1956年、17歳の時、「復讐のせむし男」で漫画家デビューすると、1968年には、梶原一騎(当時・高森朝雄)さんとタッグを組んだボクシング漫画「あしたのジョー」が、社会現象を巻き起こすほどの大反響となったほか、2002年には紫綬褒章、2012年には旭日小綬章を受章している、ちばてつやさんですが、2020年10月には、東京の病院に入院し、心臓の動脈弁の手術と喉の腫瘍治療を受けていたといいます。
心臓の動脈弁の手術と喉の腫瘍治療を受けていた
ちばさんは、2020年夏、息切れなどがあり、医療機関を受診すると、検査の結果、心臓への血流の低下などが判明するほか、喉の疾患も見つかるなど、次々と異常が見つかったそうで、同年10月29日には、東京の病院に入院し、心臓の動脈弁の手術と喉の腫瘍治療を受けたそうで、
11月3日、ブログで、
今年の夏以後、ちょっと体調をくずしてしまいました 心臓の弁と、冠動脈、そして喉などにも 次々異常が見つかり、数日前から東京の病院に入院しています
しっかり治してもらって、さらに若返って復帰するつもり
と、綴っています。
(心臓の疾患は持病だそうで、これまでにも手術をしたことがあるそうです)
快方に向かっていることをアピールしていた
そして、11月15日、12日ぶりにブログを更新すると、
手術のあと、輸血したり点滴したりで 一時、気の弱いワシは、こりゃもう いよいよ駄目かな・・・と、覚悟するぐらい 苦しかったけど・・・おかげさまで、ホラ、ずいぶん元気になってきました
顔色も良くなってきたし、お医者さんの話だと、うまくいけば年内には退院できるかも・・・だって
と、点滴の写真とともに、自撮り写真もアップし、快方に向かっていることを明かしています。
仮退院⇒再入院⇒退院していた
ただ、2022年1月4日には仮退院するも、その後も治療を続け、同年2月24日には再入院。
それでも、同年3月には、今度こそ、無事退院し、
3月7日には、ブログで、
いろいろご心配お掛けしましたが、先週、無事に退院する事ができました。おかげさまで最近食欲も回復して、こーんなに元気です。(おっとと、まだ入院のスリッパのままでした)
と、自身の写真もアップしており、今度こそ、完全復活したようです。
さて、いかがでしたでしょうか。
ちばてつやさんの、
- 年齢は?出身は?本名は?学歴は?
- 一番上の弟・千葉研作は「ちばてつやプロダクション」のマネージャーだった
- 二番目の弟・ちばあきおは漫画家で「キャプテン」「プレイボール」などがヒットするも首吊り自殺
- 三番目の弟・七三太朗は漫画原作者
- 幼少期は父親の仕事の関係で満州国で暮らしていた
- 優しかった中国人が次第に冷たい雰囲気になっていくのを感じていた
- 太平洋戦争敗戦後、暴徒と化した中国人から逃げるため、安全な場所を求めて転々としていた
- 履いていた軍靴の釘が足に刺さって思うように歩けなくなり、印刷工場の一団とはぐれていた
- 父親の同僚で中国人の徐集川に偶然再会し、かくまってもらっていた
- 狭い屋根裏部屋では母親と弟たちと共に退屈な毎日を過ごしていた
- 退屈でぐずる弟たちのためにオリジナルの物語を作ってイラストを描いていた
- 終戦から1年後にようやく日本に帰国することができた
- 両親は飢えた仲間たちに子供を中国人に売るよう懇願されていた
- 引き揚げ時の極限の飢餓体験は「あしたのジョー」の力石徹の減量シーンに活きていた
- 小学3年生の時に初めて漫画を読みカルチャーショックを受けていた
- 本と違って登場人物の表情がひと目見てわかるところに漫画の魅力を感じていた
- 母親に漫画を破かれ燃やされていた
- 自分で漫画を描いて弟達に見せていた
- 17歳の時に新聞で「児童漫画家募集」の三行広告を見て日昭書店を訪ねていた
- 「復讐のせむし男」で漫画家デビュー
- 栄養失調で病気になった両親に代わり家計を支えるため様々なアルバイトをするもヘマばかりしていた
- 雑誌デビュー作は少女漫画「舞踏会の少女」
- 少女漫画を描いていた理由
- 他の少女漫画を読んで参考にし「ユカをよぶ海」を描いていた
- イジメに耐え続ける主人公にストレスが溜まりイジメっ子をやっつけるシーンを描くと大反響となっていた
- 「週刊少年マガジン」(野球漫画「ちかいの魔球」)で少年誌デビュー
- 「週刊少年マガジン」連載の「ハリスの旋風」がテレビアニメ化されると視聴率31.8%の大ヒットを記録
- ボクシング漫画「あしたのジョー」が大ヒット
- ジョーが真っ白に燃え尽きたラストシーンは急遽ちばてつやによって変更されたものだった
- 「あしたのジョー」は梶原一騎と意見を出し合って作り上げていた
- 仕事に忙殺される毎日に「このまま仕事を続けたら死ぬ」と思い始めていた
- 「今のままの人生でいいのか」と自問自答する毎日だった
- 力石徹の葬式をきっかけにファンの気持を知り、「いつ死んでもいい」と思えるようになっていた
- 「あしたのジョー」でのジョーと紀子のデートシーンでは自身の生き様を投影させていた
- 「あしたのジョー」ではラストシーンをどうするか悩んでいた
- たった1回のジョーと紀子のデートシーンがラストシーンに繋がっていた
- 「あしたのジョー」の「乾物屋の紀子」や「サチ」はちばてつやのオリジナルキャラクターだった
- 「ドヤ街」のモデルは満洲から引き揚げ後、長く暮らした東京・墨田区の向島だった
- 作品(漫画)
- 作品(アニメ)
- 受賞・受章歴
- 母親が漫画の”検閲”役だった
- 妻は漫画家で元アシスタントのチバユキコ
- 妻・チバユキコの代表作は4コマ漫画「スズメさん」
- 妻のチバユキコはちばてつやの「ひねもすのたり日記」にアシスタントの「奥ちゃん」として登場していた
- 多額の収入はすべて妻のチバユキコが管理していた
- 妻のチバユキコはちばてつやが入院中にアシスタント8人を全員解散させていた
- 息子(次男)は千葉修平
- 白暁燕(パイ シャオイェン)は娘?
- 心臓の動脈弁の手術と喉の腫瘍治療を受けていた
- 快方に向かっていることをアピールしていた
- 仮退院⇒再入院⇒退院していた
について、まとめてみました。
自身を重ね合わせていた「あしたのジョー」の描写が神がかって素晴らしいと言われているちばさんですが、プライベートでは、様々な病気を乗り越え、現在はお元気にされているとのことで、ジョーとは違い、静かな余生を送ってほしいものです。