若い頃は、その可憐な姿で、「日活」のスター女優として活躍しつつも、その後は、美貌を捨ててまで北極点到達に挑戦し、2度目の挑戦で見事偉業を成し遂げ、世間を驚かせた、和泉雅子(いずみ まさこ)さんですが、プライベートはどうだったのでしょう。今回は、そんな和泉さんの結婚、北海道での暮らし、僧侶疑惑など、話題になっていることをご紹介します。
「和泉雅子の北極遠征中は毎日1人で1キロの肉を食べていた!」からの続き
結婚は?
和泉さんは、これまで一度も結婚されておらず、過去の交際相手や、噂になった人、初恋の人についても情報がないのですが、
和泉さんによると、和泉さんが13歳の時、「悪い虫がつくといけないから」という理由で、当時所属していた「日活」から恋愛禁止令が出され、
さらには、和泉さんを悪い虫から守るため、お母さんが付き人になり、お父さんもこれに大賛成だったことから、結局、和泉さんが26歳になるまでお母さんが付き人だったそうで、若い頃は、恋愛するすきもなかったのかもしれません。
ちなみに、その後、和泉さんは、雑誌の取材などで、
30歳までには結婚したい
と、語っておられたそうです。
現在は北海道士別市の別荘と東京銀座の自宅の往復生活
そんな和泉さんは、1998年、北海道の士別市というところに別荘(「マークン山荘」)を建て、現在は、東京・銀座にある自宅と北海道の別荘を往復する生活を送られているそうですが、
この別荘、敷地面積4000坪、建坪75坪の大きなログハウスで、しかも、180°オーシャンビューという素晴らしいロケーションなのだそうです。
また、和泉さんは、冬に寒くて家の中でゲームばかりしている子どもたちを、家の中から引っ張り出してやろうと、ここ士別市で、観光課に掛け合って、一緒に遊ぶ子どもたちを募集し、自ら企画した「寒いのへっちゃら隊」というボランティア活動をされており、「まこばあば」と、子どもたちから慕われているほか、
往年のファンたちと一緒にごはんを食べたり、おしゃべりをしたり、自身の別荘に招いてパーティーもされるなど、交流の場を持たれているそうで、
和泉さんの北海道での生活は、別荘でゆっくり・・・という感じではないようです♪
真言宗の僧侶?
ところで、和泉さんを、「僧侶」で多くの人が検索されているようで、ネット上では、和泉さんが真言宗の僧侶だと話題になっているようです。
実は、和泉さんは、子役だった1959年、12歳の時、2本目の映画「風花」で久我美子さんの子ども時代役を演じられているのですが、その後、和泉さんが「日活」に入社してからは、「5社協定」により、久我さんと映画で共演することはなく、
(「5社協定」(一時は6社協定)とは、当時、映画会社の間で調印された、各映画会社専属の監督や俳優の引き抜きや貸し出しを禁止する協定)
和泉さんが20歳の時、「日活」本社の「結髪室」(女性用の化粧室のこと)にいたところ、
久我さんが、
覚えてる?
と、話しかけてくれたそうで、
和泉さんが、
もちろんです。あの時は私を選んでくださって、ありがとうございました
と、挨拶すると、
その後は、テレビドラマ「華麗なる一族」(1974~1975年)で共演するほか、偶然、美容院も一緒だったりと、久我さんとは不思議な縁でつながっていたそうで、
そんなある日のこと、テレビ番組がきっかけで親しくなった、「シバレン」こと、直木賞作家の柴田錬三郎さんから、奈良市内の法華寺というお寺(光明皇后ゆかりの尼寺だそうです)まで届け物をしてほしいと頼まれたことから、和泉さんはリュックを背負って山に登るような格好で行くと、その尼寺のトップは、なんと、久我さんのおばあさん(久我高照さん)だったのだそうです。
(久我さんのおばあさんは、気さくでやさしく、おっとりしていて品が良く、こんな人になりたいと思わせる方だったそうです)
そして、届け物を渡した和泉さんは、1時間半ほど、縁側でゴロンと横にならせてもらうと、その後、久我さんのおばあさんに、あの世や仏教について話してもらい、さらには、食事も一緒にしたそうですが、
その際、梵天様が気に入り、梵天様の絵を描くと、このことがきっかけで仏画を描くようになり、今でも仏画が大好きで、日記代わりに描いているというのです。
という訳で、和泉さんは、真言宗の僧侶ではないようですが、久我さんとのご縁から仏教に親しんでおられることは間違いないようです。
さて、いかがでしたでしょうか。
和泉さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?愛称は?
- 両親は大衆食堂を経営していた
- 美男美女の両親のもと誕生
- 4、5歳の時から一人で起きて弟を連れて幼稚園に通っていた
- 小学校時代は勉強が苦手だった
- 勉強が苦手になった理由とは
- お転婆な女の子だった
- 学校が嫌でたまらず「劇団若草」に応募
- 美少女という理由だけで「劇団若草」のオーディションに合格
- 映画「荒城の月」で子役デビュー
- 美少女という理由だけでヒロインの子ども時代役に抜擢されていた
- ロケで学校を2週間休めることが嬉しくて仕方なかった
- 木下恵介監督作品「風花」に出演
- 小学6年生で「劇団若草」を退団
- 喜劇役者を目指し落語家の柳家金語楼に弟子入りするも・・・
- 水の江瀧子にスカウトされて「日活」に入社
- 清純派女優として人気を博す
- 「日活」は年功序列がなく和気あいあいとしていた
- 音楽ダビング室が一番のお気に入りの場所だった
- 至れり尽くせりだった
- 吉永小百合と松原智恵子と共に「日活3人娘」として絶大な人気を博す
- 高橋英樹とよくケンカしていた
- 中平康監督に気に入られていた
- 浅丘ルリ子にもかわいがられていた
- 映画「非行少女」で演技派女優としての地位を確立
- 「非行少女」出演は「日活」の命令だった
- 「非行少女」では実際に厳しい演技指導で精神的に追い込まれていた
- 後半の演技は実際の感情が非行少女そのものだった
- 「めぐり逢う日は/幸せの花を咲かせよう」で歌手デビュー
- 山内賢とのデュエット曲「二人の銀座」が大ヒット
- 「二人の銀座」はもともと越路吹雪のための曲だった
- ハモリを知らず、4回目のレコーディングでようやく成功
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- セリフが覚えられなかった
- セリフ覚えが悪く石坂浩二に嫌われる
- 南極に魅了される
- 北極へ行く準備を始める
- ヤマト運輸の小暮昌男社長に協力してもらっていた
- 北極行きを冒険家・植村直己の妻に相談していた
- 冒険家・多田雄幸に引き止められるも・・・ますます行ってみたくなる
- 五月女次男にベーゼル・ジェスダーセンを紹介してもらう
- 父親を説得
- 北極行きを周囲に伝えるも誰からも相手にしてもらえなかった
- 現地コーディネーター・ベーゼル・ジェスダーセンと打ち合わせ
- 石井ふく子に北極挑戦後の仕事を約束してもらっていた
- 北極行きに備えて太り初日と楽日ではまるで別人だった
- 村山雅美から隊長の心構えやサバイバルの必要性を学ぶ
- 伊藤周左ェ門のテントで1週間寝起きするテストに合格
- 朝日新聞社会面で北極遠征が密着取材されることが決定
- 北極つながりで面識のなかった高倉健とも
- 北極点到達に向けて出発
- マコ隊は遠征途中でメンバーが入れ替わっていた
- 氷河に行く手を阻まれ断念
- 2回目の挑戦で北極点到達に成功
- 和泉雅子のコメント
- 3つだったテントを1つにしメンバー間のコミュニケーションを図っていた
- 防寒コートを日本製に変更していた
- 毎日1キロの肉を食べていた
- 北イヌイットの生活の知恵も借りていた
- 結婚は?
- 現在は北海道士別市の別荘と東京銀座の自宅の往復生活
- 真言宗の僧侶?
について、まとめてみました。
小学校に行くのが嫌で芸能界に入ると、その後、美貌の青春スターとして人気を博すも、37歳の時には美貌を捨ててまで、北極点到達を目指し、42歳の時には見事成功させた和泉さん。
平凡な女性からすると、ちょっと理解しがたいことですが、近年、バラエティ番組に出演して、若い頃の可憐な容姿とあまりにもかけ離れた姿が話題となり、「“昔はきれいだった”とよく言われる」と明るく笑い飛ばす姿からは、あらためて、本当に自分のしたいことをやっておられることが伺え、凄すぎるとしかいいようがありません!!