「ふたりっ子」「オードリー」「功名が辻」「セカンドバージン」など、国民的人気ドラマを手がけられた、脚本家の大石静(おおいし しずか)さん。現在人気の、佐々木蔵之介さんや堺雅人さんを見出された人でもあります。


大石さんは、大学卒業後の1974年、
女優を志し、劇団「文学座」の試験を受けられますが、
残念ながら不合格に。

そこで、劇団「青年座」の試験を受け、
合格されたことから、
「青年座」の養成所に通われました。

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病気?

大石さんは、「青年座」の管理されない、
自由な雰囲気が、お好きだったとのことで、

芝居仲間とともに、
充実した生活を送られていたようです。

しかし、大石さんは、
養成所を出られた24歳の時、
突然病魔に襲われます。

甲状腺の癌に冒されてしまい、
闘病生活を余儀なくされたのでした。

しかし、病気になったことで、

「自分は大好きな芝居にもっと関わりたい」

という気持ちがはっきりと分かったとのこと。

この時から、本格的に、
お芝居の道を歩まれることを決意されたのでした。

夫は?

大石さんは闘病されている頃、
舞台監督の男性と結婚されています。

無事に回復して、
結婚生活をスタートされたのですが、

またしても、癌に。

しかし、ご主人の支えのもと、
大石さんは、2度目の癌を克服。

「残りの人生は好きなことをやるぞ!」

と宣言された時も、
ご主人は応援してくれたそうで、

ご主人には、とても感謝されている、
とおっしゃっていました。

劇団「二兎社」を旗揚げ

そして、1981年には、永井愛さんと、
二人だけの劇団「二兎社」を設立され、
二人で交互に女優と脚本を担当されました。

この劇団を立ち上げられたきっかけは、
テレビで、同世代の役者が活躍する姿を見て、
とても悔しかったことから、

誰も役をくれないなら、
自分で自分に主役を与えよう。

と考えられたことでした。

永井愛さんは、後に、
日本劇作家協会の会長になられましたが、

当時は、落ちこぼれ女優二人だったと、
大石さんは振り返っておられます。

旗揚げ公演では、
大石さんが、脚本を担当されたのですが、

それを観たテレビ関係者から、

君は役者をやるよりも脚本を書いたほうがいい。

と勧められ、この時初めて、
脚本家という仕事を意識されたのだそうです。

脚本家への道

そこで、お金になるなら、
試しにやってみよう、という気持ちで、

お芝居を観に来てくれた、
脚本家の宮川一郎さんに弟子入りされます。

宮川さんからは具体的な指示はなく、
背中を見ながら、
仕事を覚える日々だったそうですが、

すぐに、大石さんの脚本家としての才能は、
開花したようです。

当初は、企画書を作成する仕事をされていたのですが、
大石さんの作成する企画書は、とても評判が良く、

ドラマの企画も次々と通り、
ついには、2時間ドラマのシナリオを任されることに。

そして、そのドラマも見事成功し、
大石さんには、次々と、
仕事の依頼が舞い込むことになったのでした。

大石さんはその時のことを、

かけ出しの見習い脚本家が、
一夜にしてプロになった瞬間。

と表現されていました。

この時から、
脚本家というお仕事を一生続けていこう、
と思われたそうです。

才能ある俳優を見出す

大石さんは、
脚本家としてだけではなく、

当時は無名だった、内野聖陽さん、佐々木蔵之介さん、
堺雅人さん、長谷川博己さんなどを、
見出された方でもあります。

大石さんいわく、彼らの俳優としての素質は、
ひと目見ただけで分かったのだとか。

「演じる」側の人間としては、
あまり才能に恵まれなかった大石さんですが、

「創る」側の人間としては、
天性の才能をお持ちだったようですね。

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弟は?借金?

こうして、お仕事の方では、
順調満帆だった大石さんですが、

ご家族のことで、
大変だった時期があったようです。

2004年の夏のこと、
大石さんのお母さんと弟さんが、
レストランの経営に失敗し、

弟さんの連帯保証人をされていた大石さんは、
2億円の借金を抱えてしまったのです。

そのため、東京、世田谷区にある、
2億4000万円の豪邸を8000万円で売却。

それだけではなく、
収集していた骨董品もすべて売却されたそうですが、

それでも完済することはできず、
自己破産寸前まで追い詰められてしまいます。

しかし、自己破産すれば、
著作権まで失ってしまうということで、

弁護士が交渉してくれた、

「1か月に一括で3000万円を返済する」

という方法を選択し、

TV局や仕事仲間からお金を借り、
なんとか返済に充てられたそうです。

しかし、その間、
当の弟さんは失踪され、奥さんとは離婚。
お母さんは亡くなられたそうです。

大石さんは、後に、ご自身のブログで、
癌で亡くなったプロデューサーの方からもらった、
あじさいの話に触れ、

庭のあったあの家も、
その後、弟の借金のために売ってしまい、

あじさいもそのまま人手に渡ってしまったが、
今はどうなっているだろう。

梅雨のころになると思いだす。
あのあじさいはどうしているかな。

と綴っておられました。

弟さんから被った2億円の借金を、
頑張って返済された大石さんですが、

思い出の品々や場所などを、
手放さざるを得なかったお気持ちを考えると、
本当に言葉がありませんね・・・

さて、脚本家としての類まれなる才能、
そして、病気、借金と、
波乱万丈な人生を歩んでこられた大石さん。

しかし、そんなご苦労を感じさせないほど、
明るくユーモアにあふれた作品が多いのは、
やはり、大石さんのお人柄なのでしょう。

これからも、末永く、
素晴らしい作品を世に送り出してほしいですね。
応援しています!!

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