1959年、「少年探偵団 敵は原子潜航艇」シリーズでデビューすると、東映の次世代スターとして売り出され、「不良番長」シリーズ、「仁義なき戦い」シリーズなどで、不動の人気を博した、梅宮辰夫(うめみた たつお)さん。
今回は、そんな梅宮辰夫さんの、若い頃の活躍や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。
「梅宮辰夫の生い立ちは?小中学時代は番長!高校では医師を目指し医学部受験も失敗していた!」からの続き
梅宮辰夫が20代の時は「少年探偵団 敵は原子潜航艇」で映画デビューすると「殺られてたまるか」が大ヒットするほか「夜の青春シリーズ」でプレイボーイ役
21歳の時に「少年探偵団 敵は原子潜航艇」で映画デビュー(主演)
1958年、20歳(大学2年生)の時、「東映ニューフェイス」試験を薦められ(スカウトされたという話も)、冷やかし半分で応募したところ、応募者約3万5000人の中から「東映ニューフェイス5期生」に合格した梅宮辰夫さんは、
1959年、21歳の時には、映画「少年探偵団 敵は原子潜航艇」で主演デビューを果たすと、新人時代は、主に、「遊星王子」などの子ども向けのヒーロー映画に出演します。
「少年探偵団 敵は原子潜航艇」より。
22歳の時には主演映画「殺られてたまるか」が大ヒット
そして、その後、東映の次世代スターとして売り出されると、1960年、22歳の時には、主演映画「殺られてたまるか」が大ヒットを記録したのでした。
「殺られてたまるか」より。
ちなみに、梅宮辰夫さんは、この映画がデビュー作だった三田佳子さんと、以降、10数本も共演しているのですが、
(ゴールデンコンビと呼ばれていたそうです)
お互いが異性としては嫌いなタイプだったことから、最終的には、三田佳子さんが東映上層部に共演拒否を申し出て、ゴールデンコンビは解消されたのだそうです。
27歳の時には「夜の青春シリーズ」でプレイボーイ役
以降、梅宮辰夫さんは、アクション映画や硬派な役柄を多く演じていたのですが、1965年、27歳の時、「夜の青春」シリーズ(「ひも」「いろ」「ダニ」「かも」)では、一転、ホステスのスカウトや女性を売春労働に斡旋する仲介業者など、プレイボーイの役を演じています。
「夜の青春シリーズ」より。
(岡田茂プロデューサー(後の東映社長)が、私生活がだんだん派手になっていく梅宮辰夫さんを見て、私生活に近い、プレイボーイ(女性を泣かす)な役柄にしたのだそうです)
梅宮辰夫が30代の時は「不良番長」「帝王」シリーズでブレイクするほか「仁義なき戦い」「前略おふくろ様」にも出演
30歳~36歳の時に映画「不良番長」シリーズでブレイク
また、梅宮辰夫さんは、1968年、30歳の時には、「不良番長」で主人公の神坂弘役を演じると、
この作品は、
- 1969年(31歳)には、「不良番長 猪の鹿お蝶」
- 1969年(31歳)には、「不良番長 練鑑ブルース」
- 1969年(31歳)には、「不良番長 送り狼」
- 1969年(31歳)には、「不良番長 どぶ鼠作戦」
「不良番長 どぶ鼠作戦」より。 - 1970年(32歳)には、「不良番長 王手飛車」
- 1970年(32歳)には、「不良番長 一攫千金」
- 1970年(32歳)には、「不良番長 出たとこ勝負」
- 1970年(32歳)には、「不良番長 暴走バギー団」
- 1970年(32歳)には、「不良番長 口から出まかせ」
「不良番長 口から出まかせ」より。(左から)菅原文太さん、梅宮辰夫さん、安岡力也さん。 - 1971年(33歳)には、「不良番長 やらずぶったくり」
- 1971年(33歳)には、「不良番長 手八丁口八丁」
- 1971年(33歳)には、「不良番長 突撃一番」
- 1972年(34歳)には、「不良番長 のら犬機動隊」
- 1972年(34歳)には、「不良番長 一網打尽」
- 1972年(34歳)には、「不良番長 骨までしゃぶれ」
- 1974年(36歳)には、「極道VS不良番長」
「極道VS不良番長」より。(左から)渡瀬恒彦さん、ジュディ・オングさん、梅宮辰夫さん、山城新伍さん。
と、シリーズ化されるほどの大ヒットとなり、
今ひとつ伸び悩んでいた梅宮辰夫さんは大ブレイクを果たしたのでした。
「不良番長」より。
32歳~34歳の時には映画「帝王」シリーズでさらなる人気を博す
こうして、東映の看板スターの座に君臨した梅宮辰夫さんは、1970年には、山城新伍さんとのコンビで主演を務めた「夜遊びの帝王」で、さらなる人気を博し、
この作品は、
- 1970年(32歳)には、「女たらしの帝王」
- 1971年(33歳)には、「未亡人ごろしの帝王」
- 1971年(33歳)には、「ポルノの帝王」
- 1972年(34歳)には、「ポルノの帝王 失神トルコ風呂」
と、シリーズ化されています。
(「帝王」シリーズと呼ばれています)
「夜遊びの帝王」より。
35歳~36歳の時には映画「仁義なき戦い」シリーズが大ヒット
また、梅宮辰夫さんは、1973年、35歳の時には、深作欣二監督作品「仁義なき戦い」シリーズで、敵も味方もなく義侠(ぎきょう)に生きる土居組若頭の若杉寛を演じると、
この作品も、
- 1973年(35歳)には、「仁義なき戦い 代理戦争」
- 1974年(36歳)には、「仁義なき戦い 頂上作戦」
と、シリーズ化され、人気を博しています。
(二部「仁義なき戦い 代理戦争」からは、明石組幹部の岩井組組長・岩井信一役を演じています)
「仁義なき戦い」より。
36歳の時には「前略おふくろ様」で”渋い”板前役
そんな梅宮辰夫さんは、1975年、36歳の時には、テレビドラマ「前略おふくろ様」で、「渋い」板前役を演じ、役柄の幅を広げることに成功しているのですが、
実は、(趣味の)料理に目覚めたのは、このドラマ出演がきっかけだったといいます。
「前略おふくろ様」より。梅宮辰夫さん(左)と萩原健一さん(右)。
39歳の時には刑事ドラマ「新・夜明けの刑事」で温厚な人柄の刑事課長役
そして、1977年、39歳の時には、刑事ドラマ「新・夜明けの刑事」で、温厚な人柄の刑事課長役を演じ、さらなる新境地を開拓しています。
「新・夜明けの刑事」より。(左から)石橋正次さん、藤木敬士さん、梅宮辰夫さん、山本伸吾さん、坂上二郎さん、鈴木ヒロミツさん。
梅宮辰夫が40代の時には「くいしん坊!万才」のリポーターほか「梅宮辰夫の漬物本舗」を全国展開
47歳の時にタレントとしてバラエティ番組に進出
梅宮辰夫さんは、1985年、47歳頃からは、タレントとしてバラエティ番組に進出すると、同年には、「くいしん坊!万才」の6代目リポーターに就任しています。
「くいしん坊!万才」より。
40代の頃には漬物屋「梅宮辰夫の漬物本舗」を全国展開
また、料理が趣味となった梅宮辰夫さんは、料理家、実業家としての顔も持ち、「梅宮辰夫漬物本舗」を全国展開するなどの事業を展開しているのですが、
幼い頃、お母さんが作ってくれたキムチの味が忘れられなくて、いつかお母さんの味を超えたいと思い、漬物作りを始めたといいます。
そのため、お漬物にはとてもこだわりがあり、ご飯にぴったりなおいしい漬物を作っているそうですが、合成保存料、合成着色料、合成甘味料などは、一切使用していないとのことです。
「梅宮辰夫の漬物本舗」
梅宮辰夫が50代の時には娘・梅宮アンナの交際相手・羽賀研二を「希代のワル」と公然と批判していた
ちなみに、1994年、梅宮辰夫さんが56歳の時には、娘の梅宮アンナさんがタレントの羽賀研二さんとの交際をスタートさせているのですが、
羽賀研二さんには多額の負債があったほかの理由で、梅宮辰夫さんは、羽賀研二さんを「希代のワル」などと公然と批判して、交際に強く反対しており、
梅宮アンナさんと羽賀研二さんの恋の行方のほか、梅宮辰夫さんの言動にも注目が集まりました。
(最終的には、梅宮アンナさんと羽賀研二さんは、1999年に破局しています)
梅宮辰夫は81歳で死去
そんな梅宮辰夫さんは、その後も、タレントとして、バラエティ番組に数多く出演していたのですが、
実は、
- 1974年(36歳)には、睾丸ガンに罹患すると、左の肺にも転移
- 2011年(73歳)には、初期の胃ガン
- 2016年(78歳)には、十二指腸乳頭部ガン
- 2018年(80歳)には、前立腺ガン
- 2019年(81歳)には、尿管ガン
と、計6度のガンに見舞われていたといいます。
そして、その都度、不屈の精神で復活していたのですが、2019年12月12日には、慢性腎不全のため、81歳で他界されています。
「梅宮辰夫の妻・クラウディアとの馴れ初めは?前妻は?過去の交際相手は?」に続く
「不良番長」シリーズ、「帝王」シリーズ、「仁義なき戦い」シリーズで大ブレイクを果たすと、以降、バラエティ番組にも進出し、俳優業だけではなく、タレントとしても人気を博した、梅宮辰夫(うめみや たつお)さん。 そんな梅宮辰夫 …