「戦場のメリークリスマス」では、当初、出演することになっていた、緒形拳さん(ハラ軍曹役)、滝田栄さん(ヨノイ役)が共に降板し、新たなヨノイ役にと沢田研二さんにオファーするも、お互いのスケジュールの都合がつかず、物別れに終わったという、大島渚(おおしま なぎさ)さんは、その後、手当り次第ともいえる出演者探しの中、ふと、以前、テレビ番組で共演した、ビートたけしさんを思い出したといいます。
「大島渚の「戦メリ」には緒形拳と滝田栄が出演予定だった!沢田研二も?」からの続き
「戦場のメリークリスマス」はキャスティングも難航していた
当初、ハラ軍曹役で出演することになっていた緒形拳さんと、ヨノイ役で出演することになっていた滝田栄さんが共に降板し、
大島さんは、その後、ヨノイ役には、沢田研二さんのほか、三浦友和さん、沖雅也さん、友川カズキさん、ハラ軍曹役には、若山富三郎さん、勝新太郎さん、石坂浩二さん、菅原文太さんと、次々とオファーしたそうですが、いずれも話しがまとまらず、キャスティングは難航したそうです。
(勝さんに至っては、脚本を書き換えるよう要求してきたそうで、全く折り合いがつかなったそうです)
ビートたけしにハラ軍曹役をオファー
そんな中、大島さんは、全員、素人でいこうというアイディアが浮かんだそうで、
(大島さんの作品に、かつてレギュラー出演していた佐藤慶さんが、脚本を読んだ上で、ヨノイ役をやりたいと申し出たそうですが、大島さんは、「今回は全部素人で行くことにしたから」と断ったそうです)
1981年にテレビ番組で半年間共演したビートたけしさんのことを、ふと思い出し、1982年の初め、たけしさんに脚本を送ったのだそうです。
ビートたけしは小林信彦に背中を押されて出演を決意していた
すると、たけしさんは、すぐに、マネージャーにスケジュールを空けるよう伝えたそうですが、その一方で、演技には自信が持てなかったことから迷いがあり、その直後、作家の小林信彦さんと雑誌で対談した際、大島さんからオファーが来ていることを明かすと、
小林さんからは、即座に、
そりゃ出たほうがいい、すべて、すっぽかしても出るべきですよ
と、背中を押されたそうで、
たけしさんは、その言葉に勇気づけられ、出演を決意したのだそうです。
(小林さんは、以前から、たけしさんに演技の才能があることを見抜いていたそうですが、それだけではなく、かつて、大島さんから、自分がプロデュースするから監督をやってみないか、と声をかけられたことがあるほか、大島さんの映画「白昼の通り魔」では、俳優として出演するなど、大島さんの映画スタイルを熟知していたことから、たけしさんの起用が成功すると確信していたのだそうです)
ちなみに、たけしさんは、大島さんとテレビ番組で共演していた際、映画に興味がある旨を伝えると、大島さんから、
出る時は必ず主役でなきゃいけませんよ、脇役はだめですよ、自分で監督なさい、あなたは日本のチャップリンになれる、『殺人狂時代』(47)みたいなのがいいんじゃないですか
と、アドバイスされたことがあったそうです。
周囲からは撮影スケジュールの問題でビートたけしの起用を反対されていた
ただ、たけしさんは、当時、テレビ8本、ラジオ1本のレギュラー番組を持つ売れっ子だったことから、スケジュール調整が難しく、何とか2週間を捻出したものの、ニュージーランドのラロトンガ島との往復時間を差し引くと、たけしさんの出番を実質10日で撮りきらなければならなかったそうで、
周囲からは、この日数ではとても無理だと、たけしさんの起用を反対されたそうですが、大島さんは、自らが撮影スケジュールを切って、撮りきってみせると宣言したのだそうです。
「大島渚は坂本龍一で「戦場のメリークリスマス」の成功を確信していた!」に続く
「戦場のメリークリスマス」でハラ軍曹に扮するビートたけしさん。