「日活」の青春映画に数多く出演し、吉永小百合さん、松原智恵子さんとともに、「日活3人娘」としてブレイクするほか、 日本人女性として初めて北極点に到達するなど、冒険家としても活動された、和泉雅子(いずみ まさこ)さん。今回は、そんな和泉さんの幼少期をご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?
和泉さんは、1947年7月31日生まれ、
東京都中央区銀座4丁目(三原橋)のご出身、
身長156センチ、
血液型はA型、
学歴は、
聖ヨゼフ幼稚園
⇒東京都中央区立泰明小学校
⇒精華学園女子中学校・高等学校卒業
(出席日数が足りず、20歳の時、ようやく卒業できたそうです)
趣味は、
生け花、長唄、鼓、日舞、タップダンス、釣り、合気道、
ちなみに、
先祖は、豊臣秀吉の(若い頃に)軍師として活躍した竹中半兵衛だそうです。
本名は?愛称は?
和泉さんは芸名を使わず、そのまま本名の「和泉雅子」で活動されており、愛称は「マコちゃん」なのですが、「日活」入社当初は、北原三枝(石原裕次郎さんの妻で、本名は石原まき子)さんが、「マコちゃん」と呼ばれていたことから、和泉さんは、「マコチン」「マー坊」などと呼ばれていたそうで、
北原さんが「日活」を退社された後、新しく「日活」に入って来た人たちから「マコちゃん」と呼ばれるようになり、ファンからも「マコちゃん」と呼ばれるようになったそうです。
両親は大衆食堂を経営していた
和泉さんのお父さん・和泉宗太郎さんの実家は、東京・台東区谷中にあった「和泉屋石材店」で、叔父さんも、「東京都石材協同組合」の組合長をしていたそうですが、和泉さんのおじいさんの弟がマグロ屋だったことから、お父さんは、「石よりマグロのほうがいい」と築地に修業に行ったそうで、
最初はとんかつ屋、そして、和泉さんが幼稚園に入る少し前くらいから、「太泉食堂(たいせんしょくどう)」という大衆食堂をされ、お寿司、天ぷら、うなぎなどを出していたそうです。
美男美女の両親のもと誕生
ちなみに、そんな和泉さんのお父さんは、「銀流しの宗ちゃん」と言われるほど美形で、遊び好きだったそうですが、お母さんの満代さんも「銀座小町」と呼ばれるほどの美女だったそうで、そんな美男美女の間に2人姉弟の長女として和泉さんは誕生すると、
群馬や茨城など近郊から来た従業員約20人と、お母さんの従妹がやっている乾物屋の人たちと一緒に住み、大勢の大人たちに囲まれて育ったそうです。
(当時は住み込みで働くことが当たり前の時代だったそうです)
4、5歳の時から一人で起きて弟を連れて幼稚園に通っていた
そんな和泉さんですが、両親が夜遅くまで働いていたため、4、5歳の頃から、朝は一人で起き、冷蔵庫からうどんを取り出して、すぐ横のガス台にかかっている鍋で温めた後、弟さんを起こして朝ごはんを食べさせ、
その後、弟さんを連れてバスに乗り、中央区明石町にあった「聖ヨゼフ幼稚園」まで通うなど、とてもしっかりとした子どもだったそうです。
(6畳一間に布団を3枚敷いて家族4人が寝ていたそうですが、お店は午前11時から午後11時まで営業していたことから、深夜に寝ていたお父さんとお母さんは、朝は起きてこなかったそうです)
ちなみに、お弁当を持たずに幼稚園に行っていた和泉さんと弟さんのため、お昼近くになると、お寿司や天ぷらなどの出前が幼稚園に届けられたそうですが、
和泉さんは、友達のお弁当を交換してもらって食べていたそうで、和泉さんにとっては、お弁当を持って行って食べることに憧れていたそうです。
(大人たちが仕事で忙しく、近所の「泰明小学校」の近くに新しい幼稚園ができたのを誰も知らなかったことから、和泉さんは、わざわざ遠い「聖ヨゼフ幼稚園」に入り、通ったのだそうです)
「和泉雅子は小学校が嫌でたまらず「劇団若草」に応募していた!」に続く
幼い頃の和泉さんと2歳年下の弟・寿時(ひさとき)さん。