「ギランバレー症候群」や「乳がん」など病に苦しみ、芸能活動を休止されていた晩年の大原麗子(おおはら れいこ)さんですが、これまで親しくしていた友人たちからも見放されるほど、精神的に追い詰められていたようです。
「大原麗子の病気はギランバレー症候群!乳がんも!再発していた?」からの続き
悲惨な晩年~次々に友人達から見放される
大原さんは、1982年、映画「さりげなく憎いやつ」での共演で、女優の鹿沼絵里さんと知り合われると、大原さんが当時注目していた俳優の古尾谷雅人さんが鹿沼さんの交際相手だったことや、鹿沼さんが大原さんに声や雰囲気が似ていると言われていたことなどから仲良くなり、
鹿沼さんと古尾谷さんの結婚式では、大原さん&森進一さん夫妻(当時)が媒酌人を引き受けられるほど、親しくされていたそうです。
そして、その後も家族ぐるみの付き合いが続き、ある時、大原さんは、仕事をセーブして家庭に入った鹿沼さんにマネージャーをやってほしいと頼まれるのですが、鹿沼さんは断られます。
というのも、当時、鹿沼さんは、2人の子育てに加え、夫の古尾谷さんからDVを受けており、とても大原さんのことまで手が回る状態ではなかったのですが、それを知っていながら大原さんがマネージャーの話をしてこられたそうで、
古尾谷は5歳の時に父親が再婚し、継母からは愛情を得られず、父親からもストレス解消のため虐待を受けていました。麗子さんも父親の虐待で絶縁にまで至っていますが、そのせいで2人は似た部分があったと思います。自分のイメージを大事にするあまり、仲よくなるとぶつかってくる性格は同じでした
と、大原さんとのことに嫌気をさし始めており、
(古尾谷さんは、仕事を選びすぎた結果、仕事が激減してしまい、自宅のローンなど払えなくなって、「うつ」となると、そのはけ口として鹿沼さんに暴力をふるい、挙句の果てには、2003年3月に自宅で首を吊って自殺されています)
やがて、大原さんは芸能活動を休止するのですが、すると、ますます、鹿沼さんへの依存が強くなり、真夜中でもお構いなしに電話をかけてきては、一方的に自分の愚痴を聞かせたそうで、
ついに、鹿沼さんは、
古尾谷のことでも生き地獄なのに、まして子育ては1分でも寝られる時に寝ていたい‥‥そう告げたら、麗子さんは「あっそ!」と電話をガチャンと切ってしまいました
と、大原さんと縁を切られたのでした。
浅丘ルリ子や森光子からも見放され・・・
また、女優の浅丘ルリ子さんも、もともと、大原さんとは本当の姉妹のように親しかったそうですが、2007年頃から、大原さんが深夜の2~3時頃に浅丘さんへ電話をかけてきては、一方的に不平不満を延々と愚痴り続けたことで、最終的には、浅丘さんが我慢の限界に達し、
もう話したくない、絶交する!
と、縁を切られたほか、
後見人を務めていた森光子さんも、浅丘さん同様に、大原さんの長電話に苦しめられ、縁を切られたそうで、
大原さんは、次々と友人たちから見放されてしまったのでした。
生活が困窮
一方、大原さんは、仕事を休業している身の上で(わがままで干されていたに近かった)、豪邸の高額な固定資産税に光熱費のほか、自身の病気の治療、車椅子生活を送っていたお母さんの介護と経済的に苦しくなっていったようで、
所有する高価な絵画や骨董品などは全て売り払い、そのうえ、年金の受給開始年齢になる前に一部を受け取れる「繰り上げ受給」を申請されると、
弁護士と一緒に、社会保険事務所を訪れて、
年金額がなんでこんなに少ないんですか
と、抗議されていたそうで、そこには、すでに往年の大女優の面影はなかくなっていたのでした。
孤独死で死後3日後に発見!死因は?
こうして、すっかり一人きりになった大原さんは、2009年8月6日、連絡が取れず、不審に思って警察に通報した弟さんらによって、自宅2階の寝室の床上で仰向けに倒れて死亡しているのが発見されます。
携帯電話を取ろうとして、15センチの距離で手を伸ばしたまま亡くなっていたそうで、解剖の結果、8月3日、「不整脈による脳内出血」で亡くなったこととされたのでした。
(ただ、当初は、死後2週間と思われていたそうなので、夏ということもあって、遺体は相当傷んでいたようです)
お別れ会
ちなみに、大原さんの「お別れの会」が開かれると、発起人の森光子さんは、
美しくて才気があって、でも寂しがりやでみんなにキツいことを言ったりもするハキハキした女優さん。とても素晴らしい女優人生だったと思います。
でも病魔というものが麗子ちゃんには早くついてまわった。難病にとりつかれてから心に傷を負ったようにとても辛い日々が続いたことと思います。
麗ちゃん。あなたこんなに愛されていたのね。とても辛かった思いでもあるでしょうけど、これから幸せになってください。
浅丘ルリ子さんは、
ここ数年、何度も言い争いになって距離を置いていた時期もあった
夜中に電話がかかってきて、人様への不平不満を言い続けるだけの電話。もう麗子からの電話には出たくないって思いました。
あなたがどんなに拒否しても“姉”としてちゃんと受け止めてあげるべきだった。本当にごめんね麗子。
今こうして再びあなたに話しかけていると、もう何のわだかまりもありません。優しさ、かしこさ、可愛らしさだけを思い出しています。私の妹、麗子へ。心安らかに眠ってください。
と、弔事を読まれています。
大原さんの「お別れ会」より。(奥から)加藤和也さん、渡辺美佐さん、浅丘ルリ子さん、石井ふく子さん、森光子さん。
さて、いかがでしたでしょうか。
やはり、大原さんは、度重なる病で性格が変わってしまわれたのでしょうか、それとも、鹿沼さんがおっしゃるように、幼少期のお父さんからの暴力によるトラウマが、病の苦しみにより、表面化してしまったのでしょうか。
いずれにせよ、そのため、孤独な晩年と死になったわけですが、見方を変えると、だからこそ、当事者でない人間には大原さんの生涯がミステリアスに見え、大女優と映るのかもしれませんね。
大原さんのご冥福をお祈りいたします。
「大原麗子の生い立ちは?若い頃は?ウィスキーのCM?出演ドラマ映画は?」
https://www.youtube.com/watch?v=amuGgCKN__o