「澤瀉屋」関係者の目に余るほど、遺書に書かれていたMさんを寵愛していたという、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さんですが、今回は、このMさんが誰なのか、また、Mさんのその後の驚くべき言動をご紹介します。
「市川猿之助(4代目)の愛するMはマネージャー兼付き人だった!」からの続き
「愛するM」は俳優の石橋正高?
2023年5月18日、一家心中を図ったとされる猿之助さんは、自殺を図った自室内に立てかけたキャンバスに、
愛するM だいすき 次の世で会おうね
Mを喜熨斗孝彦の養子にし、遺産の全てを相続する
という、遺書を遺していたそうですが、
このMさんは、俳優の石橋正高(いしばし まさたか)さんではないかと言われています。
というのも、SNSに、猿之助さんと石橋さんがプライベートでも一緒にいるところが、数多く投稿されているからなのですが、
そのどれもが、
- 石橋正高が猿之助の誕生日祝いの写真をインスタグラムにアップしていた
- モデルの櫻井貴文さんと3人で一緒にお鮨を食べに行った
- SixTONESのライブに一緒に行った
など、とても仲が良い様子で、近しい間柄に感じられるものばかりだからです。
猿之助さん(左)と石橋正高さん(右)。
石橋正高が女性と親密な様子が「週刊文春」の記者に目撃されていた
そして、事件の第一発見者で、現場から119番通報すると、猿之助さんの両親が救急車で搬送後は、現場で泣き崩れていたといわれている「M」さんですが・・・
事件から9日後の2023年5月26日には、女性と親密な様子が週刊誌の記者に目撃されています。
「週刊文春」(6月1日発売)によると、事件から9日後の2023年5月26日午前9時50分、記者が石橋正高さんを取材しようと石橋さんの住むマンションを訪れたところ、石橋さんはマンションを飛び出し、最寄り駅まで歩いていったそうですが、その日の午後5時頃には、石橋さんの住む部屋から同世代の女性が周囲を警戒しながら出てくると、それから7時間ほど経った深夜、2人が手をつないで身を寄せ合っている姿を駅前の商店街で発見したとのことでした。
石橋正高は「四代目市川猿之助が死んでも悲しくない」と言い放っていた
また、(同日かは不明ですが)記者が、石橋さんに直撃取材し、
猿之助さんの事件はどういうふうに見ている?
と、尋ねると、
石橋さんは、
何にも関わりないので
と、答え、
さらに、記者が、
何の興味もない?
と、問いかけると、
はい
と、返事。
それでも、記者が、
猿之助さんが死のうが関係ない?
と、畳み掛けると、
石橋さんは、
関係ありませんね
と、言い放ち、
その後、記者が、
まったく悲しくない?
と、尋ねるも、
石橋さんは、
はい。全然
と、平然と答えたのだそうです。
石橋正高は週刊文春の取材で「タカハシ ヨシヒコ」という偽名を使っていた
また、石橋さんは、この取材の際、別人を装うため、「タカハシ ヨシヒコ」という偽名を使っていたそうですが、途中で、取材から逃れるため、警察に連絡をし、その際、警察には、「タカハシ」ではなく「M」ですと本名を名乗り、電話を切ったそうで、
記者:(警察には)Mさんと名乗っていたじゃないですか
石橋さん:偽名ですから
記者:なぜ偽名を使うんですか。当事者なのに、おかしくないですか
石橋さん:俺は当事者でも何でもねえし
記者:Mさんの名前が遺書に書かれている
石橋さん:どこに?見たの?報道の何が事実なの。俺には全然理解できない
と、記者と数分の押し問答をしている間に、警察官が到着すると、
お巡りさーん!この人たちが僕に暴行するんです。言葉の暴行です
と、訴えたのだそうです。
(石橋さんは、取材を続けようとした記者に対し、「取材費100万円払えば偽名で情報をリークする」と提案したとも言われています)
四代目市川猿之助は石橋正高に恋愛感情を利用されていた?
ちなみに、「週刊文春」の記事では、
Mは、年上の女優を口説いては業界内で居場所を見つけていく術に長けていました
との、証言が掲載されており、
猿之助さんも石橋さんへの恋愛感情を利用されたのではとも言われています。
(石橋さんは、過去に、26歳年上の小柳ルミ子さんや、10歳年上の杉浦幸さんとの交際を報じられたこともあったといいます)
石橋正高の猿之助に対する言動に歌舞伎関係者は激怒していた
そんな石橋さんに対し、某歌舞伎関係者は、
私は、Mはいまも病室にいて、傷心の猿之助の手を握って、看病しているものだとばっかり思っていました。今回の報道には、歌舞伎関係者全員がショックを受けています
(Mさんに「次の世でも会おう」と、遺産を相続させる旨の遺書を残していたと報じられた件に対し)それなのに、猿之助のことなんかまるでそっちのけで、ほかの人を引っ張り込んでいたわけでしょう。これでは、猿之助がかわいそうすぎる。猿之助のことを“金づる”としか思っていなかった様子が、ありありと伝わってきました
猿之助は、Mに10年間にわたり献身してきました。Mに惚れた猿之助が悪いといえばそれまでですけど、Mは、自分を養子にして全財産を相続させるという遺書も見てるわけですよね。それで、よく何もなかったかのような顔をできるもんだなと
と、取材に対し、怒りをあらわにしていたといいます。
四代目市川猿之助は「SixTONES」のジェシーとも交際していた?
ちなみに、猿之助さんは、「SixTONES」のメンバーであるジェシーさんとも仲が良かったそうで、2022年、テレビドラマ「最初はパー」で共演したことがきっかけで知り合うと、
- おそろいの指輪をしていた
- ペアルックをしていた
- 猿之助さんがジェシーさんの舞台を地方まで見に行っていた
- 猿之助さんとジェシーさんは一緒にテーマパークへ行っていた
- 猿之助さんがジェシーさんの名前を本名で呼んでいた
- 正月を一緒に過ごしていた
など、その親密ぶりは「付き合っているのでは」と噂になるほどだったそうで、
遺書に書かれていたという「愛するM」はジェシーさんの本名だったという話もありますが、信憑性はなく、真偽は不明です。
ジェシーさん(左)と猿之助さん(右)。
さて、いかがでしたでしょうか。
四代目市川猿之助さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?学歴は?
- 本名は?屋号は?
- 家系図
- 歌舞伎座「御目見得太功記」の禿たより役で二代目市川亀治郎を襲名
- 16歳の時に梅沢富美男の大衆演劇「梅沢劇団」の舞台に出演していた
- 暁星中学・高校時代は成績優秀だった
- 高校卒業後は慶應義塾大学に自己推薦入試で進学
- 大学時代も成績優秀だったため教授から大学院への進学を勧められていた
- 「澤瀉(おもだか)屋」は初代市川猿之助の生家が「オモダカ」という薬草を扱う薬屋だったため
- 初代市川猿之助は「勧進帳」を無断で演じたことが原因で一座から破門されていた
- 「澤瀉屋」は初代から血縁者が跡を継いでいる
- 伯父の三代目市川猿之助から猿之助を継承した経緯とは
- 「澤瀉屋」の二枚看板「猿之助」「段四郎」のしがらみから逃れたかった
- 一座の中で脇役に甘んじなくてはいけないことが不満だった?
- 実力が評価されていないことが不満だった
- 「猿之助一座」脱退の理由を「偉大な人物である伯父から離れる必要があった」と語っていた
- 「市川猿之助一座」脱退後はバッシングを浴びるも大河ドラマ「風林火山」等で注目を集める
- 四代目市川猿之助を襲名
- 四代目市川猿之助襲名は三代目市川猿之助の長男・香川照之が歌舞伎の経験がなかったため
- 演出とプロデュースも手掛けたスーパー歌舞伎II「ワンピース」が大ヒット
- 「スーパー歌舞伎」は伯父の三代目市川猿之助によって始められたエンターテインメント性に富む現代的な歌舞伎
- 舞台機構で昇降装置に衣装の左袖が巻き込まれ、左腕を開放骨折する重傷を負っていた
- 3か月後には舞台に復帰するも・・・
- 数センチずれていれば命を落としていた
- 舞台装置に衣装が巻き込まれた原因は?
- 出演作品(歌舞伎)
- 出演作品(スーパー歌舞伎Ⅱ)
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(舞台)
- テレビドラマ「半沢直樹」の伊佐山泰二部長役が大反響
- 受賞歴
- 新型コロナウイルス感染症の流行で歌舞伎界全体が大打撃を受けるも、公演再開後は意欲的に舞台に出演していた
- 父・四代目市川段四郎と母・延子と共にぐったりと倒れているところをマネジャー2人により発見される
- 四代目市川猿之助が一家心中を図った?
- 両親の死因は向精神薬中毒だった
- 父・四代目市川段四郎と共に遺書を残していた
- セクハラ・パワハラ疑惑を報じられて気に病んでいた
- セクハラ・パワハラは本当にあった?
- コロナ禍では高級ホテルの部屋を借り切って宴会を開き、女性への絡みがエスカレートしていた
- 「二代目市川亀治郎」時代はパワハラもセクハラもなかった
- 四代目市川猿之助を襲名してから共演者やスタッフとのプライベートな関係を歌舞伎の舞台に持ち込むようになっていた
- パワハラ・セクハラは日常茶飯事だった?
- 猿之助の暴走は「澤瀉屋」で圧倒的な力を持っていたから?
- 学生時代にも稽古場で弟子に向かって暴言を吐いていた?
- 中村隼人らには高級ブランドを買い与えるほか自宅近くまで手厚く送迎していた
- いい役や仕事をもらうために四代目猿之助の行為を受け入れる者たちもいた?
- 四代目猿之助の行為を拒否した者は表舞台から消されていた?
- 代役・中村隼人は最終公演終演後の挨拶で四代目猿之助の味方でいようと思っていると発言していた
- 歌舞伎界は四代目猿之助のパワハラ・セクハラをもみ消そうとしていた?
- 四代目猿之助の所属事務所「ケイファクトリー」はパワハラ・セクハラ疑惑を完全否定
- 澤瀉屋一門を離脱後は役に恵まれず、ついには歌舞伎座からお呼びがかからなくなっていた
- 伯父・三代目市川猿之助が脳梗塞で倒れ、弟子の市川右近が「猿之助」後継者として浮上していたが・・・
- 四代目市川猿之助襲名後、三代目市川猿之助の「スーパー歌舞伎」に出演していた役者は脇に追いやられていた
- 四代目市川猿之助襲名後ほどなくして澤瀉屋一門から離れて自分の活動を優先するようになっていた
- 傲慢さゆえに澤瀉屋一門から恨みを買っていた?
- 三代目市川猿之助とその実子・香川照之が40年ぶりに和解
- 従兄弟の香川照之に誘われて四代目市川猿之助を襲名していた
- 3世代4人の襲名披露公演が行われた
- 三代目猿之助が後継者に血縁の二代目市川亀治郎を選んだのは圧倒的な実力の持ち主だったから
- 「ずっと亀治郎でいたい」と公言していた
- 市川團子(香川照之の長男)が「四代目」を襲名するまでの中継ぎだった
- 「市川團子がボンクラだったら継がせられない」と言い放っていた
- 「愛するM」はマネージャーで付き人だった
- 澤瀉屋関係者の目に余るほどMを寵愛していた
- 「愛するM」は事件の第一発見者で、現場で泣き崩れていた
- 「愛するM」は俳優の石橋正高?
- 石橋正高が女性と親密な様子が「週刊文春」の記者に目撃されていた
- 石橋正高は「四代目市川猿之助が死んでも悲しくない」と言い放っていた
- 石橋正高は週刊文春の取材で「タカハシ ヨシヒコ」という偽名を使っていた
- 四代目市川猿之助は石橋正高に恋愛感情を利用されていた?
- 石橋正高の猿之助に対する言動に歌舞伎関係者は激怒していた
- 四代目市川猿之助は「SixTONES」のジェシーとも交際していた?
について、まとめてみました。
その後、2023年6月27日、母への自殺ほう助の疑いで逮捕されると、7月18日には、父への自殺ほう助の疑いで再逮捕された猿之助さん。
これにより、2024年、2月、3月に上演予定だったスーパー歌舞伎II「鬼滅の刃」は、企画、総合演出、出演のすべてを担っていた猿之助さんが抜けたことで、代わりがおらず、やむなく中止となるほか、猿之助さんの抜けた「澤瀉屋(おもだかや)」は、一門を離れたいという若手が続出しています。
これから、「澤瀉屋」はどうなってしまうのでしょうか。そして、猿之助さん自身も。当分、猿之助さんからは目が離せません。