出演予定だった東京五輪の開会式を、前日の2021年7月22日に、突然、辞退していたことが、7月29日発売の「週刊文春」により報じられ、大きな話題となった、竹中直人(たけなか なおと)さん。いったい何があったのでしょうか。
「竹中直人が娘と2ショット!息子は?」からの続き
オリンピック開会式を前日に辞退していた
2021年7月29日発売の「週刊文春」に、東京五輪の開会式を前日になって辞退していたことが報じられた竹中さんですが、
実は、竹中さんは、1985年に発売されたビデオ作品「竹中直人の放送禁止テレビ」の中で、目の不自由な人が携帯する白杖(はくじょう)をリズミカルに振り回しながら、信号機のメロディを頼りに、横断歩道を渡るなど、障害者をネタに笑いを取っていたそうで、
当時、竹中さんは、障害者団体から批判され、直接謝罪していたというのです。
小山田圭吾の出演辞退や小林賢太郎の解任を受けての辞退だった
そんな過去があった竹中さんは、2021年7月中旬、東京五輪とパラリンピックの開会式の楽曲を担当する予定だったミュージシャンの小山田圭吾さんが、過去のイジメ行為(障害のある生徒などへイジメをしていたことを告白)が問題視されて批判を浴び、開会式の4日前に辞任するほか、
ショーディレクターを務めていた小林賢太郎さんも、過去に演じたコントの中で、ユダヤ人大量虐殺を揶揄(やゆ)するセリフを使っていたとして(人の形に切った紙が数多くあることを説明するのに、「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」と発言)、開会式前日の7月22日に解任されたのを鑑み、
「皆さんにご迷惑をかける」と、開会式辞退の意向を事務所に伝えていたそうで、7月22日、事務所が、「東京2020組織委員会」側に出演辞退を申し入れたそうで、
竹中さんのマネージャーによると、
「放送禁止テレビ」が原因で辞任したのは事実です。小山田さんの問題が浮上した時、竹中本人から「三十六年前にこういう作品に出演している」と連絡があり、辞退したいと申し出てきた。
ただ、この作品では竹中は演者。企画者でもプロデューサーでもないので、私は「予定通りお願いします」と。しかし、小林さんが解任された際、コントでの言動が問題になった。これでは竹中も許されないと考えて、竹中から組織委に申し入れ、承認されました。
とのことでした。
「竹中直人の放送禁止テレビ」の内容は?
ちなみに、この「竹中直人の放送禁止テレビ」(1985年発売)、前述の身体障害者を扱ったネタのほか、竹中さんが死体を模したセーラー服姿のマネキンに様々な性的なイタズラをするなど、下ネタが中心だったそうですが、
時期は不明ですが、発売元が自主回収していたそうで、それほど過激な内容だったようです。
(竹中さんのほか、久本雅美さん、柴田理恵さん、梅垣義明さん、村松利史さん、吹越満さん、落語家の林家正蔵さんらが出演していたそうです)
「竹中直人の放送禁止テレビ」より。(クリックでyoutube)
さて、いかがでしたでしょうか。
竹中さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 母方の先祖(高祖父)は五島福江藩の召し抱え絵師
- 母方の曽祖父は代書人
- 母方の祖父・長谷川正直は貿易商として成功を収めていた
- 戦後恐慌で一変
- 横浜で再起を図るも長男と次男が相次いで他界
- 祖父・長谷川正直は「横浜港ドイツ軍艦爆発事故」に巻き込まれて死去
- 事故原因は些細な気の緩みだった
- 目撃者の証言
- 「横浜港ドイツ軍艦爆発事故」の詳細は情報統制で公表されなかった
- 父方の先祖(高祖父)は弘前藩の足軽
- 父・竹中博美が誕生
- 父と母の馴れ初め
- 両親が結婚
- 幼少期は漫画家に憧れるおとなしい少年だった
- 極度の人見知りを克服するためにモノマネを始める
- 母親の強い愛情に見守られていた
- 人を観察することが好きだった
- 観察力の鋭さをピエール瀧に驚かれていた
- 中学生の時にギターを始める
- 高校時代には「ヤマハポプコン」でオリジナル曲がテープ審査を通過
- 「ヤマハポプコンで」の予選では緊張で歌詞を忘れインストバンドになっていた
- 音楽をすることでアイデンティティを保っていた
- 高校生の時に映画製作の楽しさに目覚める
- 映画製作を始めたのは好きな女の子を撮るためだった
- 高校の卒業式の日に母親が死去
- 東京藝術大学の受験に3回落ちていた(2浪していた)
- 多摩美術大学で映画「燃えよタマゴン」を製作
- 本格的に俳優を志す
- バラエティ番組「ぎんざNOW!」でチャンピオンに輝く
- 「笑いながら怒る人」は偶然の産物だった
- 大学卒業後は俳優を目指し「劇団青年座」に入団
- 「ザ・テレビ演芸」のオーディションでグランドチャンピオンに輝く
- 「痴漢電車 下着検札」で映画デビュー
- 映画「ロケーション」では初めて素の自分をさらけ出していた
- 劇作家・岩松了と「竹中直人の会」を結成
- 初監督映画「無能の人」でいきなり才能発揮
- 「無能の人」は自身にとっても最高の映画
- 監督作品
- NHK大河ドラマ「秀吉」の豊臣秀吉役で大ブレイク
- NHK大河ドラマ「秀吉」の豊臣秀吉役は突然の抜擢だった
- NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも豊臣秀吉役を演じる
- 「軍師官兵衛」では「秀吉」では伏せられた豊臣秀吉の後半生が描かれていた
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(映画)
- 「Shall we ダンス?」が大ヒット
- 「のだめカンタービレ」のシュトレーゼマン役は一度は断っていた
- 多摩美術大学の後輩と交際していた
- 美保純との馴れ初めは?
- 美保純との交際を認める
- 美保純との同棲は否定
- 美保純から突然フラレていた?
- 元アイドル歌手・木之内みどりと結婚!馴れ初めは?
- 婚姻届持参でニューヨークまで追いかけプロポーズ
- 木之内みどりとの結婚生活は順調
- 入籍会見でのコメント
- 新婚生活は目黒区内の高級マンションで
- 子供は娘1人に息子1人
- オリンピック開会式を前日に辞退していた
- 小山田圭吾の出演辞退や小林賢太郎の解任を受けての辞退だった
- 「竹中直人の放送禁止テレビ」の内容は?
について、まとめてみました。
「放送禁止テレビ」は、36年も前の作品なうえ、竹中さんの名は冠しているものの、企画・構成は別の人が担当していたほか、竹中さん自身も、当時、障害者団体に直接謝罪に行っていることから、開会式を辞退する必要はなかったのでは、という声も上がっていた中、自らの意志で東京五輪開会式を辞退した竹中さん。
開会式のパフォーマンスでは、民謡・木遣(きや)り唄とダンスのパフォーマンスで、女優の真矢ミキさんとともに、大工の棟梁役を演じることになっており、直前の7月21日に行われた通しのリハーサルでは、ノリノリの演技を披露していただけに残念ではありますが、「放送禁止テレビ」の過去がなくても、ケチがつきまくっていた今回の「東京五輪」には参加しなくて正解だったのかもしれません。
「竹中直人の先祖(高祖父)は藩の召抱絵師!祖父は貿易商だった!」