1971年、19歳の時、六代目笑福亭松鶴さんに弟子入りし、落語家として活動を始めると、1978年、深夜ラジオ番組「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」への出演をきっかけに人気が急上昇し、1982年には、「突然ガバチョ!」の司会で、一躍、脚光を浴びた、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さん。
そんな鶴瓶さんは、中学生の時、落語「堀の内」に魅了され、教室で落語を始めると、高校2年の時には、落語研究会を立ち上げたそうで、
大学時代には、友人だった清水国明さんと原田伸郎さんのフォークグループ「あのねのね」に参加していたこともあったそうですが、やがて、本格的にプロの落語家を目指して、大学を中退し、六代目笑福亭松鶴さんに弟子入りしたといいます。
今回は、笑福亭鶴瓶さんの、幼少期(生い立ち)から落語家デビューするまでをご紹介します。

笑福亭鶴瓶は小学4年生の時に適当に選んだ馬券で40万円を当てていた
笑福亭鶴瓶さんは、梱包資材店を営む父のもと、5人きょうだいの末っ子として誕生すると、幼い頃は、12歳年上の兄、姉3人、両親、祖母の8人で、3畳・6畳・3畳の4軒長屋に暮らしていたそうですが、
小学4年生の時、登校中、近所の男性から誘われて競馬場に行くと、適当に選んだ馬券が、40万円の大当たりとなったそうで、そのお金で家を増築したそうです。
1972年に落語界に入門して以来、長きに渡って老若男女を問わず高い人気を誇っている、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、実は、少年時代、驚くべき能力を発揮していたといいます。 Sponsored Link 年 …
笑福亭鶴瓶は高校2年生の時に落語研究会を立ち上げ「浪花亭無学」の名で活動していた
鶴瓶さんは、中学生の頃、落語「堀の内」に魅了されたそうで、教室で自己流の高座を披露していたそうですが、
高校ではボクシング部に入部していたといいます。
ただ、先輩の打撃で目を負傷し、ボクシング部は退部したそうで、その後、高校2年の終わり頃、落語研究会を立ち上げると、「浪花亭無学」の名で活動を開始し、教室やお寺で落語を披露したのだそうです。
笑福亭鶴瓶は高校3年生の時に渥美清に弟子入りしようと実際に会いに行っていた
そんな鶴瓶さんは、やがて、落語家を志すようになったそうですが、お父さんに反対されていたことから、高校3年生の時、思いつきで、渥美清さんに弟子入りすると言ってしまい、なんと、実際に、渥美清さんに会いに行ったといいます。
小学4年生の時に、競馬で40万円当てたことがあるという、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、その後、中学、高校と成長する中でも、やはり、人とは違う感性を持っていたようです。 笑福亭鶴瓶は小学生の時40万円の馬 …
笑福亭鶴瓶が京都産業大学を選んだのは入試の際に一目惚れした女の子に再会するためだった
ただ、渥美清さんは不在で会えず、高校卒業後は、大学に進学することにしたそうですが、
大学受験の際には、「過去を捨てたい」と考え、友人が受けない大学ばかりを受験したそうで、合格した大学の中から、京都産業大学に進学したそうです。
ちなみに、鶴瓶さんは、京都産業大学の入試の日に一人の女の子に一目惚れしていたそうで、その女の子に会えるかもしれないという理由で、京都産業大学に進学したのだそうです。
高校時代、ボクシング部に入部するも、練習中、先輩からの打撃で目をケガしてしまったことをきっかけにボクシングを辞めると、その後は、中学時代から興味を持っていた落語にハマっていったという、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ) …
英和大学、京都外国語大学、関西外国語大学、京都産業大学、関西大学を受験し、すべてに合格するも、京都産業大学の入学試験の時、一目惚れした女の子(後に奥さんとなる玲子さん)に再会したい一心で、京都産業大学に進学すると、本当に …
笑福亭鶴瓶は大学時代に清水国明と原田伸郎の2人と仲良くなっていた
さておき、鶴瓶さんは、京都産業大学に進学すると、旅館「三木半」でのアルバイトを通じて、一学年上の清水国明さんと出会い、つるむようになったそうですが、
一方、大学の落語研究会で、同学年の原田伸郎さんとも知り合い、旅館「三木半」のアルバイトを原田伸郎さんに紹介し、清水国明さんと3人で旅館の早朝アルバイトをこなしながら、パチンコ屋で遊ぶなど、自由な学生生活を送ったのだそうです。
入学試験の時に一目惚れした女の子(後の奥さん)に再会したい一心で、数ある合格大学の中から京都産業大学に進学すると、本当にその女の子に再会したという、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、京都産業大学では、後に、 …
笑福亭鶴瓶は大学時代にフォークソンググループ「あのねのね」に加入していたことがあった
そして、やがては、清水国明さんと原田伸郎さんが、フォークソンググループ「あのねのね」を結成したそうで、
鶴瓶さんも、一時、「あのねのね」に加入していたこともあったそうですが、落語家になろうと思っていたこともあり、ほどなくして、「あのねのね」は脱退したそうです。
京都産業大学の学生だった頃は、いつも、清水国明さんと原田伸郎さんとつるんでいたという、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、後に大ブレイクする「あのねのね」にも、当初は参加していたといいます。 「笑福亭鶴瓶は学 …
笑福亭鶴瓶は大学を中退して六代目笑福亭松鶴に弟子入りしていた
その後、鶴瓶さんは、プロの落語家を目指して大学を中退したそうで、1972年2月14日、20歳の時には、六代目笑福亭松鶴さんに弟子入りしたそうですが、
アルバイト先の一学年上の先輩・清水国明さんに半ば強引に、フォークグループ「あのねのね」に加入させられ、踊りを担当していた、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、やがて、本格的に落語家を目指すため、大学を中退し、 …
鶴瓶さんは、入門4日目にもかかわらず、いつも顔パスだった横柄な新聞記者に我慢ならず、注意すると、その新聞記者には、「やめさせてやる」と言われ、六代目笑福亭松鶴さんの楽屋に連れて行かれたそうで、
鶴瓶さんは、破門を覚悟したそうですが、六代目笑福亭松鶴さんが叱りつけたのは、横柄な新聞記者の方だったそうで、鶴瓶さんは、師匠の男気に深く感動したといいます。
何度も断られながらも、晴れて6代目笑福亭松鶴さんに弟子入りした、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、弟子入りして4日目のこと、この先何があっても松鶴さんにずっとついていこうと心に決める出来事があったといいます …
笑福亭鶴瓶は20歳の時に演目「煮売屋」で落語家デビュー
そんな鶴瓶さんは、1972年9月26日、20歳の時には、演目「煮売屋」で初舞台を踏むと、
その後は、古典落語にもかかわらず、自由な発想で様々なアレンジを加えるほか、従来の落語家のルックスとはかけ離れた、アフロヘアやオーバーオールという独自のスタイルを貫いたのでした。
師匠の6代目笑福亭松鶴さんの理解のもと、古典落語にもかかわらず、自由な発想で、様々なアレンジを加えていたという、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、ルックス面でも、アフロヘア&オーバーオールという斬 …
「【画像】笑福亭鶴瓶の若い頃は裸芸に超能力に放送事故も!ブレイクまでの経緯は?」に続く
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深夜ラジオ番組「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」(1978年)のパーソナリティーやテレビ番組「突然ガバチョ!」(1982年)の司会で人気を博すと、1986年には、東京進出も果たし、以降、司会、タレント、俳優ほか、幅広い分野で …











