1967年10月、「ザ・テンプターズ」として1stシングル「忘れ得ぬ君」でデビューすると、1968年3月にリリースした2ndシングル「神様おねがい!」が43万枚を超える大ヒットとなり、その後も、「エメラルドの伝説」などヒット曲を連発しブレイクした、大口広司(おおぐち ひろし)さん。

今回は、そんな大口広司さんの、若い頃(「ザ・テンプターズ」時代)の経歴と、「ザ・テンプターズ」のシングルとアルバムをご紹介します。

大口広司

「大口広司の生い立ちは?小学生でドラムを始め16歳でテンプターズに抜擢!」からの続き

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大口広司は16歳の時に「ザ・テンプターズ」として「スパイダクション」にスカウトされていた

大口広司さんは、1967年5月、16歳の時、「ザ・テンプターズ」に加入しているのですが、その後、「ザ・テンプターズ」は、田邊昭知さんが設立した「スパイダクション」にスカウトされ、「ザ・スパイダースの弟分バンド」として売り出されたそうで、

同年6月、「ヤング720」でテレビ初出演を果たすと、同年8月には、「第33回日劇ウエスタンカーニバル」に初出場し、新人賞を獲得しました。

ちなみに、「スパイダクション」は、田邊昭知さんが、1966年5月、自身のバンド「ザ・スパイダース」のマネジメント会社として、「ホリプロ」内に設立した会社だったそうで、

実は、田邊昭知さんは、「ザ・タイガース」を「スパイダクション」の新人第一号としてスカウトしようとしたそうですが、渡辺プロダクションに先を越され、「ザ・タイガース」が大ブレイクしたことから、その対抗馬として「ザ・テンプターズ」をデビューさせたのだそうです。

大口広司は16歳の時に「ザ・テンプターズ」として「忘れ得ぬ君」でレコードデビュー

そんな「ザ・テンプターズ」は、同年(1967年)10月25日、「忘れ得ぬ君」(作詞・作曲:松崎由治さん)でレコードデビューすると、順調に売上を伸ばし、

「GS(グループサウンズ)」と呼ばれる新しいバンドが次々と現れる中、当時、人気絶頂だった「ザ・タイガース」の強力なライバルとしてめきめき頭角を現します。

「忘れ得ぬ君」
「忘れ得ぬ君」

大口広司は17歳の時に「ザ・テンプターズ」として「神様おねがい!」が売上43万枚超の大ヒット

そして、1968年3月5日にリリースした2枚目のシングル「神様おねがい!」(作詞・作曲:松崎由治さん)は、オリコンチャート2位を獲得するほか、43.1万枚を売り上げる大ヒットを記録し、

「神様お願い!」
「神様おねがい」

同年5月には、マルベル堂のブロマイド売り上げチャートも、それまで首位を独占していた「ザ・タイガース」を追い抜いて、1位の座に輝いたのでした。

大口広司は17歳の時に「ザ・テンプターズ」として「エメラルドの伝説」が売上46万枚超の大ヒット

さらに、1968年6月15日にリリースした3枚目のシングル「エメラルドの伝説」も、オリコンチャート1位を獲得するほか、46.2万枚を売り上げる大ヒットとなり、

「ザ・テンプターズ」は、瞬く間にスターの座へと駆け上り、「ザ・タイガース」と共にGS(グループサウンズ)シーンの頂点に君臨したのでした。

(この「エメラルドの伝説」は「ザ・テンプターズ」の最大のヒット曲となりました)

「エメラルドの伝説」
「エメラルドの伝説」

ちなみに、デビュー曲の「忘れ得ぬ君」と2ndシングルの「神様おねがい!」は、メンバーの松崎由治さんが作詞・作曲共に手掛けてヒットさせていたにもかかわらず、

フィリップス・レコードは、昨日までアマチュアだった人間が常にヒット作を書けるはずがないと、プロ(職業作家)の作曲家である村井邦彦さんと、作詞家のなかにし礼さんを起用し、萩原健一さん(ボーカル)の神秘性の魅力をポイントに書いてもらったそうですが、

当時、フィリップス・レコードで「ザ・テンプターズ」の制作を手がけていたディレクターの本城和治氏によると、なかにし礼さんは、「ザ・ジャガーズ」の「キサナドゥ-の伝説」(デイブ・ディー・グループのカバー)の訳詞をしたばかりだったからか、

出来上がってきたタイトルが「エメラルドの伝説」と、同じ「伝説」というタイトルで、さらには、「ザ・ジャガーズ」と同月発売だったことから、当初は、抵抗感があったといいます。

(最終的には目をつむり、採用することにしたそうです)

大口広司は「ザ・テンプターズ」でバンドサウンドやヴィジュアルの方向性を決めていた

さておき、そんな「ザ・テンプターズ」では、萩原健一さんが最も人気があったそうで、GS(グループサウンズ)では、「ザ・タイガース」の沢田研二さんと人気を二分していたそうですが、

大口広司さんは、その陰で、「ザ・テンプターズ」のバンドサウンドやヴィジュアルの方向性を決めるなど、縁の下の力持ち的な存在として活躍していたそうです。

大口広司が17歳の時に「ザ・テンプターズ」としてリリースした「おかあさん」はイメージアップを狙ったと揶揄されていた

また、「ザ・テンプターズ」は、1968年9月25日には、4枚目のシングル「おかあさん」をリリースしているのですが、

この曲は、芸能雑誌「週刊平凡」の読者公募から選ばれた歌詞をベースに、リーダーの松崎由治さんが、”亡き母親への慕情”を補作するほか、作曲を手掛け、自ら唄ったものだったそうですが、

「おかあさん」
「おかあさん」

当時、GS(グループ・サウンズ)は「青少年の非行の元凶」として教育委員会などから激しく叩かれていたことから、「道徳的な歌でイメージアップを狙ったのでは?」と揶揄(やゆ)されたといいます。

(ただ、当時フィリップス・レコードで「ザ・テンプターズ」の制作を手がけていたディレクターの本城和治氏はこれを強く否定しています)

大口広司も「おかあさん」には戸惑っていた

また、「埼玉のローリング・ストーンズ」と称され、硬派で黒っぽい魅力で男子ファンをも熱狂させていた「ザ・テンプターズ」にとって、この「おかあさん」という楽曲はあまりにもパブリックイメージからかけ離れており、

ファンだけではなく、大口広司さんをはじめとするメンバーもこのギャップに戸惑っていたそうで、

大口広司さんは、

あの曲ではメンバー同士で言い合いになりました。いつもストーンズぶってるのが<おかあさん>はないだろうってね。

自分で演っててテレ臭かったし、ステージでストーンズの曲とかの後にいきなり<おかあさん>でしょ。これで良いのかなぁって思いましたね

と、語っています。

さらには、この「おかあさん」は、バンド内に決定的な不協和音を生じさせたそうで、

特に、感情を込めて歌い上げる松崎由治さんと、メインボーカルでありながら脇に回された萩原健一さん(隣でハーモニカとコーラスを担当)の温度差は深刻で、その感情的な溝は、1970年の解散まで続いたそうで、

大口広司さんは、

ステージで感極まって松崎くんが泣きながら歌っている時、ショーケン(萩原健一さん)が客席に背を向けて僕の方を見て<やってられねぇーよ>って顔して笑ってるの。あれには複雑な気持ちになりましたね

と、語っています。

(とはいえ、「おかあさん」は、「エメラルドの伝説」には及ばなかったものの、オリコンチャート4位(3週連続)とヒットています)

大口広司が20歳の時に「ザ・テンプターズ」は解散

それでも、「おかあさん」と両A面扱いだったカップリング曲「秘密の合言葉」(作詞・作曲:松崎由治さん)は、本来の「ザ・テンプターズ」の魅力が詰まった傑作で、萩原健一さんのスピード感あふれるボーカルは、従来の男子ファンを納得させるのに十分なクオリティだったそうですが、

(現在も後追いGSファンから高く評価されています)

バンド内に生じた不協和音を修復できるまでには至らなかったそうで、

1969年半ばになると、GS(グループサウンズ)ブームが終息に向かったこともあり、「ザ・テンプターズ」の人気にも翳りが見え始めると、

1969年3月にリリースした「雨よふらないで」はオリコンチャート21位、1969年7月にリリースした「帰らなかったケーン」はオリコンチャート31位と、セールスは下降の一途をたどり、

(とはいえ、「ザ・テンプターズ」は、ブルースをベースにしたアメリカ南部のようなサウンド、ソフトロック、ニューロック、歌謡曲などがミックスされた独特のサウンドを確立しつつあったそうです)

1970年12月27日、東京大手町のサンケイホール内にある小ホールでの公演を最後に、解散したのでした。

「ザ・テンプターズ」のシングル

それでは、最後に、「ザ・テンプターズ」のディスコグラフィーをご紹介しましょう。

シングルでは、

  • 1967年「忘れ得ぬ君」
    「忘れ得ぬ君」
    「忘れ得ぬ君」
  • 1968年「神様お願い!」
    「神様お願い!」
    「神様おねがい!」
  • 1968年「エメラルドの伝説」
    「エメラルドの伝説」
    「エメラルドの伝説」
  • 1968年「おかあさん」
    「おかあさん」
    「おかあさん」
  • 1968年「純愛」
    「純愛」
    「純愛」
  • 1969年「雨よふらないで」
    「雨よふらないで」
    「雨よふらないで」
  • 1969年「帰らなかったケーン」
    「帰らなかったケーン」
    「帰らなかったケーン」
  • 1969年「エブリバディ・ニーズ・サムバディ」
    「エブリバディ・ニーズ・サムバディ」
    「エブリバディ・ニーズ・サムバディ」
  • 1969年「愛の終り」
    「愛の終り」
    「愛の終り」
  • 1970年「復活」
    「復活」
    「復活」
  • 1970年「出来るかい?出来るかい?」
    「出来るかい?出来るかい?」
    「出来るかい?出来るかい?」
  • 1970年「若者よ愛を忘れるな」
    「若者よ愛を忘れるな」
    「若者よ愛を忘れるな」
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「ザ・テンプターズ」のアルバム

アルバムでは、

を、リリースしています。

「【画像】大口広司がテンプターズ解散後PYG結成も半年で脱退した理由は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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