1958年、「東芝日曜劇場」の第93回「橋づくし」でデビューされて以来、50年以上もの間、プロデューサーとして活躍されている、石井ふく子(いしい ふくこ)さん。今回は、そんな石井さんのデビューからのプロデュースドラマと演出舞台を画像を交えてご紹介します。
「石井ふく子はTBSを一度辞めていた!その理由とは?」からの続き
プロデュース作品(テレビドラマ)
それでは、ここで、石井さんの主なプロデュース作品をご紹介しましょう。
1961年「忍ぶ川」
1962年「続・忍ぶ川」
1963年「忍ぶ川 その三」
1964年「愛と死をみつめて」
1965~1980年「女と味噌汁」
「女と味噌汁」より。(左から)池内淳子さん、久松保夫さん、結城美栄子さん、長山藍子さん。
1966~1978年「天国の父ちゃんこんにちは」
1968~1972年「肝っ玉かあさん」
1970年「カミさんと私」
1970~1975年「ありがとう」
1970~1974年「下町の女」
「肝っ玉かあさん」より。主演の京塚昌子さん。
1974年~1993年「おんなの家」
1976年~1984年「ぼくの妹に」
1975年「はじめまして」
1977年「家族」
「二階」
「おんなの家」より。(左から)奈良岡朋子さん、杉村春子さん、山岡久乃さん。
1978年~1979年「道」
1979年「女たちの忠臣蔵」
1979年~1980年「愛」
1980年~1981年「心」
「女たちの忠臣蔵」より。(左から)池内淳子さん、上村香子さん、杉村春子さん。
1981年「出会い」
1985年「花のこころ」
1990~2011年「渡る世間は鬼ばかり」
2018年「あにいもうと」
2020年「あしたの家族」
「渡る世間は鬼ばかり」より。(左から)野村真美さん、長山藍子さん、藤田朋子さん、中田喜子さん、泉ピン子さん。
「あしたの家族」より。(左から)永山瑛太さん、宮﨑あおいさん、松坂慶子さん、松重豊さん。
ほか、数多くのテレビドラマをプロデュースされています。
演出作品(舞台)
また、演出家としても、
1968年「なつかしい顔」
1973年「春秋めおと囃子」
1976年「夏のふたり」
1977年「秋のかげろう」
1978年「花の巴里の橘や」
1980年「花の三角野郎」
「花の巴里の橘や」のポスターより。
1985年「幸福」
1986年「花のこころ」
1987年「お嫁に行きたい!!」
1989年「春日局」
1991年「男を金にする女」
1993年「品川心中」
「春日局」より。一路真輝さん(左)と高島礼子さん(右)。
1994年「お夏狂乱」
1995年「お美津」
1997年「あさき夢みし」
1999年「規子と弓代」
2000年「男を金にする女」
「男を金にする女」のポスターより。
2001年「空のかあさま」
2004年「初蕾」(芸術座 京野ことみ主演)
「初蕾」(南座 高橋惠子主演)
「男を金にする女」
2005年「娘よ」
「喜和」
「初蕾」製作発表会見より。(左から)石井さん、京野ことみさん、池内淳子さん、大空眞弓さん、宇津井健さん。
2006年「京紅ものがたり」
2007年「忠臣蔵 いのち燃ゆる時」
2008年「御いのち」
「華々しき一族」
2009年「おしん」
「華々しき一族」のポスターより。
2011年「女の人指し指」
「女たちの忠臣蔵」
2013年「かたき同志」
2016年「花嫁」
2017年「君はどこにいるの」
2019年「恋桜―いま花明かり―」
ほか、数多くの舞台を演出されています。
90歳にして舞台「君はどこにいるの」を演出
ところで、石井さんは、2017年、戦時中を舞台に、父と娘の絆を描いた舞台「君はどこにいるの」を、なんと、90歳にして演出されているのですが、
実は、この作品、石井さんが、1968年11月に、劇団「新派」の俳優で、義父の伊志井寛さんに勧められて、演出家デビューされた特別な作品だそうで、
石井さんは、
同い年(設立90年)の三越劇場から依頼があったので、初心に戻ろうと、あえてデビュー作にしたんです。初回を踏襲しながら半世紀の経験を生かし、現代の人も心を寄せやすいように工夫しました
と、明かされています。
(当時は、「なつかしい顔」というタイトルだったそうで、今回、内容を現代風にアレンジし、当時の副題だった「君はどこにいるの」をタイトルにされたそうです)
「君はどこにいるの」でスタッフと意見を交わす石井さん。
演出は義父・伊志井寛に勧められて
ちなみに、この作品は、もともと1968年7月に、「TBS」でドラマ化されており、その際、主人公・省二郎役を演じた、劇団「新派」の俳優で義父の伊志井寛さんから、「新派でもやりたい」と、舞台での演出を依頼されたそうですが、
演出は、お前がやれ。小さいころから新派を見ているから大丈夫だろう
と、言われたことから、見るのと実際やるのとでは、大きく違うため、
石井さんは、当初、
そんな危険なことはできません
と、断られたのだそうです。
ただ、三日三晩口説かれたそうで、結局、根負けし、
私の言った通りに動いてください
と、条件を出して引き受けられたそうですが、
この作品で、石井さんは演出家としてもデビューされたのでした。
60年以上「またね」を大切に
以来、舞台の演出にも携わられてきた石井さんですが、テレビドラマと舞台の違いについては、
黒子のプロデューサーと、言いたいことを言わなければいけない演出は全く違うもの。共通しているのは責任を持って、やるということ
と、語るも、
死が隣り合わせだった戦争中は「さよなら」と別れて、翌日会えないこともありました。だから、別れるときは「またね」って。きょうも終演後にダメだしをした俳優さんに「また明日。よろしく」って言いました
と、おっしゃっており、石井さんの温かな心遣いは、テレビドラマでも舞台でも共通しているようです。
(そのため、石井さんは、60年以上も「またね」という言葉を大切にしているそうです)
受賞・受章歴
こうして、様々な作品に携わってきた石井さんは、1971年には、「東芝日曜劇場」のプロデュースで「第8回放送批評家賞(ギャラクシー賞)」を受賞されているほか、
1981年には、「日本女性放送者懇談会賞」
2004年には、「菊田一夫演劇賞・特別賞」
2016年には、「毎日芸術賞」
などを受賞。
1989年には「紫綬褒章」も受章されています。
「石井ふく子は「ありがとう」で水前寺清子に美人じゃないからとオファーしていた?」に続く