2002年に娘のかおるさんが結婚すると、かねてから希望していたという、娘夫婦との同居が叶い、現在は、孫も合わせて4人で暮らしているという、高木ブー(たかぎ ぶー)さんですが、今回は、高木さんが溺愛しているという、孫のコタロウくんについてご紹介します。
孫・コタロウを溺愛
高木さんの一人娘・かおるさんは、41歳の時、男の子(コタロウくん)を出産しているのですが、高木さんにとって初孫となるコタロウくんは、「目の中に入れても痛くないほどかわいい」そうで、
コタロウ君が幼稚園の時には、「仮面ライダー」シリーズや「スーパー戦隊」シリーズに夢中だったコタロウくんのために、子供向け雑誌「てれびくん」「テレビマガジン」(毎月1日発売)の付録のペーパークラフトを、時には徹夜して組み立ててあげていたこともあったそうです。
(これが、意外と難しいそうですが、雑誌を買った翌朝に起きてきたコタロウ君が、完成した「仮面ライダー電王」や「侍戦隊シンケンジャー」などのヒーローを見て大喜びする様子を思い浮かべると、ついつい、頑張ってしまったのだそうです)
赤ちゃんの頃のコタロウくんと高木さん。
孫・コタロウは高木ブーの写真を撮影していた
そんなコタロウくんも、2020年には、高校1年生となり、さすがに、小さい頃のようには遊んでくれなくなったそうですが、ギターに興味を持ち、練習中とのことで、高木さんとしては、ウクレレもやってほしいと思いつつ、将来、いつか、ステージで一緒に演奏することが夢なのだそうです。
また、コタロウくんは、高校では写真部に所属しているそうですが、コンテストで賞を取るほどの腕前だそうで、高木さんの画集「高木ブー画集 ドリフターズとともに」の中で掲載されている高木さんの写真は、全て、コタロウくんによるものなのだそうです。
(コタロウくんは、普段は、自然の風景を撮影しているそうで、今回、出版社の人から、「コタロウくんにしか撮れないブーさんを撮ってほしい」と言われ、初めて、人物の写真を撮ったのだそうです)
孫・コタロウから妻・喜代子のお墓参りに誘われていた
ちなみに、高木さんは、
(コタロウくんが)生まれて間もない頃、僕とかおるがコタロウをあやしていたら、誰もいない壁のほうを向いて、何かを見ている感じでずっと笑ってたことがある。
娘が「あっ、きっとお母さんが会いに来たんだね」って言って、僕も「きっとそうだね」って答えました。
幼いコタロウと遊んでて、カタコトで一生懸命に話そうとしたりするかわいい姿を見るたびに、喜代子さんにも見せてあげたかったなあ、ここにいればいいのになって思ったもんです。
と、語っているのですが、
コロナが少し落ち着いた頃には、コタロウくんから、
おばあちゃんのお墓参りに行こう
と、言われたそうで、
一緒にお墓参りに行くと、コタロウくんは、(写真でしか会ったことのないおばあちゃんの)お墓の前で、静かに手を合わせていたそうで、高木さんの喜代子さんを想う気持ちはコタロウくんにもしっかりと伝わっているようです。
雑誌「てれびくん」のお正月号に掲載されたコタロウくんと高木さん。
さて、いかがでしたでしょうか。
高木ブーさんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?愛称は?
- 芸名はハナ肇が名付け親
- 当初は「高木ブー」という芸名が不満だった
- 現在は本名よりも「ブー」に愛着
- 幼少期は裕福な家庭で何不自由なく育つ
- 兄弟とは年齢が離れていた
- 幼少期から父親と毎晩晩酌をしていた?
- 父親に一度だけひどく怒られたことがあった
- 幼少期にはしばしば両親に映画館に連れて行ってもらっていた
- 映画館に行く前には食堂に寄るのがお決まりだった
- 当時ご馳走だったゆで卵は今でも大好物
- 12歳の時に戦争が激しくなる
- 東京大空襲を経験
- 家路に向かう道は死体だらけの焼け野原だった
- 千葉県・柏に疎開していた
- 終戦後も千葉県・柏で暮らしていた
- 誕生日に兄からウクレレをプレゼントしてもらう
- 兄がウクレレをプレゼントしてくれたのは気まぐれだった?
- 高校時代はウクレレに明け暮れていた
- ウクレレの上手な転校生と親友になっていた
- 高校時代は2年間ボクシングを習っていた
- 大学卒業後は音楽の道へ進むことを決意
- 大学卒業後は父親のコネで「東京ガス」への就職が決まっていた
- ハワイアンバンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」を結成
- 「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」としてワールドツアーにも参加
- 米軍キャンプで初めてコカ・コーラやハンバーガーを知る
- 「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」にリニューアル
- 「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」⇒「ニュー・フレッシュマン」ジェリー藤尾にスカウトされて「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」に参加
- ジェリー藤尾の控えシンガーとして仲本興喜(後の仲本工事)が加入
- エレキバンド「ロジェ滋野とシャドーズ」を結成
- ジェリー藤尾は脱退をあっさり了承してくれていた
- ジェリー藤尾とは60年も親交が続いていた
- エレキバンド「ロジェ滋野とシャドーズ」ではヴィジュアルにこだわっていた
- いかりや長介にスカウトされて「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に移籍
- いかりや長介にギャラの交渉をするも・・・
- 最終的には交渉が成立し「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に加入
- 「碇矢長一とザ・ドリフターズ」は主要メンバー4名が脱退していた
- 音楽を辞めてサラリーマンをしていた仲本工事を誘っていた
- いかりや長介が高木ブーを誘ったのは「見た目」だった
- 「ザ・ドリフターズ」として数多くのジャズ喫茶で演奏していた
- 「ザ・ドリフターズ」で「ビートルズ」初来日公演の前座を務めていた
- 「ビートルズ」初来日公演の前座では「ザ・ドリフターズ」はコントを披露していた
- 「ビートルズ」初来日公演の前座での「ザ・ドリフターズ」のデキはイマイチだった
- 「ビートルズ」の演奏をこっそりと観ていた
- 「8時だョ!全員集合」が爆発的な大ヒット
- 「8時だョ!全員集合」時代は超ハードスケジュールだった
- 「8時だョ!全員集合」のコントは自分たちで作っていた
- 高木ブーだけはいかりや長介にコントのキャラを考えてもらっていた
- 高木ブーはいかりや長介の「怒られ役」だった
- 「怒られ役」を納得していた?
- 高木ブーは「ドリフ」のメンバーの中で唯一いかりや長介に飲みに誘われていた
- いかりや長介は「ドリフ」のメンバーに辞めろとは絶対に言わないと言っていた
- 「8時だョ!全員集合」のコントでアキレス腱切断していた
- 「8時だョ!全員集合」を4ヶ月間休んでいた
- 「8時だョ!全員集合」を辞めることを考えていた
- いかりや長介に脱退を引き止められていた
- 「8時だョ!全員集合」に復帰もほどなくして放送終了
- 劇作家の別役実にスカウトされ二人芝居に出演
- 膨大なセリフの量に呆然としていた
- セリフを覚えるのに毎日必死だった
- 役者として達成感を感じていた
- 別役実の二人芝居「トイレはこちら」にも出演
- ウクレレの仕事が忙しくなって役者業から離れていた
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(CM)
- 著書
- ニコニコ動画では「ももいろクローバーZ」と「ドリフ」のコラボ番組も
- 「雷様」で大ブレイク
- 「雷様」はいかりや長介が高木ブーを活かそうと考えてくれていた
- 「雷様」での会話は高木ブーの本心だった
- NHK「趣味悠々 高木ブーの今すぐ始めるウクレレ」にも「雷様」の姿で出演していた
- 「高木ブー画集 ドリフターズとともに」を発売
- 画集は自身の米寿の記念に出版していた
- 少年時代は飛行機の絵を描くことが好きだった
- 妻には一目惚れだった
- 妻の家族からは結婚を猛反対されていた
- 3股していた
- しっかり者の妻にいつも支えられていた
- 妻は「8時だョ!全員集合」を祈るような気持ちで見ていた
- 妻は「雷様」に出演したことがあった
- 「8時だョ!全員集合」終了後は「妻孝行」しようと決意していた
- 妻との他愛のない世間話を楽しんでいた
- 妻が脳腫瘍で余命5年と宣告されていた
- 妻のために自宅をバリアフリーにリフォームしていた
- 妻は3回目の手術の後は体を動かすことも口を訊くこともできなくなっていた
- 妻が脳腫瘍で他界
- 今も妻の気配を感じている
- 娘は電通グループの社員だった
- 子育ては妻に任せきりだった
- 現在は娘夫婦と同居
- 孫・コタロウを溺愛
- 孫・コタロウは高木ブーの写真を撮影していた
- 孫・コタロウから妻・喜代子のお墓参りに誘われていた
について、まとめてみました。
2021年には、ニコニコ公式生放送「高木ブー88歳だョ!全員集合」(3月6日放送)の有料イベント・ライブを行うほか、ウクレレ演奏が中学の音楽教科書の副教材のDVDに収録されるなど、90歳間近という高齢にもかかわらず、快進撃を続けている高木さん。
これからも、お体に気をつけて末永く活動して欲しいものです。