1972年、21歳の時、「小坂忠とフォージョー・ハーフ」を結成し、セッションミュージシャンとしての活動を開始すると、1973年には、細野晴臣さん、鈴木茂さん、松任谷正隆さんとキャラメル・ママ(後の「ティン・パン・アレー」)を結成し、井上陽水さんのアルバム「氷の世界」、荒井由実(現・松任谷由実)さんのアルバム「ひこうき時」など、様々なミュージシャンの、レコーディング、演奏、プロデュースに携わり、そのずば抜けたプロデュースの才能で信頼を置かれている、林立夫(はやし たつお)さん。
そんな林立夫さんは、1980年代半ばには、一時、音楽活動を中止しているのですが、1996年、荒井由実(現・松任谷由実)さんのコンサート「The Concert with old Friends」のステージで音楽活動を再開すると、2000年には、細野晴臣さん、鈴木茂さんと「TIN PAN」を結成するほか、2021年には、鈴木茂さん、小原礼さん、松任谷正隆さんとロックバンド「SKYE」を結成するなど、精力的に活動を続けています。
今回は、林立夫さんの若い頃(デビュー)から現在までの活動や経歴を時系列でご紹介します。
「林立夫の生い立ちは?小6からドラム!中2で小原礼とバンドを結成していた!」からの続き
林立夫は21歳の時に「小坂忠とフォージョー・ハーフ」を結成
林立夫さんは、1972年、21歳の時に、小坂忠さん、松任谷正隆さん、後藤次利さん、駒沢裕城さんと共に「小坂忠とフォージョー・ハーフ」を結成すると、CM音楽やNHKの「おかあさんといっしょ」の作曲を手掛けるなど、セッションミュージシャンとしての活動を開始しています。
林立夫は22歳の時には細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆と「キャラメル・ママ」(後の「ティン・パン・アレー」)を結成
そして、1973年、22歳の時には、松任谷正隆さんと、「はっぴいえんど」解散後の、鈴木茂さん、細野晴臣さんと共に、バンド「キャラメル・ママ」(1974年に「ティン・パン・アレー」に改名)を結成すると、
日本初のミリオンセラーとなった井上陽水さんのアルバム「氷の世界」(1973年12月1日発売)の制作に携わるほか、
荒井由実(現・松任谷由実)さんのバックバンドを務め、アルバム「ひこうき雲」(1973年11月20日発売)の制作も手掛けています。
さらに、細野晴臣さんの「HOSONO HOUSE」(1973年5月25日発売)、大瀧詠一さんの「Niagara Moon」(1975年5月30日発売)「A LONG VACATION」(1981年3月21日発売)などのアルバム制作に参加するほか、
南佳孝さん、吉田美奈子さん、いしだあゆみさん、矢野顕子さん、小坂忠さん、雪村いづみさんなど、数多くのアーティストの、レコーディング、演奏、プロデュースも行っています。
林立夫は24歳と26歳の時にオリジナルアルバム「キャラメル・ママ」「TIN PAN ALLEY 2」をリリースしていた
また、そのかたわら、
- 1975年には、「キャラメル・ママ」
- 1977年には、「TIN PAN ALLEY 2」
と、2枚のオリジナルアルバムもリリースしています。
ちなみに、林立夫さんは、スタジオミュージシャンになろうと思った経緯について、
僕がスタジオミュージシャンに興味を持ったきっかけは、夢中になって聴いていたレコードのクレジットを調べるようになったことなんです。
じつは多くの楽曲をスタジオミュージシャンが演奏していること、ハル・ブレイン、アール・パーマーといったドラマーや、いろいろなミュージシャンのこともわかってきて。
いちばん有名なのは、The Wrecking Crew(ロサンゼルスを拠点としたセッションミュージシャンたちによる集合体)ですよね。それ以来、音楽の聴き方、興味の対象が変わっていったんですよ。
一方、日本の音楽はといえば、スタジオミュージシャンが活躍するフィールドには芸能界というものが屹然と存在していて。僕らがいた界隈と芸能界には大きな隔たりがあって、橋もかかっていなかった。つまり、カルチャーがまったく違っていたんです。
(スタジオミュージシャンとして「自分たちが日本のポップスの質を上げたい」という意識があったのか、という質問に対し)当時はそこまでは考えていなかったですね。
もっとシンプルに、「まずは自分たちが“いい”と思える作品が出来ればいい」というだけで。音楽的なアイデアはたくさんあったし、レコーディング現場の作業がとにかく好きだった。
その先のことは、わかる人がやればいいという感じでした。たとえば村井邦彦(アルファレコードの創立者)さんもそう。ユーミン(荒井由実)をデビューさせるために、僕らをレコーディングに呼んだのは村井さんなので。
と、語っています。
林立夫は34歳頃に音楽活動を休止後、アムウェイに専念していた?
そんな林立夫さんは、1970年代後半には、セッションバンド「バンブー」(1974年~1975年)や、「ARAGON」「PARACHUTE」(1979年~1982年)などのメンバーとして活躍するのですが、1980年代半ばには音楽活動を休止しています。
ちなみに、林立夫さんは、アムウェイの成功者としても有名なのですが、音楽活動を休止した後は、アムウェイの活動に専念していたと言われています。
林立夫は45歳の時に荒井由実の「The Concert with old Friends」で音楽活動を再開していた
その後、林立夫さんは、荒井由実(現・松任谷由実)さんから、
ひさびさにドラムを叩かない?
と、誘われ、
1996年、45歳の時に、荒井由実(現・松任谷由実)さんの「The Concert with old Friends」のステージで音楽活動を再開すると、
1999年、48歳の時には、イベント「GROOVE DYNASTY」の企画・プロデュース・演奏を担当しています。
ちなみに、林立夫さんは、「The Concert with old Friends」のステージで復帰した際、
リハーサルの初日、ドラムセットに座って叩き始めた時に、両手両足が『アンタ、誰の手で誰の足なの?』くらいバラバラで・・・
と、語っています。
林立夫は49歳の時に25年ぶりに細野晴臣、鈴木茂と「TIN PAN」を結成
そして、2000年、49歳の時には、25年ぶりに、細野晴臣さん、鈴木茂さんと、「TIN PAN」を結成すると、同名タイトルのアルバム「Tin Pan」をリリース&ツアーを開催しています。
林立夫は54歳の時にコンピレーション・アルバム「Non Vintage~林立夫セレクション」をリリース
そんな林立夫さんは、2002年、51歳の時には、音楽レーベル「SOFT EDGE」を設立すると、
2005年、54歳の時には、自ら選曲・監修したコンピレーション・アルバム「Non Vintage~林立夫セレクション」をリリースしています。
林立夫は64歳の時にドラマー・沼澤尚と共にプロジェクト「AFTER SCHOOL HANGOUT」を始動していた
また、2015年、64歳の時には、ドラマー・沼澤尚さんと共に「AFTER SCHOOL HANGOUT」というプロジェクトを始動させているのですが、
(プロジェクト名は、“放課後に仲間が集まる場所”という意味で、林立夫さんと沼澤尚さんが学校に通っていた頃、放課後に夢中になって聴いていた1960年代~1970年代のポップス&ロック・ナンバーを中心に取り上げていることに由来しているそうです)
共演メンバーとして、鈴木茂さん、森俊之さん、沖山優司さんのほか、ドラマーの高橋幸宏さんも参加し、高橋幸宏さんとは、ツインドラム独特のグルーブ感を披露しています。
林立夫は70歳の時にロックバンド「SKYE」を結成
そんな林立夫さんは、2021年10月、70歳の時には、鈴木茂さん、小原礼さん、松任谷正隆さんと、ロックバンド「SKYE」を結成すると、デビュー・アルバム「SKYE」をリリースしています。
ちなみに、「SKYE」はもともと、林立夫さん、鈴木茂さん、小原礼さんの3人が高校時代に組んでいたバンド名だったのですが、
2019年、俳優の佐野史郎さんのレコーディングの際、松任谷正隆さんを加えて演奏したのをきっかけに再結集したそうで、
もう一度バンド少年に戻り、好きな音楽をやりたかったから
というのが、再結集した理由で、
林立夫さんは、
全員、気持ちは十九歳のまま!!
と、語っています。
「林立夫は妻の影響でアムウェイを始め大成功!息子の林一樹もドラマー!」に続く
長年に渡り、数多くのミュージシャンの、演奏、レコーディング、プロデュースに携わってきた、林立夫(はやし たつお)さんですが、 結婚後は、妻・厚子さんの影響でアムウェイを始めると、音楽同様、たちまち才能を発揮し、以降、夫婦 …