「ザ・テンプターズ」解散後、1971年2月には、萩原健一さん、沢田研二さん、岸部一徳さん、井上堯之さん、大野克夫さんと本格的なロックを目指したバンド「PYG」を結成した、大口広司(おおぐち ひろし)さんですが、
大人の事情で、本格的なロックバンドとしての活動は出来ず、折から人気の高かった沢田研二さんと萩原健一さんを押し出した活動となると、期待を裏切られたファンから激しいバッシングを遭う中、同年9月には早くも脱退しており、「PYG」も、結成から僅か2年足らずで自然消滅してしまったといいます。
今回は、「PYG」の結成~大口広司さんの「PYG」脱退~「PYG」自然消滅までを、「PYG」のシングルやアルバムを交えながら時系列でご紹介します。

「【画像】大口広司の若い頃は「ザ・テンプターズ」のドラムでブレイク!」からの続き
大口広司は20歳の時に萩原健一、沢田研二、岸部一徳、井上堯之、大野克夫とロックバンド「PYG」を結成
GS(グループサウンズ)ブームに乗り、大ブレイクした「ザ・テンプターズ」も、1970年12月27日には、東京大手町のサンケイホール内にある小ホールでの公演を最後に、静かに解散したそうですが、
大口広司さんは、解散前から、同じ「ザ・テンプターズ」の萩原健一さんほか、「ザ・スパイダース」の井上堯之さん、大野克夫さん、「ザ・タイガース」の岸部一徳さんと、”ニュー・ロック”バンドを結成する計画を話し合っていたそうで、
最後に、「ザ・タイガース」の沢田研二さんに参加を呼びかけ、1971年1月、「ザ・タイガース」が解散した直後に、ロックバンド「PYG」を結成すると、
同年2月1日には、井上堯之さんをリーダーに据え、本格的なロックバンドを目指して活動を開始しています。
(ちなみに、「PYG」とは、同じ「渡辺プロダクション」に所属していたアラン・メリルさんのアイディアで”豚のように蔑まされても生きてゆく”という意味で、「PIG(豚)」をもじって「PYG」としたのだそうです)

「PYG」。(左から)沢田研二さん、井上堯之さん、岸部一徳さん、大野克夫さん、大口広司さん、萩原健一さん。
大口広司は20歳の時に「PYG」として活動開始も観客から激しいバッシングを浴びていた
ただ、1971年3月20日、京都大学西部講堂でのデビュー公演「第1回 MOJO WEST」では、
会場に集まった硬派なロックファンから、
GS残党の寄せ集めバンド
と、怒号が飛び交って、収拾がつかないほどの大混乱となり、
(主催者側の内田裕也さんが仲裁に入り事態を収束させたそうです)
翌4月の日比谷野外音楽堂での「日比谷ロック・フェスティバル」でも、観客の拒絶反応は凄まじかったそうで、「帰れ!」コールが浴びせられる中、演奏を始めると、ステージに物が投げ入れられる事態にまで発展。
また、客席側でも、沢田研二さんと萩原健一さんのファン同士が小競り合いを起こすなど、物々しい状態となったのだそうです。

というのも、実は、沢田研二さんは、「PYG」が「渡辺プロダクション」の所属になるという条件で、「渡辺プロダクション」から「PYG」加入を認められていたそうで、「PYG」は「渡辺プロダクション」が子会社として設立した「渡辺企画」所属となっていたのですが、
「渡辺企画」は、本格的なロックバンドを期待していたファンの期待を裏切って商業主義に走り、人気の高かった沢田研二さんと萩原健一さんをメインに売り出したそうで、ファンから猛反発を受けたのでした。
大口広司は20歳の時に「PYG」としてシングル「花・太陽・雨」、アルバム「PYG!」をリリース
そんな逆風の中でも、「PYG」は、4月10日にシングル「花・太陽・雨」をリリースすると、8万枚を売り上げ、

「花・太陽・雨」
8月10日にリリースした1stアルバム「PYG!」も、オリコンチャート10位、レコード売上2.4万枚とヒットを記録しています。
大口広司が「PYG」を脱退した理由とは?
そして、「PYG」は、同年(1971年)7月には、2枚目のシングル「自由に歩いて愛して」をリリースすると、9.3万枚を売り上げたのですが・・・
そんな中、大口広司さんは、同年9月に「PYG」を脱退しています。
(後任は原田祐臣さん(ミッキー・カーチス&サムライ))
大口広司さんは、「PYG」を脱退した理由について、ほとんど明かしていないため、詳しいことは不明ですが、
1stアルバム「PYG!」は、ボーカルを際立たせるため、楽器の録音レベルが抑えられ、特に、ドラムに至っては、極端に低く録音されていたそうで、
ライブの臨場感を感じさせるものとは程遠く、バンド色が薄い仕上がりになっていたそうで、そのようなことも一因だったのかもしれません。
(大口広司さんが脱退した後の11月10日には、8月16日に田園コロシアムで開催されたアルバム「FREE with PYG」がリリースされているのですが。スタジオ制作とは違い、バンドとしての臨場感やグルーブ感を感じさせる一枚となっているそうです)
「PYG」は大口広司が脱退後、まもなく自然消滅していた
ちなみに、「PYG」は、大口広司さんが脱退した後も、シングルやアルバムをリリースするなど活動を続けていたのですが、
いよいよ、沢田研二さんと萩原健一さんのソロ活動が本格化すると、1972年夏に開催された「日劇ウエスタン・カーニバル」のライブと、5枚目のシングル「初めての涙」(1972年11月リリース)を最後に活動をしておらず、1972年12月で自然消滅しています。

「初めての涙」
「大口広司はアラン・メリルと「ウォッカ・コリンズ」を結成していた!」に続く
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1971年9月、「PYG」をわずか半年ほどで脱退した、大口広司(おおぐち ひろし)さんですが、翌1972年には、アラン・メリルさんと「ウォッカ・コリンズ」を結成しています。 今回は、大口広司さんの「ウォッカ・コリンズ」時 …









