1982年、欽ちゃんファミリーの一員として、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」で活躍された、風見しんご(かざみ しんご)さん。1983年に、ファーストシングル「僕笑っちゃいます」が大ヒットを記録し、一躍トップアイドルになられると、その後は多くのバラエティ番組に出演。風見さんが出演すると、高視聴率となることから、「視聴率を稼げるタレント」としてバラエテイ番組で引っ張りだことなられます。

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年齢は?出身は?身長は?

風見さんは、
1962年10月10日生まれ、
広島県広島市西区のご出身、

身長169センチ、

血液型はA型、

本名は、大下義博、

学歴は、
成蹊大学工学部中退、

だそうです。

「劇男零心会」に参加

風見さんは、大学在学中の1980年、
「東京ビクトリークラブ」のメンバーだった、
哀川翔さんを原宿で見て、

「チームに入れてください」

と懇願し、
「東京ビクトリークラブ」に入られると、

その後は、哀川さんが始めた、
劇団「劇男零心会」に参加され、

劇団員として、厳しい稽古の日々を、
送られたそうです。

(ちなみに、劇団「劇男零心会」には、ほかに、
 野々村真さんや羽賀研二さんもおられたそうです。)

欽ちゃんファミリーの一員に

そんな風見さんは、1982年、
萩本欽一さんのバラエティ番組、
「欽ちゃんの週刊欽曜日」のオーディションに、

野々村さんの付き人として同行されるのですが、
なんと、風見さんが合格。

風見さんは、萩本さんに出会われた時、
大きな声で挨拶されたのですが、
それが、萩本さんに気に入られたそうで、

有名人を前に萎縮することもなくて、
バカでかい声であいさつして合格!

と、言われたそうで、

こうして、風見さんは、
「欽ちゃんファミリー」の一員となられたのでした。


「欽ちゃんバンド」(上段左から)天園翔子さん、佐藤B作さん、小西博之さん、
(下段左から)風見さん、萩本欽一さん、清水由貴子さん、清水善三さん。

デビュー曲「僕笑っちゃいます」が大ヒット!

ところで、当時、萩本さんは、
「欽ちゃんファミリー」のメンバーに、
歌を歌わせていたのですが、

その例にもれず、風見さんも、萩本さんから、
歌を歌うように言われたそうで、

歌うことに自信がなかった風見さんは、
躊躇しつつも、やってみることに。

そして、ほどなくして、
歌のレッスンに通い始められるのですが、

それを知った萩本さんから、

すぐ習うのやめなさい。
誰もうまく歌うことなんて期待してないから。
そのままの慎吾(※当初の芸名は風見慎吾)の歌を聞きたいんだから。

と、言われ、
レッスンは辞められたそうです。

ただ、その頃、萩本さんはすでに、
風見さんのデビュー曲を吉田拓郎さんに依頼されており、

1983年5月、風見さんは、
「僕笑っちゃいます」でレコードデビューを果たすと、
いきなり大ヒットを記録。


「僕笑っちゃいます」

「第16回日本有線大賞最優秀新人賞」
「第16回日本レコードセールス大賞新人賞」
(男性部門)

などを受賞され、一躍、
人気アイドルとなられたのでした。

「涙のtake a chance」ではブレイクダンスを披露

風見さんは、その後も、

1983年11月には、
2枚目のシングル「泣いちっちマイ・ハート」


「泣いちっちマイ・ハート」

1984年6月には、
3枚目のシングル「そこの彼女」


「そこの彼女」

をリリースされるなど、順調に、
アイドルとしての活動を続けられると、

1984年12月、
4枚目のシングル「涙のtake a chance」では、

「どうせなら誰もやっていないことをやりたい」

と、当時アメリカで流行っていた「ブレイクダンス」を、
振り付けに取り入れることを考え、
ニューヨークに出向いて猛特訓。

歌番組などで、「ブレイクダンス」を披露し、
大きな話題を呼んでいます。


「涙のtake a chance」

また、1985年4月にリリースされた、
5枚目のシングル「Beat On Panic」では、

ヌンチャクを使った、
さらに激しいダンスを披露。


「Beat On Panic」

打ち込みを導入したエレクトロ風な楽曲で、
ラップが取り入れられるなど、
当時としては、斬新な試みで、
この曲でも注目を集められたのでした。

(※打ち込みとは、リズムマシーンなどの機器で、
 ドラムやベース部分を自動演奏させることで、
 ダンサブルな仕上がりになるそうです。)

俳優として、映画でも活躍

また、風見さんは、
俳優として映画にも出演され、

1987年「泣き虫チャチャ」
     「あいつに恋して」

1992年「200X年 翔」

では、いずれも主演。

ちなみに、「あいつに恋して」では、
相手役オーディションで、森高千里さんが選ばれ、

「200X年 翔」では、デビュー前の「KinKi Kids」のお二人、
堂本光一さん、堂本剛さんと共演されています。


「200X年 翔」より。右端が風見さん。
左端のお二人は、堂本剛さんと堂本光一さん。

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視聴率を稼げるタレント

その後、風見さんは、
アイドルの枠を超えた活動を展開。

特に、1990年代には、
バラエティ番組に数多く出演されているのですが、

風間さんが出演されると、視聴率が上がることから、
視聴率を稼げるタレントとして、
各局の社長賞及び会長賞を何度も受賞。

例えば、
「開運!なんでも鑑定団」
「チューボーですよ!」
「天才!志村どうぶつ園」

などの人気番組も、
当初は視聴率が今ひとつだったのですが、

風見さんがゲスト出演されたことによって、
最高視聴率を叩き出し、その後、
人気番組へとなっていったのだとか。


「天才!志村どうぶつ園」より。

また、風見さんご自身、1982年のデビューから、
レギュラー番組を途切らせたことがなく、

2017年1月期現在で、レギュラー番組96本という、
驚異的な数字を誇っています。

そんな順調満帆な風見さんでしたが、
プライベートでは、思わぬ、
ご不幸に見舞われることに・・・

「~長女が事故死~長男は死産~」続く

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