われたそうで、
自分自身のバンドで勝負しようと決意されたのでした。

ちなみに、松本さんは当時を振り返り、

ギタリストとしてTMの最初のコンサートにも参加していましたが、
TMの仕事はそれで終わりだな、と思っていました。

当時のTMはギター・サウンドでもなかったし、
あの頃の僕が弾きたかったスタイルとも違っていましたから。

そうしたら次のツアーのときも電話がかかってきて、
少し考えました。

三人ともいい人だから、
一緒にツアーをやれば面白いのはわかっていたけど、
サウンド的に僕でなくてもいいんじゃないか、
と思ったところがあったから。

でも、今思うとやってよかった。
あのあとからTMって俄然面白くなったんだからね。

シンセのダンス・ビートの中でギターを弾くなんて機会は、
TM以前にはなかったですからね。
あの当時はTM以外にはやっていなかったことだし。

そこで苦労はしたけど、あそこから始まったものが、
今の僕のスタイルの一部にはなっていると思います。
アレンジのスタイルでも影響を受けたし。
とくにB’zの初期はテッちゃん(小室哲哉さん)の影響が
大きかったと思います。

と、明かされています。

松本孝弘と稲葉浩志の出会いは?

こうして、早速、自身のバンド結成に向けて、
メンバー探しを始めた松本さんは、1988年5月、

「ビーイング」の社長で音楽プロデューサーでもあった、
長戸大幸さんから、1本のデモテープを受け取ります。

実は、そのデモテープには、当時、Being音楽振興会
(後のBeing Music Schoolで2015年に閉校)に、
所属していた稲葉浩志(いなば こうし)さんが、

T-ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」
レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」
ビリー・ジョエルの「Honesty」
を歌ったものが録音されていたのですが、

松本さんは、稲葉さんの歌唱を聴くと、
次に、稲葉さんの顔写真を確認し、

デモも聞いたし、写真も見たし、
(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた。
後は「いい人」であってくれと願っていた。

と、この時点で、稲葉さんを、
ヴォーカルに採用することに決めたのでした。

初顔合わせはビートルズ?

そして、翌日、お二人は「SOUND JOKER」
というスタジオで初めて顔を合わせると、
ビートルズ「Let It Be」「Oh! Darling」の2曲をセッション。

結局その日は、機材の故障により、
2曲しかセッションが出来なかったそうですが、
お互い手応えを感じたようで、

松本さんは、稲葉さんの初対面の印象を、

おとなしそうだなぁ、と。
今ほどのスタイルは想像出来なかった。

稲葉さんは、松本さんの初対面の印象を、

成功したバンドでやってたので、ビジョンが明確だった。
こうしたい、っていう。

と、明かされています。

ちなみに、当時、音楽業界では、

「新人はアルバムを3枚リリースするまでに、
ヒット作品を作れなければ見切りをつけられる」

というのが通例だったため、

松本さんは、稲葉さんに、

「3年以内に「ギターブック/Gb」の表紙を飾る」
「3年以内に「オリコン」の左ページに載る」

と、「三ヵ年計画」を力説しておられたのでした。

※「ギターブック/Gb」とは、当時一番売れていた音楽雑誌。
※「オリコン」の左ページには、1位から50位までが掲載。

Sponsored Link

「B’z」結成

こうして、お二人は、2人組ユニット「B’z」として、
同年9月、ファーストシングル「だからその手を離して」
ファーストアルバム「B’z」を同時リリースしデビュー。

なんと、お二人が初めて出会って、
「B’z」結成~楽曲制作~デビューまで、たったの4ヶ月で、

しかも、稲葉さんは、
後に、結成当時のことについて、

振り返ってみれば、これまで松本さんから、
「一緒にバンドをやろう!」と、
はっきり口にして言われたことは一度もない。

と、語っておられ、

稲葉さんの同意がないまま、
あれよあれよでデビューされたのですが・・・

1stシングル「だからその手を離して」
1stアルバム「B’z」
ともに、ヒットとは程遠く、

2ndシングル「君の中で踊りたい」(1989年5月リリース)
2ndアルバム「OFF THE LOCK」(1989年5月リリース)
3rdシングル「LADY-GO-ROUND」(1990年2月リリース)

も、売上は、
依然、パッとしなかったのでした。

「昔は鳴かず飛ばずだった?13連続ミリオン!ベストは500万枚?米殿堂入り!」に続く

Sponsored Link