2005年、監督就任1年目にして、いきなり、中日ドラゴンズをリーグ優勝させると、2007年には、53年ぶりの日本一、2011年には、球団史上初の2年連続リーグ優勝と、監督としても素晴らしい成績を残した、落合博満(おちあい ひろみつ)さん。

今回は、そんな落合博満さんの監督時代の成績を時系列でまとめてみました。

落合博満

「【画像】落合博満の若い頃は?ルーキーから現役引退までの成績を時系列まとめ!」からの続き

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落合博満は49歳の時に中日ドラゴンズの監督に就任

1998年10月7日、44歳で現役を引退した落合博満さんは、その後、解説者や日刊スポーツ野球評論家として活動すると、

2001年2月には、横浜ベイスターズのキャンプで臨時打撃コーチを務め、2003年10月8日、49歳の時には、中日ドラゴンズの監督に就任しています。

ちなみに、監督就任後は、コーチ陣を招聘して、自らコーチの年俸も決め、球団と交渉したそうですが、まず、一番に声をかけたのは、森繁和氏だったといいます。

また、落合博満さんは、中日で鉄拳指導をしていた星野仙一さんを反面教師として暴力排除を掲げ、招聘した全コーチ一人一人に、選手に暴力を振るった場合は即刻解雇とする旨の誓約書にサインさせたといいます。

落合博満は50歳(中日ドラゴンズ監督就任1年目)の時に現有戦力で日本一になることを目標に掲げていた

そして、落合博満さんは、中日監督就任1年目の2004年は、誰一人として戦力外やトレードで放出せず、ほぼ補強なし(現有戦力)で、日本一になることを目標として掲げると、キャンプ初日に異例の紅白戦を行い、

春季キャンプでは、選手たちに、6勤1休で朝早くから晩まで徹底的に練習させたといいます。

落合博満は50歳(中日ドラゴンズ監督就任1年目)の時にいきなりリーグ優勝を果たしていた

そんな落合博満さんは、中日監督就任1年目の2004年、いきなり、中日ドラゴンズをリーグ優勝に導いているのですが、

このシーズンの開幕戦は、なんと、3年間一軍登板のなかった川崎憲次郎投手を開幕投手に起用しています。

2004年優勝した落合博満
2004年、中日ドラゴンズ監督就任1年目でリーグ優勝を決め、胴上げされる落合博満さん。

落合博満は52歳(中日ドラゴンズ監督就任3年目)の時には2度目のリーグ優勝

ただ、中日監督就任2年目の2005年は、主砲のタイロン・ウッズ選手が暴行事件を起こして出場停止となり、この影響により、2位に終わるのですが、

監督就任3年目の2006年10月10日には、再び、中日を2年ぶりとなるリーグ優勝に導いています。

落合博満は53歳(中日ドラゴンズ監督就任4年目)の時には連覇を逃すも日本一に輝いていた

また、中日監督就任4年目の2007年は、連覇を逃し、2位に終わるのですが、

クライマックスシリーズで、阪神と巨人に全勝して日本シリーズ出場を果たすと、日本シリーズでも、日本ハムを4勝1敗で下し、見事、日本一に輝いたのでした。

2007年優勝した落合博満
2007年、日本シリーズで日本一に輝き、胴上げされる落合博満さん。

落合博満は56歳(中日ドラゴンズ監督就任7年目)の時に3度目のリーグ優勝

そして、

  • 2008年(中日監督就任5年目)は3位
  • 2009年(中日監督就任6年目)は2位

と、リーグ優勝は逃すも、

中日監督就任7年目の2010年(落合博満さん56歳)は、投手陣と抜群の守備力で、3度目となるリーグ優勝を果たしています。

落合博満は57歳(中日ドラゴンズ監督就任8年目)の時に4度目のリーグ優勝(連覇)を果たしていた

さらに、中日監督就任8年目の2011年(落合博満さん57歳)は、圧倒的な投手陣の活躍により、4度目のリーグ優勝(連覇)を果たしたのでした。

落合博満
2011年、4度目のリーグ優勝(連覇)を果たし、胴上げされる落合博満さん。

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落合博満は57歳で中日ドラゴンズの監督を解任されていた

しかし、なんと、2連覇を達成した2011年のオフの9月22日、落合博満さんは、監督退任(事実上の解任)を発表されたのでした。

(しかも、その理由というのが、観客動員数の減少だったそうで、現場監督として優秀な成績を残していた落合博満さんが経営責任を取らされたのでした)

落合博満
2011年10月18日、横浜戦で優勝が決定し、ファンの声援に応える落合博満さん。

お読みいただきありがとうございました

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