2011年、72歳の時、週刊誌により、福岡出身の40代の女性A子さんとの交際&同棲が報じられると、A子さんと共に、息子の香川照之さん一家と同居していることも明らかになった、二代目市川猿翁(にだいめ いちかわ えんおう)さんですが、同年11月には、すでに同居を解消し、再びA子さんと二人の生活に戻っていたといいます。
「市川猿翁(2代目)は72歳の時に40代女性との交際が報じられていた!」からの続き
息子・香川照之の家に「帰りたくない」と言い出していた
新しい恋人・A子さんと共に、息子の香川照之さん一家と3世代同居をしていたという猿翁さんですが、2011年9月27日の「四代目・市川猿之助襲名発表」会見以来、一度も香川さんの家に帰っていないといいます。
実は、猿翁さんは、会見の時は入院中で、それからしばらくして退院したそうですが、「あの家には帰りたくない」と言い、困ったA子さんに連れられて、自身の軽井沢の別荘で二人で暮らし始め、1ヶ月ほど軽井沢で暮らした後、11月に東京に戻ってくると、再び、A子さんと二人きりの生活を始めているというのです。
息子・香川照之との生活に息苦しさを感じていた
ちなみに、某歌舞伎関係者は、
香川さんは45年の時間を一気に取り戻そうとしたんでしょうね。猿之助さんに“お父さん、ぼくはこうやりたいんです”とか“こんなことをさせてほしい”と自分の気持ちを熱くぶつけたんです。
しかし、猿之助さんにしてみれば、いきなりあれこれいわれたものだから“重い”“息苦しい”となってしまったようなんです。香川さんと暮らし始める前までは、A子さんとふたりきりで悠々自適に暮らしていたわけですから、そもそも同居すること自体、煩わしく思うのは当然ですよね・・・
と、明かしているのですが、
一方、香川さんの家族も猿翁さんとの同居に苦悩していたといいます。
香川照之の家族もパーキンソン症候群を患う市川猿翁(2代目)との同居に苦悩していた
というのも、猿翁さんは、パーキンソン症候群を患っているため、夜中に奇声をあげたり、塞ぎこんで「死にたい」と言い出したりすることもあったそうで、香川さんの子どもたち(長男の政明さんと長女)がかなり気にしていたというのです。
特に、長女は、この年(2011年)幼稚園の受験を控えていたため、香川さんの前妻・知子さんはこの状況に疲れ切り、一時は子どもを連れて家を出ようと考えたこともあったそうで、
猿翁さんも、そんな香川さん一家の不安な思いを感じ取り、同居を解消したと言われています。
さて、いかがでしたでしょうか。
二代目市川猿翁さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?屋号は?
- 親族は?
- 家系図
- 4歳の時に湘南の茅ヶ崎に疎開していた
- 作曲家の山田耕筰が建てた大きな別荘に引っ越していた
- 幼少期は内気な子どもだった
- 小学校時代(戦後)は映画に夢中になっていた
- 7歳の時に東京劇場「寿式三番叟」の附千歳役で三代目市川團子を襲名
- 幼少期から定番の子役が嫌いで出演しなかった
- 歌舞伎座「源氏物語」で小君役に起用されるも登場場面が全てカットされ子役ながら激怒していた
- 慶應義塾中等部を受験して合格していた
- 中等部時代は山岳部や演劇部で充実した日々を送っていた
- 慶應義塾中等部時代は月に30本映画を観ていた
- 慶應義塾中等部時代はほとんど歌舞伎の舞台に出ていなかったが、観ることだけは欠かさなかった
- 高校生になり、再び歌舞伎の舞台に出演するようになっていた
- 高校でも演劇部で台本・演出を手掛けるなど精力的に活動していた
- 高校時代は実家を出て祖父・二代目市川猿之助(後の初代市川猿翁)の家に移り住んでいた
- 祖父・二代目市川猿之助(後の初代市川猿翁)には歌舞伎の手順や技術よりもイキや表現を自分でつかめと教えられていた
- 大学(市川團子)時代は市川染五郎と中村萬之助の十代3人で「十代歌舞伎」と呼ばれ人気を博していた
- 映画監督に憧れて映像の仕事をするようになるも歌舞伎以外に時間を使うのはもったいないと思うようになっていた
- 大学(市川團子)時代には念願だった新宿第一劇場「河庄(かわしょう)」の治兵衛役を演じる
- 歌舞伎座「吉野山(よしのやま)」の忠信などで三代目市川猿之助を襲名するも・・・
- 祖父の二代目市川猿之助(初代市川猿翁)は直前になって猿之助を譲りたくなくなっていた
- 憧れていた上方和事の祖「坂田藤十郎」を名跡に提案するもさすがに祖父に一喝されていた
- 「初代市川雪之丞」を襲名することになっていた
- 初代市川雪之丞襲名3ヶ月前に死を予感した祖父に猿之助を継いでほしいと言われていた
- 祖父・二代目市川猿之助(後の初代市川猿翁)が倒れる
- 祖父・二代目市川猿之助(後の初代市川猿翁)の当たり役「黒塚」の鬼女をやらせてほしいと直談判していた
- 自身の猿之助襲名披露公演で「黒塚」の鬼女を無我夢中で演じて成功させていた
- 祖父・二代目市川猿之助(後の初代市川猿翁)が他界
- 父・三代目市川段四郎も祖父・初代市川猿翁の後を追うように他界していた
- 肉親の後ろ盾を失うも他門に入らなかったため良い役につくことができなかった
- 祖父と父の一周忌を迎える頃には「猿翁十種」を制定していた
- 他門に入らなかった理由とは?
- 市川宗家の家芸「新歌舞伎十八番」を「澤瀉屋」の型でやることに十一代目市川団十郎からクレームがついていた
- 十一代目市川団十郎に直談判していた
- 「春秋会」では自ら劇場を借りて脚本・演出もしていた
- 国立劇場「義経千本桜」で初めて宙乗りを披露すると大当たりとなっていた
- 宙乗りは演出家の戸部銀作の提案がきっかけだった
- 宙乗りする方法を試行錯誤していた
- 宙乗りは当初は賛否両論だった
- 伝統的な歌舞伎にケレンを取り入れた演出が大当たりし他の歌舞伎役者もするようになっていった
- 現代風歌舞伎「スーパー歌舞伎」も大反響となっていた
- パリ・シャトレ劇場のオペラ「コックドール(金鶏)」の演出もしていた
- 稽古では音楽よりも言葉の壁に苦労していた
- 音に制約された動きの稽古では自ら手本を見せていた
- 女王役の美しい女性歌手に「エンノスケアイシテマス」と日本語で告げられていた
- バイエルン国立歌劇場の総監督ヴォルフガング・サヴァリッシュからオファーを受けていた
- バイエルン国立歌劇場のオペラ「影のない女」の演出を担当
- 歌手一同から感謝状が届いていた
- 出演作品(歌舞伎)
- 埋もれていた古狂言の復活通し上演をする
- 現代風歌舞伎「スーパー歌舞伎」
- 猿之助十八番
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(映画)
- 著書
- 受賞・受章歴
- 女優の浜木綿子と結婚するも3年で離婚していた
- 浜木綿子との離婚の原因は藤間紫との不倫だった
- 2000年に藤間紫と入籍
- パーキンソン症候群を発症
- 藤間紫が85歳で他界
- 息子(長男)の香川照之とは長年絶縁状態だった
- 息子・香川照之が突然楽屋を訪ねてくるも、冷たく追い返していた
- 藤間紫の説得により、60代後半にしてようやく息子・香川照之に会う決心をしていた
- 息子・香川照之は長男の政明を歌舞伎役者にさせたいと思っていた
- 息子・香川照之の歌舞伎界入りを反対し、後継者には甥の市川亀治郎を考えていた
- 息子・香川照之の歌舞伎界入りを許したのは藤間紫の死がきっかけだった
- 襲名発表会見後のフォトセッションでは、前妻・浜木綿子への感謝を口にしていた
- 72歳の時に40代女性との交際が報じられる
- 40代の女性と同棲生活を始めていた
- 息子・香川照之一家と同居していた時期があった
- 息子・香川照之の家に「帰りたくない」と言い出していた
- 息子・香川照之との生活に息苦しさを感じていた
- 香川照之の家族もパーキンソン症候群を患う市川猿翁(2代目)との同居に苦悩していた
について、まとめてみました。
埋もれていた古狂言を復活させるほか、歌舞伎の演技法を活かしながら最新の舞台機構、美術、照明を駆使したスーパー歌舞伎などを打ち出すなど、昭和から平成にかけての歌舞伎界に大きな業績を残した猿翁さんですが、香川さんのホステスへの性加害に続き、四代目市川猿之助さんの一家心中事件など、揺れに揺れている澤瀉屋はどうなってしまうのでしょうか。
当分、澤瀉屋からは目が離せません。