「俳優座養成所」で学び、卒業後は、女優として活動していた、大山のぶ代(おおやま のぶよ)さんですが、ある時、その特徴的な声から、アニメの少年役の声を演じることを勧められます。

「大山のぶ代の若い頃は俳優養成所!喜劇役者もしていた?」からの続き

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アニメの声優として

「俳優座養成所」を卒業後は、シリアスな作品から喜劇まで、幅広いジャンルの作品に出演し、女優としてのキャリアを積まれていた大山のぶ代さんですが、

ある時、

あなたの声は少年の役に向いている

と、言われたことがあったそうで、1957年、洋画「名犬ラッシー」の吹き替えで、声優デビュー。

1960年には、NHKの幼児教育番組「おかあさんといっしょ」内コーナーの人形劇「ブーフーウー」のブー役を担当すると、このことがきっかけとなり、次第に声優の仕事が増えてくるようになったそうで(ちなみに、ウー役は黒柳徹子さん)、


「ブーフーウー」当時の大山のぶ代さん(左端)と黒柳徹子さん(右端)。

以降、

1965年「ハッスルパンチ」パンチ役
     「タコのロクちゃん」ロクちゃん役
     「スーパージェッター」アレキサンダー王子役

1966年「ハリスの旋風」石田国松役
1967年「リボンの騎士」眠りの精サンド役
1968年「巨人の星」飛雄馬のクラスメイト役(※ノンクレジット)
     「妖怪人間ベム」ジャム役

1969年「サザエさん」初代・磯野カツオ役
     「ハクション大魔王」弱井役

1970年「のらくろ」のらくろ役
1971年「国松さまのお通りだい」石田国松役
1972年「ハゼドン」ハゼドン役
1973年「けろっこデメタン」ヘソ蛙役
1977年「無敵超人ザンボット3」神勝平役

ほか、ハスキーな声質を活かし、主に「女性の声」以外の役を多く演じられたのでした。

「サザエさん」で初代・磯野カツオの声を担当

そんな大山のぶ代さんは、1969年10月から放送された、アニメ「サザエさん」では、初代・カツオの声を演じられているのですが、アニメ放送開始からたったの3ヶ月の12月で降板。(以降、高橋和枝さんが長年カツオの声を担当されました)

当時、降板理由は、「体調不良」だと発表されていたのですが・・・

後に、大山のぶ代さんは、ラジオ番組「恵俊彰のディア・フレンズ」に出演された際、

あれだけは自分で降りた

と、明かされています。

なぜ降板したのか、理由は明かされていないのですが、その言い回しからは、どうしても我慢できないことなど、何か大きな理由があったことが想像できます。

ちなみに、大山のぶ代さんの後任の高橋和枝さんは、後に、逆に、ドラえもんが青くなる前の黄色いドラえもんの声を担当されました♪

「ドラえもん」の声のオファーを受ける

その後、大山のぶ代さんは、アニメーションの作風が、ただただ人を傷つけるような内容へと変わっていき、好きではない作品が増えていったことから、しばらく声優の仕事を休んでいたことがあったそうですが、

そんな中、大山のぶ代さんが主演を務めたアニメ「ハリスの旋風」の録音監督だった浦上靖夫さんから、

「ドラえもん」の声の仕事をやってみないか

と誘われ、パイロット版を見せられると、とにかく主人公のドラえもんがかわいいと思ったそうで、

コミックを買って読んでみると、表面的には子ども向けのマンガという形になっているものの、大人が読んでも面白いSFだと感じ、なんと、一晩で一気に15冊を読み、引き受けることを決意。

大山のぶ代さんは、すぐに担当者に引き受けることを伝えると、そこから何度かテストを繰り返し、収録に臨まれたのでした。

「ぼくドラえもんです」は大山のぶ代のアイディアだった

ただ、原作(台本)のドラえもんは、ガサツでぶっきら棒なキャラで、自分のことを「俺」と言うほか、いじめっ子のジャイアンは、「バカヤロー」「ぶっ殺す」「おい、この野郎」などの言葉を使うなど、かなり殺伐としていたそうで、

大山のぶ代さんは、これではいけないと思い、

小さい子供が観る作品なんだから、悪い言葉は使わないようにしよう

と、セリフの手直しを提案。

これに、ジャイアン役の肝付兼太さんは、

だって、台本に書いてあるんだよ

と、困ってしまったそうですが、

それでも、大山のぶ代さんは、ドラえもんは、未来から来た子守用ネコ型ロボットなのだから、いつでものび太を見守っているお母さんのような存在で、乱暴な言葉が最初からインプットされているはずはないと、演出家の理解を得て、

のび太に対する自己紹介では、

こんにちは、ぼくドラえもんです

と、いうセリフに変えるほか、

この、この、のび太のくせに

など、今では定番となったジャイアンのセリフも、テレビの前の子どもに配慮し、大山のぶ代さんが考え出したのでした。

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原作者・藤子・F・不二雄からも認められる

とはいえ、原作である藤子・F・不二雄さんのコミックでは、台本と同じ言葉遣いだったことから、大山のぶ代さんは、藤子さんがどう考えているのか、とても不安になったそうで、

初めて藤子さんと会った時、

ドラえもんの声、いかがでしょうか?

と、恐る恐る聞いてみたところ、

藤子さんは、

第1話を見ましたが、ドラえもんってああいう声をしていたんですね

と、言ってくれたそうで、

大山のぶ代さんは、

役者冥利に尽きるホメ言葉だと思いました。先生には別の声のイメージがあったのかもしれませんが、私の演じるドラえもんもドラえもんとして認めてくださったということじゃないですか。本当にうれしかったですね。

と、喜びを語っておられました。

(実は、「ドラえもん」は、1973年4月からアニメが放送開始するも、たった半年で終了しており、この時、ドラえもんの声は、冨田耕生さんと野沢雅子さんが担当されていました。なので、大山のぶ代さんバージョンの「ドラえもん」は第2弾にあたります。⇒「旧ドラえもん(日テレ版)はオヤジ声?悪ガキのび太と怖くないジャイアン?」

「大山のぶ代は直腸ガン手術でドラえもん降板を決意していた!」に続く

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