「踊る大捜査線」のおとぼけ3人組「スリーアミーゴス」のひとり、袴田健吾役でブレイクすると、以降、主人公の、上司役、お父さん役など、バイプレイヤーとして数多くの映画やテレビドラマに出演されている、小野武彦(おの たけひこ)さん。今回は、そんな小野さんの少年時代から俳優になられるまでの足跡をご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

小野さんは、1942年8月1日生まれ、
東京都狛江市のご出身、

身長173センチ、
体重74キロ、

血液型はA型、

学歴は、
玉川学園~玉川大学文学部中退(小学~大学一貫校)、

趣味は、テナーサックス(「踊る大捜査線」の共演者で「スリーアミーゴス」の斉藤暁さんと一緒に吹いているそうです)

ちなみに、「小野武彦」は本名で、旧芸名は「黒木進」です。

母方の祖父は小野金次郎

小野さんの母方の祖父は、新聞記者・脚本家・作詞家の小野金次郎さんです。

金次郎さんは、読売新聞の演芸記者(読売新聞文芸部長)を務められていたそうですが、やがて、シナリオや戯曲を書くようになり、1932年にイギリスの喜劇役者・チャップリンが初来日した時には通訳を務められたそうで、小野さんの自宅には、金次郎さんが残したチャップリンのサイン入り写真が飾られているそうです。

少年時代から「日活」の撮影所に出入りしていた

さて、小野さんは、戦前は職業軍人、戦後は石油会社に勤務していたお父さんのもと、東京で誕生しているのですが、小学生の時は引っ込み思案だったそうで、そんな性格を直すため、担任の先生に勧められ、親に演劇部に入れられたそうです。

また、家の近くには映画館があったことから、当時、3本立てで公開されていた、小津安二郎監督や黒澤明監督の映画など、たくさん映画を観たそうで、特に、小津監督の映画は、子どもながらに心惹かれるものがあったそうです。

さらに、家の近くには、映画館だけではなく、「日活」の撮影所もあり、通っていた玉川学園には、映画・演劇関係者の子どもが多かったことから、そのつてで「日活」の撮影所に出入りさせてもらっていたのだそうです。

中学生の時、石原裕次郎に憧れて俳優になる決意

そんな環境で育った小野さんは、中学生の時、「日活」の撮影所で石原裕次郎さんを見て、裕次郎さんに憧れ、俳優になる決意をされたそうで、

お父さんとおじいちゃんにその旨を告げると、おじいちゃんはシナリオや戯曲を書いていたことがあり、お父さんも芝居や俳句が好きだったことから、それほど強く反対されず、「やる以上は一所懸命にやれ!」と応援してくれたのだそうです。

小学校の演劇部では浜田光夫の先輩だった

ところで、小野さんが小学6年生の時、演劇部に転校生(1学年下)が入部してきたそうですが、その転校生はとても演技が上手だったそうで、それまでは、小野さんがいい役をされていたそうですが、

これからはこいつだな

と、予感がしたそうです。

すると、その予感は見事的中。

実は、その転校生は、後に吉永小百合さんの相手役を数多く務められた、浜田光夫さんなのですが、

小野さんが14歳の時、浜田さんから、

僕も石原裕次郎さん好きなので日活に連れてってください

と、言われ、「日活」の撮影所に連れて行ってあげたところ、なんと、その3ヶ月後には、浜田さんはデビューしたそうで、小野さんは、子ども心にも、ちょっとした挫折を感じ、いったん、お芝居から距離を置かれたのだそうです。

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「俳優座」養成所では「花の十五期生」

そして、しばらくは、演技とは無縁の生活を送られていた小野さんですが、大学進学後、同級生が、「俳優座」養成所の試験を受けて合格したそうで、

その友人が、「来年受けてみれば?」と言ってくれたことがきっかけとなり、大学2年生の時、「俳優座」養成所の試験を受けると、見事合格。

こうして、小野さんは、1963年、「俳優座」養成所に入られたのでした。

ちなみに、「俳優座」の小野さんの同期には、地井武男さん、村井國夫さん、原田芳雄さん、前田吟さん、夏八木勲さん、林隆三さん、秋野太作さん、高橋長英さん、竜崎勝さん、栗原小巻さん、太地喜和子さん、赤座美代子さんなどがおられ、後に「花の十五期生」と呼ばれているのですが、

小野さんは、特に、地井武男さん、村井國夫さんと仲が良かったそうです。

(1970年には、この2人に、前田吟さん、高橋長英さん、夏八木勲さん、竜崎勝さんの4人を加えて「どぅりーみぃ7(セブン)」という会社を立ち上げられたそうです。)

「小野武彦の若い頃は大河ドラマ「勝海舟」で脚光を浴びていた!」に続く

(左から)夏八木勲さん、村井國夫さん、小野さん、地井武男さん、前田吟さん、高橋長英さん、竜崎勝さん。

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