篠田正浩監督のデビューからの監督映画を画像で!
1960年、「恋の片道切符」で映画監督デビューして以来、「心中天網島」「夜叉ヶ池」「悪霊島」「瀬戸内少年野球団 」「写楽」「梟の城 owl’s castle」「スパイ・ゾルゲ」ほか数多くの名作映画を世に送り続け、2003年に映画・・・
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1960年、「恋の片道切符」で映画監督デビューして以来、「心中天網島」「夜叉ヶ池」「悪霊島」「瀬戸内少年野球団 」「写楽」「梟の城 owl’s castle」「スパイ・ゾルゲ」ほか数多くの名作映画を世に送り続け、2003年に映画・・・
2020年に42年ぶりに4Kデジタルリマスター版で復活した「夜叉ヶ池」ですが、実は、1979年に公開された「夜叉ヶ池」は、当時、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんが、松竹への罪滅ぼしで制作したものだったといいます。
1979年に公開された後は、2020年に42年ぶりに4Kデジタルリマスター版で復活するまで、一度だけテレビ朝日系「ゴールデンワイド劇場」で放送されただけで、ビデオやDVDにもされず、幻の作品と言われてきた、篠田正浩(しのだ まさひろ)さん制・・・
2003年には、映画監督人生の集大成として映画「スパイ・ゾルゲ」を発表し、これを最後に映画監督を引退していた、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんですが、2020年には、「夜叉ヶ池」(1979)が42年ぶりに4Kデジタルリマスター版で復活し、喜・・・
日本映画産業全体が斜陽化してきた1965年、「松竹」を退社してフリーになり、翌年1966年、独立プロダクション「表現社」を設立すると、1969年には映画「心中天網島」を大ヒットさせた、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんは、その後も次々に名作を・・・
映画「乾いた湖」を発表すると大ヒットを記録し、”松竹ヌーベルバーグの騎手”と呼ばれるようになった、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんは、その後も次々と作品を発表するのですが、やがて、日本映画産業自体が斜陽化し、「松竹」・・・
1953年、早稲田大学を卒業後、超難関の「松竹」に助監督として入社するも、陸上部出身ということで、当初は、日数も予算も少ないハードなロケ映画の助監督など、体力の必要な力仕事ばかり命じられていたという、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんですが、・・・
ダメ元で受けた「松竹」の助監督試験で、筆記試験、1次面接と無事通過した、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんは、最終面接も合格し、見事、超難関だった「松竹」の助監督になると、1953年の入社以来、助監督として、様々な監督の下で下働きをしつつ、監・・・
演劇の勉強と陸上競技をするため早稲田大学に進学すると、その2つの相乗効果で、映画監督を志そうと考え始めたという、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんは、大学卒業後は、大学院進学を考えていたそうですが、お母さんが急逝し、就職しなければならなくなっ・・・
早稲田大学では、演劇の勉強をしつつ、競走部(陸上部)で陸上の練習に励んでいたという、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんですが、陸上の練習で焼け野原になった新宿の街を走っていた際、あるインスピレーションを感じたそうで、これが職業として映画監督を・・・
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