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田淵幸一は首位巨人と1ゲーム差の直接対決で逆転満塁本塁打を放っていた!

1973年、阪神タイガースは、9月23日から10月10日の間、7連勝と4連勝を含む11勝1敗で、一気に首位の巨人を抜き去り、首位に立っているのですが、その躍進には、主軸を担っていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんも大きく貢献していました。

田淵幸一は江夏豊の球宴9連続三振の時の捕手だった!

プロ入り2年目の1970年には、広島の外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、プロ入り3年目の1971年には、「急性腎炎」を患い、開幕から2ヶ月以上欠場しているのですEEE

田淵幸一は外木場義郎からこめかみ死球の前に肘にも死球を受けていた!

1970年8月26日の広島戦で、外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、実は、この日、外木場投手からは、最初の打席にも肘に死球を受けていたといいます。

田淵幸一は若い頃こめかみに死球を受け4日間意識不明になっていた!

ルーキーイヤーの1969年には、シーズン終盤に盛り返して22本塁打し、「新人王」に輝いた、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、プロ入り2年目の1970年も、オールスター前に17本塁打と、順調に本塁打を量産していたのですが、8月26日の広島戦EEE

田淵幸一はルーキーのとき残15試合7本塁打で新人王を獲得していた!

打撃成績が下降の一途をたどり、シーズン終盤の9月中旬頃には、「新人王」は絶望的だと言われた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、そんな中、後藤次男監督の命で、再び、捕手から一塁手に転向すると、その後は、残り15試合で7本塁打と打ちまくりEEE

田淵幸一の新人王は9月中旬の時点では絶望視されていた!

ルーキーイヤー(1969年)には、オールスター前に10本塁打し、新人王を期待された、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、ファン投票ダントツ1位でオールスターに選出され、オールスターでもホームランを放っているのですが、オールスター明けは、勢いEEE

田淵幸一はルーキーでオールスターに出場しホームランを放っていた!

キャッチャーから負担の少ないファーストに転向し、本来の打棒を取り戻しつつあった中、フロントの現場介入で、再び、キャッチャーに戻され、落胆していたという、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、そんな中、ファン投票ダントツ1位でオールスターにEEE

田淵幸一はルーキーのとき捕手から一塁手に転向し本塁打を量産するも・・・

開幕2日目に2打席連続ホームランを放つと、その後も、順調にホームランを重ねていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、やがて、成績が下降したことから、打撃を活かすため、捕手から一塁に転向を命じられると、再び、勢いを取り戻すことができたのEEE

田淵幸一が若い頃は江夏豊と「黄金バッテリー」と呼ばれていた!

ルーキーイヤーのオープン戦では、弱点の内角高めを攻められ、自分のバッティングを崩されていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、ペナントレースが開幕すると、2日目にして、2打席連続ホームランを放つなど、ホームランを連発していき、やがてはEEE

田淵幸一はルーキーで開幕2日目に2打席連続本塁打を放っていた!

公式戦初打席の平松政次投手との対戦では、速球に全く手が出ず、3球三振に倒れた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、その翌日の、大洋ホエールズとのダブルヘッダーの第2試合では、2打席連続本塁打を放ち、周囲を驚かせたといいます。

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