五木ひろしさんの「長良川艶歌」「居酒屋」「契り」等で「日本レコード大賞」「日本歌謡大賞」「日本作詩大賞等」を受賞するほか、前川清さん、研ナオコさん、石川さゆりさん、山本譲二さんらもプロデュースしていた、ひのきしんじさんですが、

1955年、10歳の時には、映画「しいのみ学園」に子役として出演し、中学生の時には、テレビドラマ「怪人二十面相」の小林少年役でブレイクして、レコードも次々とリリースしていたといいます。

今回は、そんなひのきしんじさんの、生い立ち、若い頃から死去までの経歴を、代表作や結婚も交えて時系列でご紹介します。

ひのきしんじ

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ひのきしんじのプロフィール

ひのきしんじさんは、1945年1月2日生まれ、
東京都の出身、

歌手時代は、「檜晋樹」「桧晋樹」(どちらも読み方同じ)名義で活動していたそうです。

ひのきしんじは幼い頃は映画「しいのみ学園」に子役として出演していた

ひのきしんじさんは、小学4年生の時、小学校の学芸会に出演したことがきっかけで、演劇に興味を持つと、「劇団若草」に入団して、子役として活動を始めたそうで、

1955年、10歳の時には、映画「しいのみ学園」ほか、数多くの映画に出演したそうです。

「しいのみ学園」
「しいのみ学園」

(この「しいのみ学園」では、香川京子さん、宇野重吉さん、河原崎建三さん(子役)らがメインキャストで出演しています)

ひのきしんじは中学生の時にテレビドラマ「怪人二十面相」の小林少年役でブレイクしていた

そんなひのきしんじさんは、中学生の時には、テレビドラマ「怪人二十面相」で小林少年役として出演すると、一躍、ブレイクを果たしています。

「怪人二十面相」
「怪人二十面相」より。中央がひのきしんじさん。

ひのきしんじは17歳の時に「星に呼んだよ/ユーウツなんだ」で歌手デビューするも鳴かず飛ばずで20歳で引退していた

その後、ひのきしんじさんは、レコード会社から「唄うテレビスター」として売り出され、1962年5月、17歳の時、「星に呼んだよ/ユーウツなんだ」(「桧晋樹」名義)で歌手デビューするのですが・・・

「星に呼んだよ/ユーウツなんだ」
「星に呼んだよ/ユーウツなんだ」

以降、次々とレコードをリリースするも、鳴かず飛ばずだったそうで、

1965年、20歳の時、一旦、芸能界を離れて、学業に専念したそうです。

ひのきしんじは28歳の時に音楽ディレクター

その後、ひのきしんじさんは、歌手での経験を活かし、音楽ディレクターに転身すると、芸名を「ひのきしんじ」に改名し、

1973年には、ロックバンド「四人囃子」(よにんばやし)のサウンドトラックアルバム「二十歳の原点」、1974年には、スタジオアルバム「一触即発」(1974年)のディレクションを担当するほか、ラジオ番組「歌謡バラエティ」では、DJとプログラムディレクターも務めています。

ひのきしんじは29歳の時、自身でプロデュースし歌唱したシングル「僕から」がヒット

そんなひのきしんじさんは、1974年8月25日、29歳の時には、自身がプロデュースを務め、歌唱を担当した、シングル「僕から」をリリースすると、ヒットを記録しています。


「僕から」

ひのきしんじは37歳頃から五木ひろしの「居酒屋」「契り」「長良川艶歌」などのプロデュースを担当し数々の音楽賞を受賞していた

また、ひのきしんじさんは、音楽プロデューサーとしても、五木ひろしさんの代表曲である「居酒屋」(木の実ナナさんとのデュエット 1982年)、「契り」(1982年)、「長良川艶歌」(1997年)などを手掛けると、

「日本レコード大賞」「日本歌謡大賞」「日本作詞大賞」といった数々の主要音楽賞を受賞しているのですが、

「契り」
「契り」

五木ひろしさんのほかにも、石川さゆりさん、研ナオコさん、前川清さん、山本譲二さん、モンゴル出身の歌手・オユンナさんなど、第一線で活躍する演歌・歌謡界の大物歌手のプロデュースを幅広く担当し、ヒットメーカーとして確固たる地位を築いています。

ひのきしんじは71歳頃にはソプラノ歌手の中丸三千繪などジャンルの枠を超えたプロデュース活動を展開していた

さらに、ひのきしんじさんは、2016年頃には、ソプラノ歌手の中丸三千繪さんをはじめ、雨谷麻世さんや黒川泰子さんなど、クラシックの世界にもその活動の幅を広げ、ジャンルを超えたプロデュースを展開しています。

ひのきしんじと雨谷麻世
ひのきしんじさんと雨谷麻世さん。

ひのきしんじは81歳で死去

そんなひのきしんじさんも、2026年、81歳で他界されていたといいます。

というのも、ひのきしんじさんが死去したことは、なぜかメディアでは報じられておらず、

親交のあったミュージシャン・伊藤銀次さんが自身のブログで、

音楽プロデューサーのひのきしんじさんが亡くなられました。僕が少年の頃、ひのきさんはテレビの「怪人二十面相」で少年探偵団の小林少年を演じられて僕のヒーローでした。

そのことをFacebookでひのきさんにお知らせしたらお友達に。FMの番組に出していただいたりとても可愛がってくださったやさしい先輩でした。

タイミングが合わなくて僕のライヴをみていただけなかったのが心残り。とてもさみしく悲しい … 。いまはご冥福を祈るばかりです。

と、綴ったことで、他界されていたことが明らかとなりました。

(そのため、死因などは不明です)

ひのきしんじと伊藤銀次
伊藤銀次さんのブログより。ひのきしんじさん(左)と伊藤銀次さん(右)。

ひのきしんじの妻は本間千代子

ところで、ひのきしんじさんは、1976年、女優で歌手の本間千代子さんと結婚しています。

ただ、ひのきしんじさんは、プライベートについて、ほとんど語っておらず、本間千代子さんと、いつ頃、どのように知り合い、結婚に至ったかは不明です。

(本間千代子さんは、もともとは、童謡歌手として活動し、レコードも数多くリリースしていることから、仕事が縁で知り合ったのかもしれません)

ひのきしんじの妻・本間千代子との夫婦仲は?

そんなひのきしんじさんと本間千代子さんは、2003年から2025年3月24日まで、約22年間という長きに渡り、ラジオ番組「おはようサタデー」のパーソナリティーとして共演しており、

長年、生放送で息の合った掛け合いを見せていたことから、夫婦仲はとても良かったと思われます。

また、妻の本間千代子さんは、47歳で慶應義塾大学に入学すると、6年かけて卒業し、その後は、日本大学大学院の入学試験に挑戦して合格するなど、向学心にあふれているのですが、

自身の努力はもちろんのこと、ひのきしんじさんの理解やサポートがあったからこそ、実現できたことが伺えます。

とはいえ、ひのきしんじさんの死去に際し、本間千代子さんからは一切コメントは発表されていないようです。

その理由は不明ですが、ひとりで静かに、最愛の夫の死を悼みたいという思いがあったのかもしれません。

ひのきしんじと妻・本間千代子
ひのきしんじさんと妻の本間千代子さん。

ひのきしんじの子供は?

ちなみに、ひのきしんじさんと本間千代子さんの間には、男の子が2人誕生しているそうですが、情報がないことから、二人とも、芸能関係者ではないようです。

また、息子さんたちはすでに結婚し、子供も誕生しているとのことです。

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ひのきしんじのディスコグラフィー

それでは、最後に、ひのきしんじさんのディスコグラフィーをご紹介しましょう。

シングルでは、

  • 1962年「星に呼んだよ」/「ユーウツなんだ」
  • 1962年「カッコいい娘」/「お姉さんと呼んだ人」
  • 1962年「泣きたくなったら」/「黒い夜霧」
  • 1962年「美少年」/「あの娘が住んでる街へ」
  • 1962年「若い旅愁」/「銀座テキサス」
  • 1962年「小っちゃなレディ」/「あの娘は星になっちゃった」
  • 1962年「旅人」/「いつもの街角」
  • 1963年「君嫁ぐ日ちかく」/「ねむの木の下で」
    「君嫁ぐ日ちかく」
    「君嫁ぐ日ちかく」
  • 1963年「小太郎笠」/「若武者出陣」
  • 1963年「ジャンプ63」/「遠い道」
  • 1964年「丘の校舎」/「若いぼくら」
    「丘の校舎」
    「丘の校舎」
  • 1964年「赤いスポーツカー」/「思い出の橋」
  • 1964年「ビルと涙と青空と」/「ひとつのリンゴ」
  • 1964年「ハモニカ列車」/「ヨットで旅へ出よう」
  • 1964年「あの星は僕のもの」/「まっすぐ行こうぜこの道を」
  • 1964年「大空の慕情」
  • 1965年「風の中の口笛」/「ひとりぼっちトーキョー」
  • 1965年「東京渋谷」/「君はりんどう初恋の花」
    東京渋谷
    「東京渋谷」
  • 1965年「君にさよなら」/「泣かせちゃいやだ」
  • 1966年「君が欲しいんだ」/「愛してなんかいやしない」
  • 1974年「僕から」/「ふたりのさざ波」

アルバムでは、

などをリリースしています。

また、2010年には、アルバム「僕から オクターブ+1」が、35年ぶりに音楽配信で蘇っています。

お読みいただきありがとうございました

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