清水国明の若い頃は?年齢は?鶴瓶とあのねのね?8耐バイクレースで完走!

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大学在学中に、フォークグループ「あのねのね」を結成し、1973年、「赤とんぼの唄」でデビューされると、コミカルな歌詞がウケ、たちまち人気を博した、清水国明(しみず くにあき)さん。1981年頃から、個々での活動が中心になると、バイクレーサーにも挑戦されています。


年齢は?出身は?身長は?本名は?

清水さんは、1950年10月15日生まれ、
福井県大野郡和泉村(現・大野市)のご出身、

身長168センチ、

血液型はA型、

本名は、
清水國明(読み同じ)、

旧芸名は、
清水国明
⇒清水國明(本名)
⇒清水国明

学歴は、
福井県立大野高等学校
⇒京都産業大学法学部卒業

趣味・特技は、
絵てがみ、書道、ログハウス、カヌー、
ナイフ等様々なアウトドアライフの道具作り、

資格・免許は、
小型船舶操縦士2級、社団法人日本カヌー連盟公認1級指導者、
ロードレース国際A級ライセンス、剣道二段、

だそうです。

若い頃は「あのねのね」~メンバーには鶴瓶も

清水さんは、大学在学中に、
後輩だった、原田伸郎さん、笑福亭鶴瓶さん、
後に鶴瓶さんの奥さんとなられる玲子さんらと、
フォークグループ「あのねのね」を結成されるのですが、

(女性ヴォーカルの玲子さんを中心としたグループ)

やがて、メンバーが脱退し、清水さんと原田さんだけで、
1973年に「赤とんぼの唄/魚屋のオッサンの歌」
でメジャーデビューを果たすと、

「赤とんぼの唄/魚屋のオッサンの歌」

あかとんぼ あかとんぼの はねをとったらあぶらむし
あぶらむし あぶらむしの 足をとったら 柿の種・・・
(赤とんぼの唄)

魚屋のおっさんが屁をこいた!
ぶりっ!
(魚屋のオッサンの歌)

と、コミカルな歌詞が受けて、
たちまち大ヒットを記録。

そして、その後も、

1973年6月「さよならの唄/あのねのねのしんきょく」
1974年2月「空飛ぶ円盤の唄/流浪のうた」
1974年6月「でんでん虫の唄」
     11月「雪が降っています/やすらぎを求めて」
1975年4月「つくばねの唄」

と、立て続けにシングルをリリースすると、

ダジャレを組み込んだフォーク調の歌や、
放送コードギリギリの下ネタを盛り込んだ歌など、

ご本人たちも自称する「支離滅裂フォーク」が、
若い世代(特に女性)から絶大な支持を得ます。

大学留年でライブ活動を中止~再開

その後、音楽活動に没頭しすぎたためか、
清水さんは大学を留年してしまい、

1975年には、学業に専念するために、
「あのねのね」は活動のメインだったライブを休止するのですが、

シングル「青春旅情/泣かないで」(7枚目)
をリリースするほか、

「青春旅情/泣かないで」

「ヤンヤン歌うスタジオ」
「ものまね王座決定戦」
など、
バラエティ番組への出演は続けられ、

翌年の1976年に、無事、大学を卒業すると、
本格的に「あのねのね」としての音楽活動を再開。

1976年8月「人間は何て悲しいんだろう/我がプロポーズ」
     11月「さよならは白い雪文字/旧友来たる」
1977年「オレはお前さ/切符」
1978年「嫁ぐ朝に/僕は二枚目半」(総合結婚式場「月華殿」CMソング)

1979年2月「ネコ・ニャンニャンニャン/ヤンヤンロック」
     11月「パンツ丸見え体操」
1980年9月「みかんの心ぼし」
1981年4月「いたぁーいなにすんの」
     6月「羽根を汚した天使達へ/幸せ来ますように」

と、順調にシングルをリリースすると、

「ネコ・ニャンニャンニャン/ヤンヤンロック」
「みかんの心ぼし」

が大ヒットするなど、相変わらず、
アイドル的な人気を誇ったのでした。

ピン活動中心も、原田伸郎とは現在も共演

そして、その後は、個々での活動が中心となり、
テレビ・ラジオの司会やコメンテーター、
新聞雑誌への執筆活動など、幅広く活動されるのですが、

お二人でテレビやラジオに共演する機会も少なくなく、
「あのねのね」としての活動は特に行われていません)

1998年には「オールナイトニッポンDX」の企画で、
日本武道館内の会議室でライブを実施するほか、

(武道館内で行う予定だったそうですが、
 リスナーからの募金で使用料を集めたため、お金が足りず、
 予算内で借りられる、会議室でのライブとなったそうです)

2001年には、1981年から20年ぶりとなる、
シングル「この場所で光を」「愛メール」をリリース、

2003年には、
「結成30周年記念ライブ」

2011年には、
「TBC夏まつり」でライブを行うなど、

形に縛られず、気ままに、
コンビとして共演されているようです♪

8耐バイクレースで完走!

ところで、清水さんは、

個人として活動を始められたばかりの1982年、
パーソナリティーを務める深夜ラジオ番組「真夜中ギンギラ大放送」で、

リスナーからの一枚のハガキに書かれてあった、
バイクの話で盛り上がると、

レースはおろか、バイクの免許さえも持っていなかったにもかかわらず、
「鈴鹿8時間耐久ロードレース(8耐)」への出場を宣言されたそうで、

早速、二輪免許を取得し、「國武舞レーシングチーム」
を結成して、精力的にバイク活動を開始すると、

翌年の1983年には、まず、
「鈴鹿4時間耐久レース(4耐)」に出場し、見事完走。

(4耐は、使用できるタイヤが1セットであるほか、
 炎天下でのレースということもあり、単なる”ライト8耐”ではなく、
 ある意味、8耐をしのぐ過酷なレースだそうです)

そして、1984年と1985年にも「4耐」に出場すると、
8耐出場に必要な国際A級ライセンスを取得し、

ついに、1990年、
予選で鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながらも、
元世界GPライダーの福田照男さんとペアを組み、
見事、8耐初参戦・完走を果たされています。

1990年鈴鹿8耐より。左端が清水さん。

ちなみに、目的を果たした清水さんは、
レース界からの引退を宣言。

以降、バイクは趣味で乗り続けられているようで、

2010~2012年には、
NHKBSの「気ままに寄り道バイク旅」で、

エッセイスト国井律子さんと、
日本中をバイクでツーリングされており、
現在もバイクライフを楽しまれているようです♪

「清水国明の姉はブックオフ社長!現在の嫁は結婚4回目!子供は?病気だった?」に続く

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