大学卒業後、「高木智之とハロナ・セレナーダス」でウクレレ奏者としてプロデビューすると、以降、ミュージシャン、コメディアンとして、60年以上も芸能界で活躍を続けている、高木ブー(たかぎ ぶー)さん。

今回は、そんな高木ブーさんの若い頃の活躍や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。

高木ブー

「高木ブーの生い立ちは?幼少期はお金持ち!高校時代はウクレレに夢中!」からの続き

Sponsored Link

高木ブーが20代の時は「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」ほかジェリー藤尾のバンドでも活動していた

大学卒業後は父親のコネで「東京ガス」への就職が決まっていたが音楽の道へ進むことを決意していた

高木ブーさんは、高校卒業後は、中央大学に進学すると、ハワイアンバンド「ルナ・ハワイアンズ」に参加し、アルバイトで銀座のダンスホールやクラブで演奏していたそうで、大学卒業後は音楽の道に進むことを決意していたそうです。

(実は、お父さんのコネで「東京ガス」への就職が決まっていたそうです)

20代前半の頃はハワイアンバンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」を結成

そんな高木ブーさんは、プロのミュージシャンになるべく、ハワイアンバンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」を結成すると、

(高木ブーさんの本名は高木友之助(たかぎ とものすけ)なのですが、当初は、高木智之(たかぎ ともゆき)の芸名で活動していました)

毎日のように、厚木、横田と米軍キャンプを回り、演奏したのだそうです。

20代前半の頃は「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」にバンドをリニューアルしていた

また、高木ブーさんは、「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」でワールドツアーにも参加するなど、仕事は順調だったそうですが、

1950年代半ば頃になると、エルビス・プレスリーの影響でロックンロールが注目を集めるようになるほか、ダーク・ダックスやデューク・エイセスのジャズコーラスが人気を集めるようになるなど、日本の音楽シーンが大きく変わったそうで、

これに伴い、高木ブーさんも、新しいことに挑戦しようと、同じメンバーで「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」にバンドをリニューアルしたのだそうです。

「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」
「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」より。(中央が高木ブーさん)

29歳の時にジェリー藤尾に誘われ「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」に参加していた

そして、高木ブーさんは、その後も、バンドを、「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」⇒「ニュー・フレッシュマン」にリニューアルするなど、試行錯誤していたそうですが、どうも、しっくりこず、悩んでいたそうです。

そんな中、1962年、29歳の時、当時、すでに売れっ子の歌手だったジェリー藤尾さんに、

ウチのバンドでやらない?

と、声をかけられたそうで、

高木ブーさんは即OKし、ジェリー藤尾さんのバンド「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」に参加すると、バンジョーを担当し、渋谷や新宿、池袋のジャズ喫茶を中心に演奏活動をしたのだそうです。

ちなみに、ジェリー藤尾さんは、売れっ子で多忙だったため、ジャズ喫茶に出演できないことがあったそうで、その控え歌手として、後に、「ザ・ドリフターズ」で一緒に活動することになる、仲本興喜(後の仲本工事)さんが加入したそうです。

高木ブーが30代の時は「ザ・ドリフターズ」に加入し「8時だョ!全員集合」が大ヒット

30代前半の時に仲本工事と「ロジェ滋野とシャドーズ」を結成

高木ブーさんは、その後、「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」のメンバーとして、順調に音楽生活を送っていたそうですが、

しばらくすると、またもや、新しいことがやりたくなったそうで、折からのエレキブームに乗って、「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」のドラマーだったロジェ滋野さんや仲本工事さんと一緒に「ロジェ滋野とシャドーズ」を結成したそうです。

ちなみに、高木ブーさんが、ジェリー藤尾さんに「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」からの脱退を申し出ると、ジェリー藤尾さんは、あっさりと認めてくれたそうです。

31歳の時にいかりや長介にスカウトされて「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に移籍

こうして、高木ブーさんは、新たに結成したエレキバンド「ロジェ滋野とシャドーズ」で活動を始めるのですが・・・

1964年、31歳の時には、横浜のジャズ喫茶「ピーナッツ」での深夜の演奏が終わった後、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」のリーダー・いかりや長介さんにスカウトされ、そのまま、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に移籍したそうです。

(碇矢長一(いかりやちょういち)はいかりや長介さんの本名)

ちなみに、この頃、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」は、主要メンバーが4人も辞めて、いかりや長介さんと、残ったメンバーの加藤茶さんが新たなメンバー探しに奔走するなど、大変な時期だったそうで、そのスカウト第一号が高木ブーさんだったそうですが、

高木ブーさんは、その見た目から、いかりや長介さんにスカウトされたのだそうです。

(高木ブーさんは、音楽をやめてサラリーマンをしていた仲本工事さんを誘い、仲本工事さんも「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に加入したそうです)

32歳の時に「ザ・ドリフターズ」(「碇矢長一とザ・ドリフターズ」から改称)としての活動をスタート

その後、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」は、幾度かのメンバー変遷を経て、1965年、32歳の時には、高木ブーさん、いかりや長介さん、仲本工事さん、荒井注さん、加藤茶さんの5人で、「ザ・ドリフターズ」(「碇矢長一とザ・ドリフターズ」から改称)として活動をスタートすると、当時、流行していたロカビリーを、池袋、銀座、横浜など、数多くのジャズ喫茶で演奏したそうです。

そんな高木ブーさんたち「ザ・ドリフターズ」は、翌年の1966年には、「ビートルズ」初来日公演で、1966年6月30日と7月1日の2日間、前座を務めているのですが、当初20分あった持ち時間が、最終的には、なんと1分になってしまったといいます。

また、「ザ・ドリフターズ」は、「ビートルズ」初来日公演の前座で、コントも披露しているのですが、高木ブーさんにとっては、不満の残るコントだったといいます。

ビートルズの前座を務める高木ブー
ビートルズの前座を務める「ザ・ドリフターズ」。(左から)荒井注さん、仲本工事さん、高木ブーさん。

36歳の時に「8時だョ!全員集合」が平均視聴率30%を超える大ヒット

「ザ・ドリフターズ」は、日本中が注目する「ビートルズ」の初来日公演で前座を務めたことで、広くその名を知られるようになり、1969年(高木ブーさん36歳)には、「ザ・ドリフターズ」主演のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」がスタートすると、当初は視聴率が伸び悩んだものの、やがて、平均視聴率が30%を超える大ヒットを記録。

この大ヒットで、高木ブーさんも、一躍、人気を博します。

「8時だョ!全員集合」
「8時だョ!全員集合」より。(左から)いかりや長介さん、加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさん、志村けんさん。

ちなみに、「ザ・ドリフターズ」は、週1回土曜日の生放送のため、厳しい稽古を何度も重ねていたそうですが、そんな中で、高木ブーさんは、いつも、いかりや長介さんに理不尽な理由で怒られていたそうです。

ただ、高木ブーさんは、「ドリフ」のメンバーの中で唯一、いかりや長介さんに飲みに誘われ、愚痴を聞かされていたそうで、高木ブーさんは、年齢が近かったこともあり、いかりや長介さんは自分に愚痴をこぼしやすかったのでは、と語っています。

高木ブーは40代の時も「ザ・ドリフターズ」として「8時だョ!全員集合」に出演

そんな高木ブーさんは、40代の時も、ずっと、「ザ・ドリフターズ」として「8時だョ!全員集合」に出演しています。

高木ブーが50代の時は「雷様」のコントで大ブレイクしていた

51歳の時に「8時だョ!全員集合」を辞めることを考えていた

高木ブーさんは、1984年9月14日、51歳の時、「8時だョ!全員集合」のコントのリハーサル中、「体操コーナー」のトランポリンの練習をしていた際、アキレス腱を切断してしまい、50日間の入院を余儀なくされています。

そして、「8時だョ!全員集合」を4ヶ月も休んでしまったそうで、ほかのメンバーたちに迷惑をかけて申し訳なく思いつつ、「8時だョ!全員集合」を辞めることを考え始めたといいます。

そこで、脱退の旨をいかりや長介さんに告げたそうですが、いかりや長介さんには脱退を引き止められたそうで、高木ブーさんは、脱退を思いとどまったのだそうです。

52歳の時に別役実の二人芝居に出演

高木ブーさんは、1985年1月に「8時だョ!全員集合」に復帰するのですが、同年9月、52歳の時には、「8時だョ!全員集合」が放送終了になり、

その後、間もなくして、劇作家の別役実さんに誘われ、二人芝居「湯たんぽを持った脱獄囚~求むな、されど与えられん~」に出演しています。

また、高木ブーさんは、その後も、別役実さんの二人芝居「トイレはこちら」に出演しており、お芝居に喜びを感じ、役者の道を歩み始めていたそうですが、本業のウクレレの仕事が忙しくなり、お芝居からは離れていったのだそうです。

高木ブー
別役実さんの劇「トイレはこちら」より。

53歳の時に「雷様」のコントで大ブレイク

そんな高木ブーさんですが、1986年、53歳の時には、「火曜ワイドスペシャル ドリフ大爆笑」内のコーナー「長介・工事・ブー おなじみ雷様」での「雷様」のコントで大ブレイクしています。

雷様
「雷様」より。(左から)仲本工事さん、いかりや長介さん、高木ブーさん。

Sponsored Link

高木ブーの50代(「雷様」以降)~90代(現在)

高木ブーさんは、その後、1999年、66歳の時には、4月から6月に放送されたNHK教育テレビ「趣味悠々 高木ブーの今すぐ始めるウクレレ」で講師を務めるほか、

2001年、68歳の時には、東京都港区麻布十番にハワイアンバー「Boo’s Bar HALONA(ブーズバー・ハロナ)」を開店しています。(2006年7月まで経営)

また、俳優やタレントとしてテレビドラマやバラエティ番組などにも出演しています。

そして、2021年、88歳の時には、「ザ・ドリフターズ」のメンバーを描いた画集「高木ブー画集 ドリフターズとともに」を出版しています。

「高木ブー画集 ドリフターズとともに」
「高木ブー画集 ドリフターズとともに」より。

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link