22歳頃から、大阪でジャズコンボ系のバンドのピアニストとして活動を開始すると、その後、「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」、細野晴臣さん、大瀧詠一さん、山下達郎さんなどの作品の制作に参加し、日本の音楽史において電子音楽とシティポップの礎を築いた革新者として、国内外で高く評価されている、佐藤博(さとう ひろし)さんですが、

中学2年生の時には、お寺の長男に生まれたことで、将来は住職になるしかないことに絶望していたそうで、そんな中、ひょんなきっかけで、ギターを弾いたところ、衝撃を受けて、生きる気力が湧き、音楽に夢中になっていったといいます。

今回は、佐藤博さんの、中学時代(生い立ち)からキャバレーでギターの弾き語りを始めた頃までをご紹介します。

佐藤博

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佐藤博のプロフィール

佐藤博さんは、1947年6月3日生まれ、
京都府京都市の出身、
(鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ)

ちなみに、「佐藤博」は本名です。

佐藤博は真言宗の寺の長男として誕生していた

佐藤博さんは、鹿児島県の知覧で、真宗大谷派のお寺の長男として誕生すると、

1949年、2歳の時、家族と共に京都の寺に移住したそうです。

佐藤博は中学2年生の時に住職にならなければならないことに絶望していた

そんな佐藤博さんは、物心がつくと、実家が寺だったことで、宗教的なことをしょっちゅう考え、釈迦やキリストのような生き方に憧れるようになったそうですが、

中学2年生頃になると、自分自身も周りの人達もそんな生き方からは程遠い生き方をしていることに矛盾を感じ始めたそうです。

そして、

寺の住職になるという家業を継ぐしかなく、職業選択の自由も許されないのか

と、悩み始めて、あらゆることが嫌になり、この世から逃げ出すことばかり考えるようになったといいます。

佐藤博は中学2年生の時にギターを弾いて衝撃を受け、生きる気力が湧いていた

そんな中、好きな女の子がギターを習っていると知り、自身もギターを買って弾いてみたところ、ギターをポロンと弾いたその瞬間、全く予想もしていなかったほどの衝撃を受けたそうで、

佐藤博さんは、その時、神様に後ろから抱きすくめられ、

そうでもないんだよ

と、言われたような気がしたそうで、

それからというもの、

音楽とかかわっていられたら、生きてやってもいいかな

と、思うようになったのだそうです。

佐藤博は高校1年生の時にビートルズの影響で多重録音に没頭するようになっていた

そんな佐藤博さんは、高校1年生の時には、友達に教えてもらってビートルズを知り、ビートルズが自分たちで曲を作って演奏していることも知ると、

佐藤博さんも、ギター、ドラム、ベースを習得し、自宅の蔵で、自分で演奏して録音(1人で多重録音)するようになったそうで、

1つのMTR(マルチトラックレコーダー)の中で交互にダビングをするピンポン録音を繰り返し、出来上がる頃には、テープのノイズで、音がよく分からなくなっていたそうですが、これがやりたくてたまらず、学校にも行かずに、没頭したのだそうです。

(高校2年生の時には、ソニーのオープンリールの4トラック・レコーダーを入手したそうです)

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佐藤博は高校卒業後はキャバレーでギターの弾き語りを始めていた

そして、高校卒業後は、キャバレーでギターの弾き語りを始めると、19歳くらいの時、アレンジャーの藤尾正重さんを紹介してもらったそうで、

藤尾正重さんに、

プロになりたい

と、相談すると、

どういう方向でやっていきたいの?

と、聞かれ、

佐藤博さんが、

サウンドやアレンジに一番興味がある

と、答えると、

藤尾正重さんには、

今からではちょっと遅いけど、ピアノはやっておいた方がいい(コードや譜面で音楽を伝える時、鍵盤音楽をやっておいた方が理解するのに役立つという意味で)

と、アドバイスしてもらったそうで、

佐藤博さんは、このアドバイスに従い、さっそく、独学でピアノの練習を開始したのだそうです。

ただ、この頃は、ピアノの練習は好きではなく、ギターの方が好きで、ピアノがメインの楽器になるとは思ってもいなかったそうで、

佐藤博さんは、

それまでの僕は演奏能力もないし、譜面も読めない、かろうじて歌う自信だけはあった程度。

頭の中では作りたい音楽がかなりはっきりあったけれど、それをどうやって人に伝えていいかが分からなかった。ピアニストを目指すというよりは、伝える方法を得るためにピアノを始めたんです。

と、語っています。

ちなみに、佐藤博さんは、自分の手を“演奏マシン”に見立て、それを自在にコントロールできるように鍛えていくという練習方針を立てたそうで、

一般的に初心者が最初にする「バイエル」「ツェルニー」は飛ばし、テクニックを身につけるために最適だと言われている「ハノン」を教本に選んだのだそうです。

「佐藤博の若い頃(関西時代)は?ピアニストデビュー後は歌謡歌手のバックバンド!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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