1976年、ラジオ番組「タモリのオールナイトニッポン」での毒舌や、バラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」での密室芸でカルト的な人気を博すと、

その後、1980年、深夜番組「ばらえてい テレビファソラシド」「今夜は最高!」など、徐々に知的路線に活動の場をシフトしていき、1982年には、「笑っていいとも!」の司会に抜擢されると、31年半にわたり日本の昼の顔を務め上げ、国民的人気タレントとなった、タモリさん。

今回は、そんなタモリさんの、若い頃(早稲田大学除籍後)から「笑っていいとも!」で国民的人気タレントになるまでの経歴を時系列でご紹介します。

若い頃のタモリ

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タモリは早稲田大学除籍後は程なくして福岡に呼び戻されて会社員になり職を転々としていた

タモリさんは、早稲田大学を除籍となった後も、早稲田大学モダンジャズ研究会のマネージャーは続けていたそうですが、おばあさんが亡くなったことで、地元・福岡に呼び戻されると、会社員になり、

  • 朝日生命で保険の外交員
  • ボーリング場の支配人
  • フルーツパーラーのマスター
  • 喫茶店の店主
  • 警備員
  • ヌードモデル
  • 蛇使い

など、様々な職業を転々としたといいます。

タモリは27歳の時、タカクラホテル福岡で見知らぬ他人(山下洋輔、中村誠一、森山威男)のどんちゃん騒ぎに乱入していた

その後、タモリさんは、1972年、27歳の時には、地元の博多で会社員をしていたそうですが、

ある日、友人を訪ねたタカクラホテル福岡で、午前2時頃、帰宅しようとホテルの部屋を出て廊下を歩いていると、どんちゃん騒ぎをしている音が聞こえてきたそうで、音の鳴る方へと近づいていくと、

10cmほどドアが空いている部屋に辿り着いたそうで、中を覗くと、デタラメな歌舞伎をやって盛り上がる男たちの姿があったといいます。

すると、あろうことかタモリさんは、

俺はこの人たちとは気が合う

と、思ったそうで、

すぐに、歌舞伎口調で「この世の~」と歌いながら、見ず知らずの他人の部屋に乱入したそうですが、

なんと、部屋の中にいた、山下洋輔さん(ジャズピアノ)、中村誠一さん(テナーサックス)、森山威男(ドラムス)も、すぐにタモリさんと意気投合したといいます。

タモリは27歳の時に「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」のカンパで上京すると即興芸でバー「ジャックの豆の木」の常連客を熱狂の渦に巻き込んでいた

ただ、山下洋輔さんによると、タモリさんは、散々、盛り上げるも、朝になると、何事もなかったように帰ろうとしたそうで、そこで、初めて、中村誠一さんがタモリさんに名前を聞くと、

タモリさんは、

森田と申します

とだけ名乗って去り、それっきりだったといいます。

そんな中、タモリさんは、どうしても忘れられなかったという山下洋輔さんによって探し当てられ、さらには、山下洋輔さんらによって結成された「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」によるカンパで東京に呼ばれたそうで、

山下洋輔さんが行きつけだった新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」で、「4か国語麻雀」や「ニセ外国語」ほかシュールな即興芸を次々と披露すると、居合わせた文化人たちの度肝を抜き、一晩中爆笑の渦に巻き込んだのだそうです。

(全裸で踊り狂うなど過激なスタイルも含め、後に「恐怖の密室芸」と呼ばれる伝説の芸が確立されたのはこの時だったそうです)

タモリは27歳の時に赤塚不二夫の高級マンションで贅沢三昧の生活を送っていた

以降、タモリさんは、月に1回のペースで、カンパによって、福岡から東京に呼ばれ、即興芸を披露していたそうですが、

1975年夏(タモリさん27歳)、いつものように、新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」で即興芸を披露していると、

その席にいた赤塚不二夫さんに、気に入られ、自身のマンションに住むよう提案されたそうで、タモリさんは、赤塚不二夫さんのマンションに暮らし始めたそうですが、

その暮らしは、考えられないほど贅沢三昧の暮らしだったといいます。

タモリと赤塚不二夫

タモリは30歳の時(無名時代)に黒柳徹子に気に入られて「徹子の部屋」に出演していた

そして、赤塚不二夫さんという最大の理解者を得たタモリさんは、1975年8月には、赤塚不二夫さんの冠番組「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」で、ついにテレビ初出演を果たすのですが・・・

生放送中、説教を食らい、ひどく落ち込んで楽屋へ戻ったといいます。

しかし、偶然テレビでその姿を見ていた黒柳徹子さんに気に入られ、まだ、プロとして芸能界に入るのか、進路も決まっていない中、1975年9月、「13時ショー(「徹子の部屋」の前身)」に呼ばれ、早くも2回目のテレビ出演を果たしたのだそうです。

タモリと黒柳徹子
タモリさんと黒柳徹子さん。

タモリは30歳の時、学園祭で引っ張りだことなるも特異過ぎる芸風でなかなか所属事務所が決まらなかった

こうして、1975年の夏、「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」「13時ショー(「徹子の部屋」の前身)」と続けざまにテレビ番組への出演を果たしたタモリさんは、

同年秋には、京都大学の学園祭「11月祭」に呼ばれると、

京大ということでブラックユーモアに対して自由な考えを持った方ばかりだと思う

と、前置きしつつ、

当時、大きな国際問題になっていた事件をもとに、架空の取り調べの様子などを演じ、学生たちを大爆笑させているのですが、

一方、主催者側との話し合いで食い違いが生じて金銭トラブルとなってしまい、タモリさんの為に、「ジャックの豆の木」のママを社長、山下洋輔さんを常務にして作られたマネジメント会社「オフィス・ゴスミダ」は、非力を痛感して解散となったといいます。

それでも、タモリさん個人は、その後も、1980年代の初めまで学園祭に引っ張りだこだったそうで、

タモリさんの大ファンかつ支援者である漫画家の赤塚不二夫さんや「ジャックの豆の木」の常連客らの目標だった芸能界入りを目指し、赤塚不二夫さん宅で居候生活を続けたそうですが、

その特異過ぎる芸風のため、なかなか所属事務所は決まらなかったのだそうです。

タモリは30歳の時に正式に芸能界デビューすると、「オールナイトニッポン(ANN)」などでマニアックな層から熱狂的な支持を得ていた

ただ、やがては、飲み屋でのドンチャン騒ぎで知り合ったという、構成作家の高平哲郎さんの紹介で、大手芸能プロダクション「田辺エージェンシー」と契約すると、

1976年4月(タモリさん30歳)には、イギリスのコメディ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」の後半部分に、「The TAMORI Show」という数分間のコーナー(レギュラー番組)が用意され、タモリさんは、30歳にして、ついに正式に芸能界デビュー。

そして、この「The TAMORI Show」で、

  • 「国際麻雀大会」
  • 「誰でもできる指揮者・入門」
  • 「各国のエレベーター・ガール」
  • 「中国におけるオカマの批判」
  • 「NHK教養講座」

などを披露すると、

(通りを歩いている学生を、ADが呼び止めて観客として参加させていたそうです)

「The TAMORI Show」
「空飛ぶモンティ・パイソン」内の「The TAMORI Show」を収録中のタモリさん(左)と赤塚不二夫さん(右)。

同年10月頃からは、バラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」の単独コーナー「タモリのなんでも講座」にもレギュラー出演が決定し、ここでも、

  • 「4ヶ国語麻雀」
  • 「中洲産業大学のタモリ教授」
  • 「タモリ神父」
  • 「イグアナ」のモノマネ
  • 「ハナモゲラ」(デタラメ言語)

など、毎回、怪しげな「密室芸」を披露し、一部のマニアック層に人気を博したのでした。

そして、タモリさんの人気を決定づけたのが、同年10月に始まったラジオ番組「タモリのオールナイトニッポン」で、

タモリさんは、「タモリのオールナイトニッポン」では、特定のアーティスト、名古屋人、映画評論家など、あらゆる方面を痛烈に批判し、スポンサーの提供読みですらパロディ化して読み上げるなど、

ラジオならではの自由奔放さを発揮して、毒舌を武器にした尖(とが)った芸風でマニアックな層から熱狂的な支持を集めたのでした。

(タモリさん自身、この番組を通じて「放送における自分の乗せ方」を初めて掴んだと語っており、どれほど多忙を極めても、「オールナイトニッポン」だけは決して休まなかったのだそうです)

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タモリは36歳の時に「笑っていいとも!」の司会に抜擢され国民的な人気を博すようになっていた

こうして、サブカルチャーの寵児としてマニアックな支持を集めたタモリさんですが、

1980年には、深夜番組「ばらえてい テレビファソラシド」「今夜は最高!」など、徐々に知的路線に活動の場をシフトしていくと、

夕方の主婦向けのラジオ番組「だんとつタモリ おもしろ大放送!」では、それまでの毒舌や「密室芸」のイメージからは一変して、幅広い層への親しみやすさを獲得していったそうで、

1982年には、ついに、お昼の帯番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」の司会に抜擢。

(「だんとつタモリ おもしろ大放送!」で主婦層からの支持をいち早く見抜いたのが、フジテレビのプロデューサー・横澤彪さんだったそうです)

当初は、視聴率が伸び悩むも、次第に上昇し、最終的には、2014年3月31日の放送終了まで31年半も続く国民的長寿番組となり、タモリさんも、国民的な人気を博すに至ったのでした。

「笑っていいとも!」
1982年頃の「笑っていいとも!」より。西川のりおさん(左)とタモリさん(右)。

ちなみに、タモリさんは、2014年の最終回で、自身の過去を「気持ちの悪い男だった」と振り返り、不遜だった自分を変えてくれたのは、長年支えてくれた視聴者の皆さんだったと、涙ながらに感謝のスピーチを行っています。

タモリ
「笑っていいとも!」最終回より。

お読みいただきありがとうございました

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