鍛え上げられた体と野性味あふれる男らしい風貌で、主演、助演とも、数々の映画やテレビドラマで存在感を発揮してこられた、夏八木勲(なつやぎ いさお)さん。今回は、そんな夏八木さんのデビューまでの足跡をご紹介します
年齢は?出身は?身長は?本名は?旧芸名は?
夏八木さんは、1939年12月25日生まれ、
東京府東京市(現在の東京都)足立区北千住のご出身、
身長176センチ、
血液型はA型、
学歴は、
東京都立墨田工業高等学校
⇒慶應義塾大学文学部仏文科中退
特技は、
乗馬、合気道、空手、
ちなみに、「夏八木 勲」は本名で、愛称は、なっちゃん、パパですが、1978~1984年の間は、「夏木 勲(なつき いさお)」名義で活動されていました。
外交官を目指していた
夏八木さんは、外交官を目指して慶応大学仏文科に入学したそうですが、授業にはあまり出席せず、よく、友人の久保田秀雄さんの家に泊まっては、2人して町道場や本部道場で、柔道、合気道などの稽古に励んでいたそうで、
当然のことながら、外交官試験には失敗してしまったそうです。
(久保田さんは、後に、海産物を扱う会社をロサンゼルスに設立し、全米65カ所の販売代理店からの日系寿司バーへのスモークサーモン販売網を築きあげられています。)
「文学座」養成所~「俳優座」養成所
そんなある時、久保田さんの奥さんから、俳優になることを勧められ、大学在学中に劇団「文学座」の研究所に入所すると、ここで1年の研修期間を終え、1963年には大学を中退して「俳優座」の養成所を受験し見事合格。1966年には3年の研修を経て「俳優座」を卒業されたそうで、
夏八木さんは、「俳優座」での3年間について、
俳優座の養成所は三年間あって、それが大きかったと思います。一年じゃあ、短すぎる。三年間も四十人くらいの若者が、芋を洗うみたいにゴロゴロしているわけですから、
その中で自然と自分のキャラクターみたいなものを、意識せざるを得なくなっていったんじゃないですかね。バラバラの奴らはバラバラのままでいいんだ、と。
「あいつはいい声を出して芝居も上手いけど、あいつに似ることはない。俺は俺でいいんだ」ということを三年間かけて気づいていったんです。
僕なんかは一番年上だったから、余計にそういう意識はありましたね。三年の時間という「篩(ふるい)」の中で残ったのが、そいつの個性なんだと思います。
と、語っておられました。
(「俳優座」の同期には、他に、原田芳雄さん、林隆三さん、地井武男さん、村井國夫さん、前田吟さん、小野武彦さん、高橋長英さん、太地喜和子さん、栗原小巻さんがおられ、後に「花の十五期生」と呼ばれました)
(左から)夏八木さん、村井國夫さん、小野武彦さん、地井武男さん、前田吟さん、高橋長英さん。
「骨までしゃぶる」で映画デビュー
そんな夏八木さんは、「俳優座」卒業後は、「東映京都」と契約し、加藤泰監督の傑作映画「骨までしゃぶる」で映画デビューすると、
「骨までしゃぶる」より。夏八木さんと桜町弘子さん。
そのたった5ヶ月後には、当時、フジテレビに在籍していた五社英雄監督と知り合い、まだ脚本のできていない段階から誘われて、野性的な賞金稼ぎを主人公にした西部劇タッチのアクション時代劇「牙狼之介」の主演に抜擢。
「牙狼之介」より。夏八木さんと桜町弘子さん。
翌年1967年の2作目「牙狼之介 地獄斬り」でも主演を務められると、劇中、刃引きはしてあるものの、真剣と同じ重量の鉄身で殺陣を披露されたのでした。
「牙狼之介 地獄斬り」より。西村晃さん(左)と夏八木さん。
ちなみに、五社監督は、まだテレビが軽視されていた1963年当時から、テレビシリーズ「三匹の侍」で、刀が合わさったり人が斬られたりする時の効果音を開発するほか、独自のアクション表現を追求するなど、低迷する映画界にあって貴重な存在で、
夏八木さんは、「牙狼之介」のほかにも、「御用金」(1969)、「鬼龍院花子の生涯」(1982)と、五社監督の作品に出演されています。
「夏八木勲の若い頃は「JAC」で千葉真一と鍛えていた!」に続く
「鬼龍院花子の生涯」より。(左から)仲代達矢さん、室田日出男さん、益岡徹さん、夏目雅子さん、岩下志麻さん、夏八木さん(当時は夏木さん)、タンクローさん、松野健一さん。