宝田明!戦争体験!元妻の名前は?離婚理由は?再婚!

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1960年代、東宝を代表する2枚目スターとして活躍された、俳優の宝田明(たからだ あきら)さん。ずいぶん前ですが、初代アートネーチャーのCMでもおなじみでした。1965年以降は、ドラマやバラエティ番組などにも積極的に出演され、活動の場を広げられています。





宝田さんは、1953年、
東宝ニューフェイスとして俳優業を始められました。

そして、同年、映画「ゴジラ」で、
初主演を務められたそうです。
宝田さんが「ゴジラ」に出演されていたなんて意外ですね!

華やか雰囲気を持つ、若手イケメン俳優として、
一躍スターの座に上り詰められた宝田さん。

「連日連夜、銀座に繰り出していた」

というエピソードがありますので、
容姿だけではなく、その華やかな私生活が伺えますね♪

1960年代には、
東宝と香港の合作映画「香港の夜」などに出演され、
アジアを中心に、絶大な人気を博されたようです。

宝田さんのイケメンぶりは、日本のみならず、
他のアジアの国々の女性の心も掴まれたんですね。



そして、1964年には「モスラ対ゴジラ」
2004年には「ゴジラ FINAL WARS」と、
ゴジラ作品に出演。
特撮映画に欠かせないスターとなられました。

日本で映画黄金期が終焉を迎えると、
ミュージカル俳優として、
活動の場をシフトされたそうです。

80歳を過ぎた現在も、
現役でご活躍の宝田さん。

そんな宝田さんの、
話題になっていることについて調べてみました!

戦争体験!


宝田さんは、
壮絶な戦争体験について語っておられます。

「読売オンライン」のインタビューによると、

宝田さんのお父さんは、
朝鮮総督府鉄道の技師として朝鮮に渡られ、
そこで、宝田さんは生まれたのだそうです。

宝田さんが2歳の時に、
お父さんの転勤で満州に移られ、
そして、さらに小学2年生の時にハルビンに移られ、
終戦までそこで暮らされたのでした。



1945年終戦を迎え、
日本軍が武装解除したことにより、
街はソ連軍に侵攻され、
略奪と暴行、陵辱の限りを尽くされたのだとか。

宝田家も例外ではなく、
食事中に突然ソ連兵に家に押し入られ、
こめかみに銃を突きつけられたのだそうです。

そして、家財道具を強奪されたうえ、
まだ若かったお母さんは、
連れて行かれてしまいました。

宝田さんは、お父さんと、
まだ中学生だった3番目のお兄さんとの3人で、
「ハルビン駅のそばから、貨物列車に石炭を運ぶ」
という強制労働をさせられたそうです。

これは後に、日本兵のシベリア抑留のために、
働いていたと知ることになり、
非常に辛いと語っておられました。

ある日、出征したお兄さんを探すため、
ホームを歩きまわっていた宝田さんは、

突然、見回りのソ連兵に、
脇腹を撃たれます!



なんとか家に帰り、
1日我慢したそうですが、
傷口が腫れ、悪化していたそうです。

元軍医に来てもらい、
緊急手術することになりましたが、

麻酔も手術道具もなく、
なんと、家にあった裁ちばさみで、
傷口を開いたのだとか!

大量の膿と共に取り出されたのは、
ダムダム弾といって、使用が禁止されている銃弾で、

鉛がつぶれて体内に広がり、
その結果、肉が腐るといった恐ろしい銃弾だったそうです。

無事に銃弾は取り出されたものの、
糸も針もないので、傷口はそのままだったとか!

もちろん、抗生物質も、
お薬もない状態で・・・

その後、日本への引き上げが決まったものの、
3番目のお兄さんは強制労働に出たまま戻らず、

半年待った末に、
お父さんの新潟にある生家の住所と、
「必ず来い」と書いた手紙を残し、
両親と、弟の4人で出発されたそうです。



引き上げ船が出る港まで、
2ヶ月半という過酷な旅を続けられ、

食べ物が無く、
途中、たくさんの人々が、
赤ん坊を現地の中国人に託されたそうです。

そして、1947年、
宝田さんは、お父さんの実家がある新潟で、
ついに、3番目のお兄さんと再会を果たされます。

しかし、たったひとりで過酷な旅を続け、
やっとの思いで新潟にたどり着かれたお兄さんは、

「家族に見捨てられた」

という思いが消えなかったようで、
家を出てしまわれ、
しばらく会うことがなかったそうです。

しかし、そんなお兄さんも、
宝田さんが東宝に入り、
活躍されたのがうれしかったようで、
300円送ってきてくれたそうです。

しかし、お兄さんは、
63歳という若さで亡くなってしまいます。

若い時は当たり障りのないことを話して、
いつもニコニコしていた。

と宝田さん。

でも、還暦を過ぎて、
戦争体験を話すようになったのだそうです。

あの、明るく華やかな、
宝田さんのイメージからは想像できませんが、
私達には想像を絶する体験をされていたのですね。

元妻の名前は?


さて、そんな宝田さんですが、
1964年、児島明子(こじま あきこ)さんと結婚されています。

児島さんは、1959年の、
「ミス・ユニバース世界大会」で栄冠に輝かれた方で、

日本人を含め、有色人種、アジア人の中で、
初めての「ミス・ユニバース世界大会」の優勝者なのだそうです!



児島さんの、「ミス・ユニバース」当時の身長は170cm、
3サイズは、B94、W58、H96ということで、

当時の日本人では考えられない、
超人的なスタイルを誇っておられたことが分かります!

「日刊ゲンダイ」によると、
お二人は、1954年頃、
児島さんが、大阪で、
ファッションモデルとして活動されていた時に、
知り合われたそうです。

1956年に児島さんが上京され、
その頃くらいから、本格的な交際がスタートしたのだそうです。

その後、「ミス・ユニバース」を獲得された児島さんと、
東宝の人気スターとして活躍していた宝田さんは、
スキャンダルを恐れてなかなか会えない状態に・・・

しかし、宝田さんは、

彼女が好きだ。
こんなボクについてきてくれるなら結婚する。

と熱愛宣言をされ、
それに対して児島さんも、

男のお友達の中では一番親しくしています。

とコメントを発表されたのだそうです。

しかし、そこから進展はなく、
児島さんは、別の男性と婚約され、
宝田さんも、映画で共演した香港の女優の方と交際の報道が。

その後、何があったのかは分かりませんが、
児島さんは婚約破棄になり、
宝田さんと児島さんは、ご夫婦になられたのでした。

そして、お子さんも、
娘さんと、息子さん二人に恵まれます。

離婚理由は?再婚!


そんなお二人でしたが、
1984年には、離婚してしまいます。

おしどり夫婦として、
芸能界で名を馳せていたお二人に、
一体何があったのでしょうか?

実は、1975年、宝田さんは、
ミュージカルで共演された、
16歳年下の女性との不倫が、発覚してしまったのです。

宝田さんは、この女性を、
自分の事務所に移籍させたそうで、
相当気に入られていたことがわかりますね。

その後、その女性は芸能活動を停止し、
宝田さんが、ご自分の秘書として雇ったのだそうです。

そして、1984年、
児島さんとの離婚が成立した後、
宝田さんは、この女性と入籍されます。

彼女ともう一度やり直そうと思いました。

と宝田さんは語っておられたそうです。

さすが、2枚目スターだった宝田さん。
プライベートも華やかだったようですね♪

近年は、キザな2枚目スターを逆手にとったキャラで、
笑いを提供しておられる宝田さん。

そんなお茶目な一面も、
宝田さんの魅力ですね♪

これからも末永いご活躍を期待したいですね。
応援しています!!



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