1954年、映画「君死に給うことなかれ」の主演に抜擢されて女優デビューすると、その後は、清楚な良家の子女という、素のキャラクターを活かした役どころで人気を博し、東宝の看板女優として活躍した、司葉子(つかさ ようこ)さん。
今回は、そんな司葉子さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を、生い立ちから時系列でまとめてみました。
司葉子のプロフィール
司葉子さんは、1934年8月20日生まれ、
鳥取県西伯郡渡村(現・鳥取県境港市渡町)の出身、
身長160センチ、
血液型はAB型、
学歴は、
西伯郡渡村立国民学校
⇒渡中学校
⇒鳥取県立境高等学校
⇒共立女子短期大学家政科卒業
趣味は、
料理、畑仕事、
ちなみに、実家は、因幡三郷士のひとつに数えられた名家だそうです。
司葉子は6歳の時に父親が他界していた
司葉子さんは、地元の大地主で生糸問屋(石炭販売業とも)を営むお父さんの繁二郎さんとお母さんのもと、3人姉妹の末っ子として誕生するのですが、
6歳の時にお父さんが他界し、その後は、お母さんに女手一つで育てられたそうです。
司葉子は20歳の時に短大卒業後は大阪の「新日本放送」に入社していた
そんな司葉子さんは、1953年、共立女子短期大学に進学し、翌年1954年3月、20歳の時に卒業すると、大阪の「新日本放送」(現在の毎日放送)に入社したそうです。
司葉子は20歳の時に映画「君死に給うことなかれ」の主演に抜擢されていた
その後、司葉子さんは、総務課で専務秘書の仕事をしていたそうですが、そのかたわら、短期大学在学中より利用していた「ハリウッドビューティサロン」で、オーナーで美容家のメイ牛山さんに雑誌のモデルを頼まれ、「家庭よみうり」の表紙を飾ると、
その表紙を見た東宝の映画監督の丸山誠治さんにスカウトされて映画「君死に給うことなかれ」の主演に抜擢されたそうです。
(病気で降板した有馬稲子さんの代役だったそうです)
ちなみに、プロデューサーと当時の大スターで相手役の池部良さんが2人で司葉子さんの自宅までスカウトに来たそうで、司葉子さんは、この映画1本だけという約束で出演を承諾したのだそうです。
近年は、相田翔子さんの姑(しゅうとめ)として、しばしば名前の上がる、司葉子(つかさ ようこ)さんですが、今回はそんな司さんの生い立ちや女優デビューした経緯などをご紹介します。 Sponsored Link 年齢は?身長は …
「君死に給うことなかれ」より。池部良さんと司葉子さん。
司葉子が21歳の時は沢村栄治投手の伝記映画「不滅の熱球」に出演
こうして、司葉子さんは、1954年、20歳の時、「君死に給うことなかれ」で映画デビューすると、当初の約束通り、映画出演はこれ1本きりで、女優を続けるつもりはなかったそうですが・・・
沢村栄治投手の伝記映画「不滅の熱球」のシナリオを勧められて読むと、思いのほかおもしろく、出演を承諾したそうです。
「不滅の熱球」より。司葉子さんと池部良さん。
司葉子が20代の頃は東宝の看板女優として活躍していた
そんな司葉子さんは、以降も、
- 1955年(21歳)「雪の炎」
- 1956年(22歳)「花嫁会議」
- 1957年(23歳)「忘却の花びら」
- 1958年(24歳)「愛情の都」
など、立て続けに映画に出演するようになると、
清楚な良家の子女という、素のキャラクターを活かした役を多く演じ、あれよあれよと、東宝の看板女優に上り詰めたのでした。
司葉子は25歳の時に「愛妻記」でフランキー堺の妻役
また、司葉子さんは、1959年、25歳の時には、久松静児監督「愛妻記」の主人公の貧乏小説家(フランキー堺さん)の妻役で、貧乏を笑い飛ばすような野性味あふれる明るい女性を演じています。
「愛妻記」より。フランキー堺さんと司葉子さん。
司葉子は26歳の時に「青い野獣」で仲代達矢とベッドシーン
そして、司葉子さんは、1960年、26歳の時には、堀川弘通監督「青い野獣」の財界有力者(千田是也さん)の令嬢役で、仲代達矢さんとのベッドシーンを演じ、清純派女優から大人の女性へのイメージチェンジに成功しています。
「青い野獣」より。司葉子さんと仲代達矢さん。
司葉子は26歳の時に小津安二郎監督の映画「秋日和」に出演
これらの演技が認められ、司葉子さんは、1960年、26歳の時には、松竹の小津安二郎監督に招かれて映画「秋日和」に出演すると、その透明感あふれる演技と存在感が高く評価されているのですが、実は、司葉子さんは、この頃、女優をやめようかと悩んでいたといいます。
「新日本放送」(現在の毎日放送)で秘書をしていた時、行きつけの美容院に頼まれて雑誌の表紙のモデルを務めると、その表紙を見た東宝の映画監督の丸山誠治さんに見初められて、プロデューサーと相手役の池部良さんにスカウトされ、19 …
「秋日和」より。
ちなみに、小津安二郎監督は、緻密な演出が特徴で、俳優が演じる時には、自らお手本を示したことから、俳優は、ただ、指示された通りに演じるだけで良かったそうです。
また、小津安二郎監督は、いつも真っ白な帽子を被り、着物にも詳しく、とてもオシャレで、そのうえ、やさしく、素敵な男性だったそうです。
女優を辞めようかと悩んでいた折、小津安二郎監督に誘われ、「秋日和」に出演すると、その透明感あふれる演技と存在感が高く評価された、司葉子(つかさ ようこ)さんですが、今回は、司さんが語る小津監督のエピソードをご紹介します。 …
司葉子は27歳の時に黒澤明監督作品「用心棒」に出演
司葉子さんは、1961年、27歳の時には、黒澤明監督作品「用心棒」に出演しているのですが、黒澤明監督は、小津安二郎監督とは違い、非常に厳しかったそうで、
特に、主演の三船敏郎さんに対しては、本当に鬼のような演技指導をしていたそうです。
また、司葉子さんも、山田五十鈴さんに髪の毛を掴まれて振り回されるシーンがあったそうですが、(黒澤明監督の演技指導により)本当に髪を強くひっぱられ、痛みをこらえていたといいます。
「秋日和」(1960年)、「小早川家の秋」(1961年)と、小津安二郎監督作品に出演すると、小津監督のことを「オシャレでやさしく、本当に素敵な男性」と語っていた、司葉子(つかさ ようこ)さんですが、黒澤明監督はそういうわ …
「用心棒」より。本気で山田五十鈴さんに髪の毛を掴まれていたという司葉子さん。
1954年、「君死に給うことなかれ」で映画デビューすると、清楚な魅力でたちまち人気を博し、東宝の看板女優として活躍した、司葉子(つかさ ようこ)さん。今回は、そんな司さんの出演作品を画像を交えてご紹介します。 「司葉子は …
司葉子さんは、その後も、女優として活動しているのですが、1969年、35歳の時には、大蔵官僚(当時)だった相澤英之さんと結婚すると、仕事をセーブして、相澤英之さんの選挙活動をサポートしていたそうです。
1960~1961年には、小津安二郎監督、黒澤明監督などの巨匠の作品に次々と出演すると、1966年には、映画「紀ノ川」で数々の映画賞を総なめにし、演技派女優としての地位を確立した、司葉子(つかさ ようこ)さんですが、プラ …
大蔵官僚だった相澤英之さんと知り合うと、大蔵官僚というお堅いイメージとは違って、映画やお芝居の話で盛り上がり、出会って半年後、プロポーズされたという、司葉子(つかさ ようこ)さんですが、当初はプロポーズを受けるか迷ってい …
司葉子の現在(90代)は亡き夫・相澤英之の膨大な書籍を整理
その後も、女優としての活動を継続していた司葉子さんですが、2019年(司葉子さん85歳)に夫の相澤英之さんが他界されると、
1969年、35歳の時、当時、大蔵官僚だった相澤英之さん(当時50歳)と結婚すると、1976年、相澤さんが衆議院議員選挙で旧鳥取全県区から立候補した際には、相澤さんの選挙活動をサポートするなど、良好な夫婦仲を築くも、なか …
しばらくは、悲しみに打ちひしがれるも、やがて、少しずつ、立ち直っていくと、相澤英之さんが遺した膨大な書籍を整理し始めたといいます。
とはいえ、断捨離ではなく、欲しがっている人がいたり、資料としての価値があるものなどは、喜んで差し上げたいと思っているそうで、相澤英之さんの持ち物の落ち着き先を見つけ終えるまでは、ギリギリまで努力したいことから、まだまだ、死ねないと思っているとのことでした。
2019年4月4日、50年連れ添った夫・相澤英之さんを亡くすと、その後も、次々と親しい人が亡くなり、ショックから一時は入院していたという、司葉子(つかさ ようこ)さんですが、やがて、回復すると、相澤さんの書庫を整理しよう …
夫・相澤英之さんの膨大な書籍を整理する司葉子さん。
2019年4月、50年連れ添った夫・相澤英之さんを亡くした(享年99歳)、司葉子(つかさ ようこ)さんですが、相澤さんとの間には、実子1人と相澤さんの連れ子2人の、3人のお子さんがいたといいます。今回は、そんな司さんの子 …