1959年、作曲家・中村八大さんとのコンビで作詞した「黒い花びら」がいきなり大ヒットを記録すると、その後も、1961年、坂本九さんに作詞した「上を向いて歩こう」が、日本のみならず、世界中で大ヒットした、永六輔(えい ろくすけ)さん。今回は、そんな永さんの主な作詞作品、著書などを画像を交えてご紹介します。
「永六輔は坂本九が事故死した「日航123便」の墜落現場を訪ねていた!」からの続き
作詞作品
それでは、ここで、永さんのデビューからの主な作詞作品をご紹介しましょう。
1959年「黄昏のビギン」(水原弘)
1960年「娘よ」(益田喜頓)
「見上げてごらん夜の星を」(坂本九)
1961年「夢であいましょう」(坂本スミ子)
「上を向いて歩こう」(坂本九)
1962年「ルックチョコレートの歌」(弘田三枝子)(※不二家CMソング)
「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)
1963年「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)
「故郷のように」(西田佐知子)
「一人ぼっちの二人」(坂本九)
「おさななじみ」(デューク・エイセス)
「故郷のように」(西田佐知子)
「若い季節」(ザ・ピーナッツ)
「こんにちは赤ちゃん」
1964年「振り向けば松坂屋」(沢村美司子)(※松坂屋CMソング)
1965年「いい湯だな」
1965年「帰ろかな」(北島三郎)
「女ひとり」(デューク・エイセス)
「ともだち」(坂本九)
「帰ろかな」
1966年「二人の銀座」(和泉雅子と山内賢のデュエット)
「レットキス(ジェンカ) 」(坂本九)
「近鉄の歌」(ダークダックス)(※近畿日本鉄道の社歌)
1967年「万葉集」(植木等)
「芽生えて、そして」(越路吹雪)
「フェニックス・ハネムーン」(デューク・エイセス)
「私の好きなもの」(佐良直美)
「二人の銀座」
1968年「ウェディングドレス」(九重佑三子)
1970年「筑波山麓合唱団」(デューク・エイセス)
1974年「いつもの小道で」(田辺靖雄、梓みちよ)
1979年「初めての街で」(西田佐知子)(※菊正宗のコマーシャルソング)
1997年「明日咲くつぼみに」(三波春夫)
「ウェディングドレス」
「あの人の・・・」(美空ひばり)
「生きているということは」(永六輔、デューク・エイセス)
「生きるものの歌」(デューク・エイセス)
「ここはどこだ」(デューク・エイセス)
「今夜はヘンな夜」(もりばやしみほ)
「夜はひとりぼっち」(もりばやしみほ)
「明日天気になあれ」(小沢昭一)
「生きるものの歌」
など、多数の作詞を手がけられています。
著書
また、永さんは、作家としても、
「一人ぼっちの二人」(1961年、えくらん社のちに中公文庫)
「あの日のあなた」(1963年、桃源社、ポピュラー・ブックス)
「一流の三流 ラジオ・テレビこんにちは」(1964年、サンケイ新聞出版局 ヒット・ブックス)
「わらいえて 芸能100年史」(1965年、朝日新聞社)
「誰かとどこかで 一九六六年の三六五人」(1967年、雪華社)
「芸人その世界」(1969年、文藝春秋、のちに文庫本化)
「幕末の素顔 日本異外史」(1970年、毎日新聞社)
「極道まんだら」(1971年、文藝春秋のち文庫本化)
「貴女と二人で」(1972年、白馬出版のちに中公文庫)
「あなたのひとりごと」(1973年、サンリオ出版 ギフト・ブック)(吉村祥 絵)
「芸人その世界」
「一泊二食三千円」(1974年、中央公論社のちに文庫本化)
「亜香ちゃん」(1975年、文藝春秋)
「死にはする殺されはしない」(1976年、話の特集)
「クジラとカネ売ります 計量法現行犯は訴える!!」(1977年、講談社)
「スターその世界」(1978年、文藝春秋)
「一泊二食三千円」
「せきこえのどに浅田飴」(1979年、話の特集)
「冗談ばっかり 沖縄ジァン・ジァンの五日間」(1981年、講談社のちに文庫本化)
「寿徳山最尊寺」(1982年、三月書房)
「アイドルその世界」(1983年、文藝春秋)
「東奔西走大感動 旅と味とステージと」(1984年、読売新聞社)
「この本ください!」(1985年、講談社)
「暴力団ならびに田舎ッペェ諸君!」(1985年、講談社)
「六・八・九・の九 坂本九ものがたり」(1986年、中央公論社のち文庫(副題を正題に))
「無名人名語録」(1987年、講談社のち文庫、決定版「無名人語録 聞いちゃった!」新潮文庫)
「普通人名語録」(1988年、講談社のち文庫)
「なんといううまさなんというへた」(1989年、講談社)
「一般人名語録」(1990年、講談社のち文庫)
「真紅の琥珀」(1991年、講談社のち文庫)(※小説)
「三歩下がって師の影を飛ぶ」(1993年、講談社「わが師の恩」文庫)
「もっとしっかり、日本人」(1993年、日本放送出版協会のちライブラリー、ヴィレッジブックス)
「大往生」(1994年、岩波新書)
※2019年現在、101刷、累計245万部を売上げる大ベストセラーとなり、「岩波新書」最大のヒットとなったそうです。
「大往生」
「逢えてよかった! 僕のメディア交遊録」(1995年、朝日新聞社「永六輔のメディア交遊録」文庫)
「終 大往生その後」(1996年、朝日新聞社のち文庫)
「職人」(1996年、岩波新書)
「あの町この人その言葉 「誰かとどこかで」より」(1997年、朝日新聞社)
「商人(あきんど)」(1998年、岩波新書)
「悪党諸君」(1999年、青林工藝舎、のち幻冬舎文庫(刑務所の中での講演集。録音テープを元にした物))
「僕が[エイ]だった頃」(1999年、小学館)
「あなたに伝えたい 手話はどこまで話せるか」(2000年、大和書房)
「永六輔のえいっ!」(2001年、扶桑社)
「悪党諸君」
「生き方、六輔の。」(2002年、矢崎泰久構成 飛鳥新社のち新潮文庫)
「明るい話は深く、重い話は軽く」(2003年、光文社知恵の森文庫)
「いのち 昔からのいのち今ここにあるいのち明日うまれるいのち」(2004年、坪谷令子絵 理論社)
「あの世の妻へのラブレター」(2005年、中央公論新社のち文庫)
「赤坂檜町テキサスハウス」(2006年、大竹省二写真 朝日新聞社)
「あなたの「いのち」をいただきます 先生といえば親も同然、親といえば先生も同然」(2007年、ヴィレッジブックス)
「上を向いて歩こう年をとると面白い 人は歌と生きている!」(2012年、さくら舎)
「男のおばあさん 楽しく年をとる方法」(2013年、大和書房)
ほか、多数の著書を出版されています。
唯一出演した浅田飴のCMでは広告コピーも自ら書いていた
そんな永さんは、「浅田飴」(「堀内伊太郎商店」(現「株式会社浅田飴」))のCMに、1970年、1983年、1996年と、13年置きに出演しているのですが、その際、永さんが言う、「せき・こえ・のどに浅田飴」のフレーズは、永さんが考えたものだそうで、
それだけでなく、永さんは、雑誌「話の特集」の裏表紙に、「浅田飴」の広告コピーを約30年間という長きに渡り、書いていたそうで、イラストを担当していた山下勇三さんとのコンビで、300点以上の作品を制作したそうです。
ちなみに、作品には、
人をなめてはいけません。なめるなら浅田飴です。
浅田飴をただの飴だとなめてはいけません。
咳・声・喉にきく薬なのです。
浅田飴が欲しい!喉から手が出るほど!
秋の気配、冬の気配を感じるのは
赤とんぼや 紅葉や 風の冷たさ
いいえ 喉です。
喉は季節に敏感です。
そんな時の浅田飴。
などがあり、永さんの言葉遊びのセンスが光っています。
「浅田飴」のCMに出演時の永さん。(永さんが出演した唯一のCMだそうです)