1992年、26歳の時、父・堀威夫さんに熱心に請われ、「ニッポン放送」を退職し、家業である「ホリプロ」に入社すると、10年後、2002年、36歳の時には、「ホリプロ」の代表取締役社長に就任した、堀義貴(ほり よしたか)さん。
今回は、そんな堀義貴さんの若い頃(「ニッポン放送」退職~「ホリプロ」入社以降)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

「堀義貴(堀威夫の息子)の若い頃はニッポン放送で「尾行マン」「沈黙の艦隊」!」からの続き
堀義貴は26歳の時に「ニッポン放送」への情熱が揺らいでいた
1992年7月、堀義貴さんが26歳の時、ニッポン放送の社長だった羽佐間重彰氏が産経新聞社社長に就任し、フジテレビ&ニッポン放送代表取締役会長兼グループ議長だった鹿内宏明氏の解任を発表する騒動(クーデター)があったそうですが、
この発表を受け、堀義貴さんら若手が、自分の机で、
ついにやったな~
などと、言っていると、
上司が、
お前ら何言ってんだ。(鹿内宏明氏は)まだニッポン放送の会長だぞ!
と、怒ったそうで、
堀義貴さんは、
自由奔放な自分を許してくれた(羽佐間重彰氏が社長だった)ニッポン放送が、どんどん堅苦しくなっている
と、バカバカしさを感じて、翌日会社を休んだといいます。
堀義貴は26歳の時に父・堀威夫から「ホリプロ」を継ぐよう熱心に誘われていた
すると、会社(ニッポン放送)への情熱が揺らぐ中、お父さんの堀威夫さん(ホリプロ創業者)から食事に誘われたそうで、
お父さんは、
何かゴタゴタしてるなら辞めてもいいんだぞ
と、(直球ではなくやんわりと)「ホリプロ」に誘ってきたといいます。
ただ、堀義貴さんは、
でもまだやりたいこともあるし、(ホリプロには)兄貴もいるからいいじゃない
と、断ったそうですが、
それでも、お父さんは、その後、半年間で3〜4回も、
(ホリプロに)来ないか
と、誘ってきたといいます。
そして、ある時、お父さんから、
ホリプロ来て番組制作やればいいじゃないか
と、言われると、
ずっとラジオをやっていて、内心、映像をやってみたいと思っていた堀義貴さんは、この言葉にグラッと来たそうですが、
自分みたいにいい加減な人間には、既に上場していた「ホリプロ」のような堅い会社は向いていないと思っていると、
(バブル末期のタクシーがなかなかつかまらない時代、銀座で裏の手を使ってタクシーを何台も手配し、関係者に配るような”豪快でいい加減なラジオ屋のノリ”で生きてきた堀義貴さんにとって、上場企業であるホリプロは「堅すぎる」と感じたのでした)
お父さんは、
ニッポン放送のノリをそのままホリプロに持ってくればいい
とまで言ってくれたそうで、
ついに、堀義貴さんは、「ホリプロ」に入社することを決めたのだそうです。
ちなみに、堀義貴さんは、
自分を主人公にして、さらに親父の面目も立ててホリプロに「戻った」のではなくて、中途採用で「来た」っていう感じですよね(笑)。 自分の希望としては、映像制作がやりたかったからホリプロに来たかったっていう理由もあるし。
ニッポン放送でできることはもうやっちゃったということもあったし。ほんとはね、もしかしたら僕が辞めるかもしれないという雰囲気があったから、最後にディレクターとかやらせてくれないかな、と思ってたんだけど、
結局次の人事でもまた編成だったし。ディレクターになれないのなら、もう潮時かなぁと。
と、語っています。
また、堀義貴さんは、大学卒業後、家業の「ホリプロ」ではなく、他のプロダクションに行こうと考えていた頃、お父さんに連れられて「渡辺ロダクション」のパーティーに出席したことがあったそうですが、
堀義貴さんは、誰もが気圧されて近寄れない大社長・渡辺晋さんに対し、持ち前の明るさで「こんにちは」と気さくに話しかけ、
渡辺晋社長に将来について問われると、
何も決めてないんです
と、答え、
渡辺晋社長に、
なら親父さんの跡継がなきゃダメだよ
と、言われるも、
いや、でも僕はその気ないんですよ
というような会話をしたことがあったそうですが、
実は、この時の渡辺晋社長の、
なら親父さんの跡継がなきゃダメだよ
の一言が、ニッポン放送を退職し、家業を継ぐ決断をする際の一因ともなっていたのだそうです。
堀義貴は26歳の時に父・堀威夫が創業した「ホリプロ」に入社し、36歳の時に社長に就任していた
こうして、堀義貴さんは、1992年、26歳の時、「ニッポン放送」を退職し、「ホリプロ」に入社すると、
制作、宣伝、プロダクション、ファンクラブ、新人オーディション、映像、新規企画など、現場マネージャー以外の、ほぼすべての仕事をしたそうで、
- 1996年6月には、「ホリプロ」取締役メディア事業本部制作四部部長
- 1997年10月には、「ホリプロ」取締役制作、宣伝事業担当
- 1999年6月には、「ホリプロ」取締役、プロダクション、制作、宣伝事業担当
- 2000年6月には、「ホリプロ」常務取締役、プロダクション、制作、宣伝事業担当
を経て、2002年6月に、「ホリプロ」の代表取締役社長に就任すると、
特定の人気タレントに頼り過ぎず、事業を多様化して会社のリスクを分散することを重視する経営を心がけたのだそうです。
また、堀義貴さんは、「ホリプロに行くと面白い」と思われるような、社員もタレントも人柄がよく、仕事がなくても、気軽に雑談に来てくれるような“チャーミングな会社”を目指しているそうで、
(堀義貴さんは、雑談から、新しい企画が生まれるかもしれないと思っているそうです)
まず「いい人」だから会いたいと思われるような会社になって人が集まる。そうするともっとよくなるから「あの会社に入りたい」と思う。
タレントとしても社員としても。和気あいあいと明るく楽しくね。そうなれば絶対に潰れないと思いますよ。
と、語っています。
堀義貴の現在は?
その後、堀義貴さんは、2008年には、「株式会社ホリプログループ・ホールディングス」代表取締役社長CEO、「ホリプログループ」会長に就任すると、
2026年現在は、村上春樹さんの小説や、漫画「デスノート」を原作とする舞台を、ヨーロッパやアジアなど海外に輸出するなど、演劇の海外上演に積極的に取り組んでいるといいます。
堀義貴の妻は?
堀義貴さんは、結婚しているようですが、奥さんについてほとんど語っていないため、馴れ初め、結婚に至った経緯について詳しいことは不明ですが、
堀義貴さんは、
ビジュアル系のバンドが新しく所属した頃だったんですが、最初は「GLAY」が何人組なのか、「L’Arc-en-Ciel」が何人組なのかもわからなかった。
でもやっぱりいろいろ聴かなくちゃいけないから聴きますけど、それを音楽鑑賞って言えるのかね(笑)。映画はうちの女房がまだニッポン放送で映画担当をしているので、好きで観てるのもあります。
と、語っており、
奥さんとは、「ニッポン放送」時代に知り合ったようです。
堀義貴の子供は?
また、子供については、堀義貴さんは、2002年のインタビューで、
(子供は)いません。まだ働いてますからね。映画祭やってる時は、妻は朝の10時ぐらいに帰ってきて、僕は10時に会社に行く。夕方の5時からあいつは出勤で、1週間ずっとオールナイトやってましたから。
と、語っているのですが、
2026年現在も、子供がいないかどうかは不明です。
さて、いかがでしたでしょうか。
堀義貴さんの、
- 堀義貴の生い立ちは?萩本欽一の弟子希望も父・堀威夫に反対されていた!
- 堀義貴のプロフィール
- 堀義貴が幼い頃は東京・赤坂の繁華街のど真ん中の狭いアパートで育っていた
- 堀義貴が幼い頃は子供心に自身の家庭に違和感を感じていた
- 堀義貴が幼い頃、父・堀威夫率いる「ホリプロ」は激動の真っ只中だった
- 堀義貴の少年時代は父・堀威夫に音楽的な環境を一切与えられなかった
- 堀義貴は少年時代に萩本欽一に憧れ弟子入りを希望するも父・堀威夫に反対され断念していた
- 堀義貴は高校1年生の時に学園祭で屋外イベントの仕切りをして大勢の前で喋る楽しさに目覚めていた
- 堀義貴は高校生の時にプロデューサー的な役割にも目覚め始めていた
- 堀義貴の大学時代はバブル絶頂期で麻雀、飲み会、ディスコに明け暮れる毎日だった
- 堀義貴(堀威夫の息子)の若い頃はニッポン放送で「尾行マン」「沈黙の艦隊」!
- 堀義貴は22歳の時にニッポン放送に入社
- 堀義貴は22歳の時に「ニッポン放送」の編成局(最も嫌われているセクション)に配属されていた
- 堀義貴が22~23歳の頃には「ニッポン放送」のラジオ番組にレギュラー出演もしていた
- 堀義貴は20代前半の頃「ニッポン放送」で実況中継番組「尾行マン」を企画していた
- 堀義貴が企画した「尾行マン」とは?
- 堀義貴が企画した「尾行マン」は大ヒット中に惜しまれつつ終了していた
- 堀義貴は20代前半の頃「ニッポン放送」で長編ラジオドラマ「沈黙の艦隊」も大ヒットさせていた
- 堀義貴(堀威夫の息子)の若い頃(ホリプロ入社)から現在は?妻は?子供は?
- 堀義貴は26歳の時に「ニッポン放送」への情熱が揺らいでいた
- 堀義貴は26歳の時に父・堀威夫から「ホリプロ」を継ぐよう熱心に誘われていた
- 堀義貴は26歳の時に父・堀威夫が創業した「ホリプロ」に入社し、36歳の時に社長に就任していた
- 堀義貴の現在は?
- 堀義貴の妻は?
- 堀義貴の子供は?
について、ご紹介しました。
「ニッポン放送」で「尾行マン」「沈黙の艦隊」などを大ヒットさせると、26歳の時には父・堀威夫さんに請われて「ホリプロ」に入社し、10年間様々な業務を経験して、36歳の時、満を持して「ホリプロ」社長に就任した堀義貴さん。
そんな堀義貴さんは、現在も引き続き、社長、そして、グループ会長として日本の文化・エンターテインメント界を牽引しているのですが、今後、日本のエンターテインメント界にどのような風を吹き込んでいくのか、まだまだ目が離せません。
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成蹊大学法学部卒業後、ニッポン放送に入社し、「尾行マン」「沈黙の艦隊」などをヒットさせると、その後、父・堀威夫さんが創業した芸能プロダクション「ホリプロ」に入社し、現在は、「ホリプロ」の社長・グループ会長として、日本の文 …







