木根尚登の小説キャロルがベストセラー!TMではGet Wildが大ヒット!

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突然、「SPEEDWAY」を脱退した小室哲哉さんから誘いをうけた、木根尚登(きね なおと)さんですが、熱心な小室さんの説得に応じ、小室さんと活動をともにするようになると、最終的には、宇都宮隆さんを合わせた3人で結成した「TMネットワーク」が大ブレイク。また、人気絶頂だった1989年には、小室さんの依頼で書かれた小説「CAROL」が、処女作ながら約40万部を売り上げるベストセラーになるなど、文才も発揮されています。




「木根尚登の本名は?少年時代は?宇都宮隆と小室哲哉との出会いは?SPEEDWAY?」からの続き

小室哲哉からの熱心な誘い


突然、「SPEEDWAY」を脱退した小室哲哉さんから、
今度は逆に誘いを受けた木根さんは、

当初は、音楽性が違うことや、
「外国人ヴォーカルを入れて3人で活動する」、
という小室さんの提案が受け入れられず、
断られたのですが、

あまりに熱心に小室さんが誘ってこられ、
ある時、もともと合わなかった音楽性の話になったとき、

どういう音楽がやりたいの?

と、聞いたところ、

悪いけど、もう大所帯はダメだから、
ドラムもベースもギターもいらない。

YMOにボーカルを入れた感じ。

という返事が返ってきたそうで、

木根さんは、すでに小室さんの頭の中に、
当時、斬新なスタイルを打ち出していた「YMO」を、
さらに自分たちなりのオリジナル要素を加えて昇華させる、
というイメージがあることに驚かれたのでした。

ただ、木根さんにとっては、バンドメンバーは昔からの友達で、
10年間も一緒にやってきたことから、いまさらいらないとも言えず、
やるならみんなで一緒にと提案されます。
(小室さんは小室さんで、それを頑なに拒否)

しかし、それでも、小室さんが熱心に誘ってきたことで、
木根さんも、次第に心がほだされていき、

一番いい音楽をやるには、
一番いいミュージシャンを起用しないといけない。

という、小室さんの真意が分かってきたそうで、

どうやって、「一番いいミュージシャン」に頼むの?

と、小室さんに聞かれると、

スタジオミュージシャンに頼めばいい。
その都度、一番うまい人に頼めばいい。

と返ってきたのだとか。

つまり、アーティストが多様化した現在では当たり前となっている、
「差別化」を小室さんは、すでにこの時考えていたのでした。

当時といえば、みな、海外ミュージシャンの、
かっこいいところを盗むだけで精一杯の時代。

そんななかで、自分たちだけの世界を作るという発想は、
木根さんにとっては、驚くべきことだったと同時に魅力的でもあり、
小室さんに誘われるようになって半年くらい経った頃、
ついに、木根さんは、小室さんと一緒にやることに同意されたのでした。

ちなみに、木根さんは、
その当時の小室さんのぶっ飛び具合を、

「これからはコンピュータの時代。ボクの友達にお金持ちがいるから、
そいつに買ってもらおう。」って言うんです。

しかも、実際に買ってくれる友達がいて、
最新鋭のシンセサイザーとかがひととおり揃っちゃう!

当時も驚きましたが、10代のバンドキッズのエピソードとしては、
なかなかブッ飛んでますよね。

小室くんがすごいのは、楽器を買ってくれた友達も、
一緒に音楽をやりたがってたんですけど、そいつに向かって、
「う~ん、このユニットは3人までなんだ♪」
って、入れてあげないんですよ、アイツ(笑)。

と、明かされています。

「TMネットワーク」結成


こうして、木根さんは、小室さんに紹介された、
オーストラリア人ヴォーカリストのマイクさんとともに、
活動を始めるのですが、しばらくすると、マイクさんが、
ビザが切れてオーストラリアに帰ってしまい、

最終的には、「SPEEDWAY」で活動していた宇都宮隆さんを加え、
1983年5月、3人で「TMネットワーク」を結成。

同年8月に受けられた、「フレッシュサウンズコンテスト」
というオーディションで、参加者約3800組の中から、
見事グランプリを獲得すると、


(左から)宇都宮隆さん、木根さん、小室哲哉さん。

翌年の1984年4月には、
1stシングル「金曜日のライオン (Take it to the Lucky)」
1stアルバム「RAINBOW RAINBOW」の同時リリースでデビュー。



そして、その後も、

1985年6月 2ndアルバム「CHILDHOOD’S END」
1986年6月 3rdアルバム「GORILLA」
1987年2月 4thアルバム「Self Control」



と、次々にアルバムをリリースし、「Self Control」の頃には、
ようやく、全国ネットの音楽番組に出演するようになるのですが、
ヒットとはほど遠い状態が続いたのでした。

ちなみに、木根さんは、当時を振り返り、

大半の人には、「こんなゲーム音楽みたいなの、売れないよ」
って言われましたよ。

でも、佐野元春さん・渡辺美里さん・PUFFYとかを手がけた、
EPICソニーのプロデューサーが、「新しい!」って気に入ってくれて。

あとから聞いたんですけど、
1年目の広告宣伝費には数億円くらい使ったらしいです。

バブル全盛期だし、PVのプロデューサーのギャラだけで数千万円とか、
そういう時代でしたけどね。

しかし、お金をかけたからといって、
そんな簡単に売れるわけもなく(笑)。

地方巡業はたくさんやっていたし、
地方のテレビやラジオには出まくってたんですけど、
キー局のテレビにはなかなか出られなくって。

本当は1年目でクビの可能性もあったんですけど、
例のプロデューサーが社長にかけあってくれて、
「じゃあ、あと1年だけ」を3年くらい繰り返しました(笑)。

ですが、いい加減それも通用しなくなり……
そしたら、またもやプロデューサーが、
「あと1年やって売れなかったら自分も辞めて責任をとる」
とまで言ってくれて、本当に首の皮一枚でつながりました。

と、明かされています。

「Get Wild」が大ヒット


しかし、そんな切羽詰まった状態の中、
1987年にリリースした10枚目のシングル「Get Wild」が、

TVアニメ「シティーハンター」の、
エンディングテーマに起用されると大ヒットを記録。


Get Wild

以降、「TMネットワーク」は、

1987年11月 5thアルバム「humansystem」
1988年12月 6thアルバム「CAROL~A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991~」



とアルバムをリリースすると、順調にヒットを飛ばし、
安定した人気を誇るようになったのでした。


小説「CAROL」がベストセラー


ところで、木根さんは、
「TMネットワーク」として活動される一方で、

人気絶頂だった1989年、
処女作「CAROL(キャロル)」を出版されています。


CAROL(キャロル) (角川文庫)

木根さんによると、ある日突然、
小室さんから小説を書くように依頼され、

小室さんが考えた主人公のキャロルという、
女の子のイメージだけを頼りに執筆されたそうですが、

小説を執筆されていた当時、
木根さんが、車を買う小室さんに付きあっていると、

小室さんから、

『キャロル』出るでしょ?絶対売れるから。

と言われて、木根さんにも車を買うことを、
説得されたそうで、

木根さんは、小室さんの言ったとおり、
事務所から借金をして、高級車を買われると、

その後、出版した「CAROL(キャロル)」が、
小室さんの予言どおり、40万部を売り上げるベストセラーとなり、
車の借金は、印税で一括返済できたのだとか。

ちなみに、木根さんは、1990年にも、
小室さんがロンドン滞在中に飼っていた愛犬「ユンカース」
をモデルに描いた小説「ユンカース・カム・ヒア」
を出版されるなど、文才を発揮されています。


ユンカース・カム・ヒア (角川文庫)

「TMN」にリニューアル~「プロジェクト終了」


さて、「Get Wild」のヒット以降、
武道館ライブ、NHK紅白歌合戦出場と、
順調に活動を重ねてきた「TMネットワーク」は、
1990年には、バンド名を「TMN」と改名し路線を変更。

ハードロック、ハウスミュージック、フォークソングなど、
様々な音楽性を取り入れられるのですが、

1994年、「すべてをやりつくした」と、
「プロジェクト終了」を宣言し活動を終了。

そして、木根さんは、
ソロ活動を始めることとなったのでした。

「木根尚登はギターを弾けない?エアギターは嘘?結婚は?娘は?息子は?」続く



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