1978年、23歳の時、シングル「戻っておいで・私の時間」とアルバム「BEGINNING」でレコードデビューすると、当初はアイドル的な活動をしていた、竹内まりや(たけうち まりや)さん。

そんな竹内まりやさんは、その後、一時的に音楽活動を中止していたこともあったのですが、1982年4月、山下達郎さんと結婚し、主婦業のかたわら、シンガーソングライターとしての活動を続けると、

1989年には「シングル・アゲイン」、1990年には「告白」、1992年には「Quiet Life」、1994年には「Impressions」が大ヒットを記録しています。

今回は、竹内まりやさんの、若い頃(レコードデビュー)から現在までのヒット曲やアルバムほか経歴を時系列でご紹介します。

竹内まりや

「竹内まりやの生い立ちは?幼少期からピアノ!中高校時代は音楽雑誌の編集者に憧れていた!」からの続き

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竹内まりやは大学在学中に杉真理のバンド「PEOPLE(ピープル)」に参加していた

竹内まりやさんは、慶応大学在学中、音楽サークル「リアルマッコイズ」に参加すると、サークルの先輩だった杉真理さんのバンド「PEOPLE(ピープル)」に加入し、キーボードとバック・コーラスを担当したそうですが、

このことがきっかけとなり、1978年3月には、アルバム「ロフト・セッションズ VOL.1」に参加し、「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」の2曲を担当したそうです。

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竹内まりやは23歳の時にシングル「戻っておいで・私の時間」とアルバム「BEGINNING」でレコードデビュー

そして、1978年11月25日、23歳の時には、

と、同時リリースし、レコードデビューを果たします。

竹内まりやは24歳の時に3枚目のシングル「SEPTEMBER」がヒットしていた

すると、竹内まりやさんは、その愛らしいアイドル的なビジュアルと都会的な楽曲のギャップが人気を集め、

1979年8月21日にリリースした3枚目のシングル「SEPTEMBER」は、トップ100圏内に半年近くチャートインし続けるヒットを記録し、同年12月31日に開催された「第21回日本レコード大賞」で新人賞を受賞しています。

「SEPTEMBER」
「SEPTEMBER」

竹内まりやが24歳の時には4枚目のシングル「不思議なピーチパイ」が大ヒットを記録

そんな竹内まりやさんは、1980年には、シングル「不思議なピーチパイ」(1980年2月5日)をリリースすると、資生堂の化粧品のCMとのタイアップだったこともあり、

累計売上40万枚を超える大ヒットを記録し、瞬く間にスターダムに駆け上ったのでした。

「不思議なピーチパイ」
「不思議なピーチパイ」

竹内まりやは26歳の時に一時音楽活動を休業していた

ただ、竹内まりやさんは、1981年、26歳の時には、アイドル歌手的な活動をさせられていたことと、自身の希望するアーティストとしての活動との間にギャップを感じ始め、悩んでいたそうで、

そんな中、売れっ子ゆえの過密スケジュールがたたって、喉を痛めてしまい、入院。

これをきっかけに、一旦、音楽活動に整理をつけようと、同年10月21日、RCA時代のラストアルバム「PORTRAIT」をリリースした後、一時休業を宣言したのでした。

(竹内まりやさんは、デビューから1981年までRCAに所属していました)

竹内まりやは34歳の時に「シングル・アゲイン」が大ヒット

そんな竹内まりやさんは、1982年4月、27歳の時には、山下達郎さんと結婚すると、以降、家庭を優先するため、一切、メディアに出なくなるのですが、

アレンジャーとプロデューサーを務める夫・山下達郎さんのサポートを受けながら、シンガーソングライターとしての活動は続けると、

1989年には、「火曜サスペンス劇場」の主題歌に起用された「シングル・アゲイン」(1989年9月12日発売)が累計売上53.9万枚の大ヒットを記録します。

竹内まりや
「シングル・アゲイン」

竹内まりやは35歳の時に「告白」が大ヒット

そして、1990年には、「シングル・アゲイン」に続いて「火曜サスペンス劇場」の9代目主題歌として起用された「告白」(1990年9月18日リリース)も累計売上38.5万枚となる大ヒットを記録しています。

「告白」
「告白」

竹内まりやは37歳の時にアルバム「Quiet Life」がミリオンセラーを達成していた

さらに、1992年5月25日にリリースしたシングル「マンハッタン・キス」も20.8万枚を売り上げるヒットを記録すると、

同年10月にリリースしたアルバム「Quiet Life」は、発売と同時に115.5万枚を売上げるミリオンセラーを記録したのでした。

竹内まりやはベストアルバム「Impressions」が300万枚を超える大ヒットを記録していた

その後も、竹内まりやさんの快進撃は続き、1994年5月10日にシングル「純愛ラプソディ」をリリースすると、累計89.6万枚を売り上げる、自身最大のヒット。

さらに、同年7月にリリースしたベストアルバム「Impressions」は300万を超える大ヒットを記録したのでした。

竹内まりやは中山美穂、中森明菜ほか他のアーティストにも楽曲を多数提供

そんな竹内まりやさんは、

  • 薬師丸ひろ子さんの「元気を出して」(1984年)
  • 岡田有希子さんの「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」(1984年)
  • 中山美穂さんの「色・ホワイトブレンド」(1986年)

など、他のアーティストへも楽曲を提供しています。

また、1986年には、中森明菜さんのアルバム「CRIMSON」に、「駅」「約束」「OH NO, OH YES!」「赤のエナメル」「ミック・ジャガーに微笑みを」の5曲を提供しています。

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竹内まりやの主なアルバム一覧

それでは、ここで、竹内まりやさんの主なアルバムをご紹介しましょう。

と、数多くのアルバムをリリースしています。

「竹内まりやの夫・山下達郎との馴れ初めは?現在の夫婦仲は?子供(娘)は山下えり!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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