1936年、2歳の時に子役としてデビューすると、黎明期のテレビドラマ業界を支え、その後も、テレビドラマのほかにも、映画、司会、歌手など、幅広く活躍した、中村メイコ(なかむら めいこ)さん。

今回は、そんな中村メイコさんの若い頃からの活躍や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。

中村メイコ

「中村メイコの生い立ちは?子役時代には特攻隊を慰問し歌を歌っていた!」からの続き

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中村メイコが10代の時は「お姉さんといっしょ」で1人12役を演じ分け「七色の声」と称されていた

16歳の時に編集長格だった作家の吉行淳之介に一目惚れしていた

中村メイコさんは、16歳の時、アルバイトに憧れ、お父さんが紹介してくれた雑誌社でアルバイトを始めると、編集長格だった作家の吉行淳之介さんと顔合わせをした途端、一目惚れしたそうで、やがて、親しくなり、初デートをしたそうです。

中村メイコ

とはいえ、中村メイコさんと吉行淳之介さんは、ずっとプラトニックな関係だったそうで、中村メイコさんが1957年に作曲家の神津善行さんと結婚してからも、年に1回おしゃべりするなどの交流が長い間続いたそうです。

中村メイコ

ただ、中村メイコさんは、後に、吉行淳之介さんの長編小説「闇の中の祝祭」を読んで、吉行淳之介さんが妻と愛人との間で二重生活を送っていたことを知り、ドロドロとした愛憎混じり合う本物の男女関係というものに恐怖を感じたそうです。

19歳の時にNHKラジオ「お姉さんといっしょ」で1人12役を演じ分け「七色の声」と称されていた

そんな中、中村メイコさんは、1953年、19歳の時には、子供向けの童話的な朗読劇であるNHKラジオ「お姉さんといっしょ」に出演しているのですが、1人で12役を演じ分け「七色の声」と称されています。

中村メイコが20代の時は「田舎のバス」がヒットするほか「メイコのごめんあそばせ」で司会

20歳の時に2枚目のシングル「田舎のバス」がヒットを記録

中村メイコさんは、1955年、20歳の時には、歌手デビューも果たすと、同年には、2枚目のシングル「田舎のバス」がヒットします。

ちなみに、この「田舎のバス」は、名古屋のエレベーターガールをヒントに中村メイコさんが発案したものだったそうです。

田舎のバス

25歳の時にトーク番組「メイコのごめんあそばせ」で司会進行役を担当

中村メイコさんは、1959年、25歳の時には、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が開局すると、開局と同時にスタートした、トーク番組「メイコのごめんあそばせ」で、9年間、司会進行役を担当しているのですが、

この「メイコのごめんあそばせ」には、芸能人だけではなく、元総理大臣の吉田茂さんが出演したこともあったといいます。

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中村メイコの30代~89歳(死去)

以降、中村メイコさんは、テレビドラマ、映画、バラエティ番組など、幅広く活動しているのですが、2013年、79歳の時には、まだ元気なうちに自分のものを片付けようと、断捨離を始めたそうで、

ついには、2014年、80歳の時には、30年間暮らした一軒家まで手放し、広さ3分の1ほどのマンションに引っ越ししたそうです。

そんな中村メイコさんは、2016年には、芸歴80年を迎え、2023年には名誉都民にも選ばれたのですが・・・

3か月後の12月31日午後10時45分、肺塞栓症のため、89歳で東京都内の病院で他界されています。

お読みいただきありがとうございました

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