90歳を回る高齢にもかかわらず、現在もしばしば作曲の依頼があるという、キダ・タローさんは、生涯現役を宣言しているのですが、プライベートはどのようなものだったのでしょう。今回は、そんなキダさんの、奥さんとの馴れ初めや「かつら疑惑」の真相をご紹介します。
「キダ・タローのデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
妻との馴れ初めは?
1960年代初め頃、「スリー・グレイセス」という女性3人のコーラスグループが引っ張りだことなったことをきっかけに、その後、全国的に「3人娘」が流行したそうですが、
キダさんが懇意にしていた「昭和プロ」のマネージャーも、大阪で3人組の女性コーラス「レモンレモンズ」を育てていたそうで、「キダやん、レッスン頼むわ」と言われたそうです。
妻には一目惚れだった
すると、キダさんは、「レモンレモンズ」との初対面で、メンバーの一人である三千代さんに一目惚れしたそうですが、三千代さんは、あくまで「商品」だったため、恋愛感情は持ち込んではいけないと、自身の気持ちを抑えていたのだそうです。
(ただ、三千代さんには、そんなキダさんの様子が、「変な人」と映っていたそうで、三千代さんは、レッスンの時、ずっとムスッとしていたそうです)
結婚後も妻が好き過ぎてストーカー状態
そんな中、三千代さんが結核になり、「レモンレモンズ」を脱退したことから、キダさんは、すぐに、三千代さんのお母さんに結婚したい旨を伝えたそうで、その後、1964年、三千代さんとめでたく結婚できたのだそうです。
(三千代さん本人には、照れくさくて言えなかったそうで、お母さんのほか、弟達を食べ物で釣るなど、外堀から埋めていったそうです(笑))
ちなみに、三千代さんへの気持ちはずっと変わらないそうで、今でも好き過ぎてストーカー状態なのだそうです(笑)
(三千代さんとの間に、お子さんはいらっしゃいません)
「かつら」だった(自身でハゲをカミングアウトしていた)
ところで、キダさんには、かねてより、「かつら疑惑」があったのですが、もう20年以上前に、キダさん本人が、「探偵ナイトスクープ」などで、自分が「ハゲ」であることをカミングアウトし、かつらを取ってハゲを見せ、またかつらをかぶる、ということをやっています。
そして、以降、この(バレている)「かつら疑惑」を逆手に取り、誰が見ても分かる、いかにも「かつら」というかつらを被っているのだそうです(笑)
確かに、いかにもかつらです(笑)
桂小枝がキダ・タローの「かつら疑惑」をネタにしていた
また、2015年には、落語家の桂小枝さんが、「8時間耐久落語会」でキダさんの「かつら疑惑」をネタにしており、
キダさんに自宅に招かれた際、キダさんから、
この部屋、絶対に入ったらあかん
と、言われるも、
キダさんがトレイに行った隙にその部屋をのぞくと、
部屋の中には、たんすの上にキダ先生の“頭”だけが置いてあって・・・もう地獄絵巻きですわ
と、いう話や、
キダさんとゴルフに行った際、ラウンド後に、キダさんが入っている浴室を開けると、
ひざを立てて湯船につかっているキダ先生のひざの上に“頭”が!
ここだけの話やで!
と、いう話。
さらには、
キダさんの似顔絵をあしらったゴルフのボールマークが作られた際、キダさんの妻・三千代さんが、
これいいのにしてん。安もんにしたらハゲてくる
と、言ったそうですが、その場にいた全員、聞かなかったふりをして天井を見上げた、
などの話をしています(笑)
さて、いかがでしたでしょうか。
キダ・タローさんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名の由来は?
- なぜ「浪花のモーツァルト」?
- 好きな作曲家はショパン(モーツァルトは大嫌い)
- 幼少期はひ弱だった
- 関西学院中等部に進学
- 川西航空機宝塚製作所が爆撃を受け壊滅
- 職業軍人だった兄の言葉により海軍に行くつもりだった
- 玉音放送で終戦を知り解放感を感じていた
- 終戦後初めてジャズを聞き衝撃を受ける
- 16歳の時に兄の遺品のアコーディオンを弾き始める
- アコーディオンは姉に演奏を褒められて嬉しくなり練習するようになっていた
- 5人組のタンゴバンドを結成
- 藤岡琢也と共にタンゴバンドで活動していた
- 年上のミュージシャンに教えを請うため米軍クラブを訪ねることも
- 藤岡琢也が脱退しタンゴバンドは活動停止に
- 母親の意向で関西学院大学理工科に1浪して進学
- アコーディオンから別の楽器に転向することに
- ギターとトランペットを断念していた
- ピアノに転向するも・・・
- 高校や大学のピアノでこっそり練習していた
- 神戸・花隈のダンスホールでピアノ弾きとして働くことに
- 裕福で恵まれたミュージシャンに対し反骨精神があった
- 今でも忘れられない光景とは?
- 大学生だった石原裕次郎のバックバンドをしたことも
- 客のリクエストに応えるため流行曲のレコードを購入してバンド用の譜面を書いていた
- 19歳の時にキャバレー「パラマウント」で初めて作曲
- すぐに作曲することができた
- 初めて作曲した歌を歌ったのは後の漫才トリオ「かしまし娘」の正司歌江だった
- 30歳くらいまでキャバレーでピアノ弾き&作曲をしていた
- テレビのコマーシャルソングを手掛けるようになる
- 作曲依頼が殺到し大阪では独占状態だった
- 三木鶏郎をお手本にしていた
- 最多で1日40曲を作曲?
- 作曲した数は3000曲?
- 標準語が嫌いで東京に進出しなかった?
- 九官鳥が「おはよう」と標準語で返事をしてきて堪えていた
- そもそも東京からはほとんど誘われなかった?
- 作曲作品(歌謡曲)
- 作曲作品(テーマ曲)
- 作曲作品(映画音楽)
- 作曲作品(CM曲)
- 作曲作品(プロ野球応援歌)
- 作曲作品(市町村歌、校歌、社歌ほか)
- 受賞歴
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(バラエティ番組など)
- 出演作品(CM)
- 出演作品(ラジオ番組)
- 「探偵ナイトスクープ」で最高顧問
- 「探偵ナイトスクープ」に松本人志局長の代理で約2年ぶりに出演
- 妻との馴れ初めは?
- 妻には一目惚れだった
- 結婚後も妻が好き過ぎてストーカー状態
- 「かつら」だった(自身でハゲをカミングアウトしていた)
- 桂小枝がキダ・タローの「かつら疑惑」をネタにしていた
について、まとめてみました。
仕事の依頼が来ると嫌で仕方ないんですが、いざ書き始めると楽しくて。まだまだ曲を書きたい。良い作曲をしたいですね
と、語っていたキダさん。
90歳を回る高齢でもお元気なのは、やはり、作曲という生きる活力があるからなのかもしれません。