16歳で「ザ・テンプターズ」のドラマーに抜擢されて以降、「PYG」「ウォッカ・コリンズ」など、時代の最先端を行くロックバンドで活躍した、大口広司(おおぐち ひろし)さんですが、
そのほかにも、俳優としてテレビドラマや映画に出演したり、服飾デザイナーとしてファッションブランド「Plactice of Silence」を立ち上げたり、画家としても作品展を開催するなど、多方面で才能を発揮しました。
ただ、その間には、大麻での逮捕、経営していた服飾会社の倒産ほか、長年に渡るC型肝炎の闘病もあったといいます。
今回は、そんな大口広司さんの、アーティスト以外の活動や経歴、闘病と死因、そして、最後に出演作品(テレビドラマ、映画)やカメラマンとしての写真集をご紹介します。

「大口広司はアラン・メリルと「ウォッカ・コリンズ」を結成していた!」からの続き
大口広司が23歳~25歳頃は「風の中のあいつ」「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」「悪魔のようなあいつ」などテレビドラマにも出演していた
大口広司さんは、音楽活動のかたわら、俳優としても、「時間ですよ」でテレビドラマデビューすると、
- 1973年「風の中のあいつ」
- 1974~1975年「傷だらけの天使」
- 1975年「前略おふくろ様」
など、いずれも、「ザ・テンプターズ」「PYG」時代の仲間である萩原健一さんが主演を務めたドラマに出演するほか、
1975年には、「PYG」時代の仲間である沢田研二さんが主演を務めたテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」にも出演しています。
大口広司は31歳の時にファッションブランド「Plactice of Silence」を立ち上げていた
さらに、大口広司さんは、1970年代からは、服飾デザイナーとしても活動していたそうで、1980年代には、東京ブランドの先駆け「YiN&YaNG」のサブブランド「insense」のデザイナーに抜擢されると、
1981年には、自身のブランド「Plactice of Silence」を立ち上げるなど、ファッション業界でも活躍しました。
(大口広司さんが「Plactice of Silence」を立ち上げたのは、当時は、自分が着たい、ゆったりした服がなかったからだそうです)

大口広司さん。
大口広司は34歳の時に大麻所持容疑で逮捕・起訴されていた
そして、1983年、33歳の時には、女優の真行寺君枝さんと結婚するのですが・・・
その翌年の1984年、34歳の時には、大麻所持容疑で逮捕・起訴され、懲役6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けています。
大口広司は41歳の時に経営していた服飾会社が倒産
また、1991年、41歳の時には、経営していた服飾会社が倒産したといいます。
それでも、大口広司さんは、ファッションブランドのデザイナーとしての活動は続けるほか、
西麻布のバー「アムリタ」で、加部正義(ルイズルイス加部)さんや篠原信彦さんと、月2回セッションをするなど、音楽活動も続けていたといいます。
大口広司は58歳の時に絵の作品展「バガボンドの微笑み」を開催していた
そんな大口広司さんは、1991年(58歳)頃からは、絵も描いていたそうで、2008年12月と2009年1月には、写真家の狩野喜彦さんと共に、自身の絵の作品展「バガボンドの微笑み」を開催しています。

大口広司は58歳の時に肝臓ガンが判明していた
ただ、大口広司さんは、長い間、C型肝炎を患い、肝臓ガンの発生を予防するインターフェロン治療を続けていたといいます。
そして、2008年頃には、体調不良を訴え、病院で精密検査を受けたところ、肝臓ガンが判明。
それでも、入退院を繰り返しながら、患部を焼くなどの治療を続けると、2008年12月上旬には、自身の作品展「バガボンドの微笑み」を開催するまでに回復していたそうですが・・・
大口広司の死因は?
同年(2008年)12月25日、容体が急変すると、緊急入院するも病状は回復せず、2009年1月25日22時20分、肝臓ガンにより、妻の以知子さんが見守る中、58歳で他界されたのでした。
(大口広司さんは、タバコとお酒が大好きだったそうで、医師に止められても辞めず、救急車を呼びながらもタバコを吸い続けていたそうです)
ちなみに、音楽著述家の中村俊夫さんは、「ニッポン放送 NEWS ONLINE」で、闘病中の大口広司さんから電話がかかってきた時のことを、
大口さんが肝臓ガンで闘病中と関係者から聞いていた2008年秋頃、御本人から突然私の携帯電話に連絡が来た。
内容は「久々にショーケン(萩原健一さん)と電話で話したら懐かしくなり、永らく音信不通のヨッチン(「ザ・テンプターズ」のリーダーだった松崎由治さん)とも話がしたいので、連絡先を知らないか?」ということだった。
以前(99~00年頃)、筆者が松崎さんと何度かお会いしたことを覚えていてくれたみたいだ。残念ながら、その頃はもう松崎さんの所在先も知らなかったのでお役に立てなかったのだが、今思うと、あの時、大口さんは自分の死期を感じ取っていたのかもしれない。
最期にかつての仲間の声を聴きたかったのだろう。結局、松崎さんとの(声の)再会を果たせたのかどうかは知る由も無いが、その電話から3カ月ほど後の2009年1月25日に永眠。享年58歳だった…。
と、綴っています。
大口広司の死去時の関係者のコメント
そして、同年(2008年)12月29日、東京・中野区の梅照院で通夜が営まれると、かつてのバンド仲間である、岸部一徳さんや沢田研二さんほか、約300人が参列し、
翌30日に、同じ場所で葬儀・告別式が営まれると、かまやつひろしさんやルイズルイス加部さんら、約120人が参列したそうですが、
「ザ・テンプターズ」時代からの盟友・萩原健一さんは、
病気は厳しいと聞いてましたが…。すごくセンスのいいやつで優しい人でした。母性本能をくすぐるところがあって女性にもてた。まだ58歳
大口広司さんが出演した「北の零年」「遠くの空に消えた」の行定勲監督は、
代え難い存在で、むちゃくちゃカッコイイ人だった。『惜しい』という言葉に尽きる。
またでかい映画のときは、大口さんに登場してもらおうと思っていた。これからもっとおもしろくなる人だった
30年来の付き合いだったという八千草薫さんは、
ダンディーな方。もう少し長生きしたら、もっとステキな役者になれたのに
と、コメントしており、多くの著名人に早すぎる死を悔やまれました。
大口広司の出演作品(テレビドラマ)
それでは、最後に、大口広司さんの出演作品をご紹介しましょう。
テレビドラマでは、
- ?年「時間ですよ」※俳優デビュー作品
- 1973~1974年「風の中のあいつ」
- 1974年「幡随院長兵衛 お待ちなせぇ」
- 1974~1975年「傷だらけの天使」第19話
- 1975年「寺内貫太郎一家2」第18話
- 1975~1977年「前略おふくろ様 I・II」
- 1975年「悪魔のようなあいつ」
- 1976年「気まぐれ天使」
- 1982年「立花登・青春手控え」第19話
- 2002年 火曜サスペンス劇場「松本清張スペシャル・事故」
- 2004年「向田邦子の恋文」
- 2005年 火曜サスペンス劇場「警視庁鑑識班」第19作
- 2005年「時効警察」第4話
大口広司の出演作品(映画)
映画では、
- 1969年「ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを」
- 1973年「青春の蹉跌」
- 1974年「アサンテ・サーナ」
- 1974年「化石の森」
- 1976年「パリの哀愁」
- 1980年「将軍 SHŌGUN」
- 1992年「夜逃げ屋本舗」
- 1995年「FRIED DRAGON FISH」
- 2000年「KT」
- 2005年「北の零年」
- 2005年「Strange Circus 奇妙なサーカス」
- 2005年「ラマン」
- 2006年「やわらかい生活」
- 2006年「日本沈没」
- 2006年「探偵事務所5」
- 2007年「フリージア」
- 2007年「M」
- 2007年「オハナ」
- 2007年「遠くの空に消えた」
- 2008年「ハブと拳骨」
- 2008年「ハード・リベンジ、ミリー」
- 2009年「愛のむきだし」
- 2009年「カフーを待ちわびて」※遺作
などに出演しています。
大口広司の写真集(カメラマンとして)
また、大口広司さんは、1997年には、カメラマンも務め、前妻の真行寺君枝さんをモデルにヘアヌード写真集「Made in Love」も出版しています。

「Made in Love」
「大口広司の前妻(最初の妻)真行寺君枝との離婚理由は?再婚相手は?子供は?」に続く
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「ザ・テンプターズ」時代から、鮮やかなドラミングだけではなく、ビジュアル面の方向性も決定するなど、音楽活動以外にも抜群のセンスを発揮し、その後、ファッションデザイナー、俳優、画家としても活躍した、大口広司(おおぐち ひろ …























