1960年代前半に前衛芸術家として活動すると、1969年には「ビートルズ」のジョン・レノンさんと結婚し、その後は、ジョン・レノンさんと共に、平和活動、音楽活動、創作活動を行っていた、オノ・ヨーコさん。

今回は、そんなオノ・ヨーコさんの若い頃から現在までの経歴を時系列でまとめてみました。

オノ・ヨーコ

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オノ・ヨーコが20代の頃は一柳慧と結婚&離婚するほか自殺を図り精神病院に入れられていた

23歳の時にジュリアード音楽院の学生・一柳慧と結婚し前衛芸術家としての活動をスタートさせていた

オノ・ヨーコさんは、1956年、23歳の時、ニューヨークのジュリアード音楽院の学生だった、一柳慧(いちやなぎ とし)さんと知り合うと、両親の猛反対を押し切って、サラ・ローレンス大学を中退し、一柳慧さんと駆け落ち同然に結婚したそうです。

そして、結婚後は、マンハッタンのアパートで新婚生活を送りながら、一柳慧さんが展開する「実験音楽」や、一柳慧さんを通じて知り合った、実験音楽家・ジョン・ケージさんに強く影響を受けると、

自らも、前衛芸術家としての活動をスタートさせ、「踏まれるための絵画」(Painting To Be Stepped On)を発表するほか、カーネギー・ホールで前衛音楽「avant-garde music」のパフォーマンスを披露するなど、オノ・ヨーコさんは、新鋭の女性アーティストとして、ニューヨークで徐々に注目を集めるようになっていったそうです。


27歳の時に夫の一柳慧が単身帰国

しかし、一柳慧さんとの新婚生活は、経済的に困窮し、オノヨーコさんは、レストランでウェイトレスとして働くほか、日本協会で習字を教えたり、民謡について講義するなど、家計のために働き、

一柳慧さんもまた、カクテルバーでピアノを弾くアルバイトをしていたそうですが、生活は楽にならず、やがて、一柳慧さんは、日本での再出発を望むようになり、オノ・ヨーコさんを置いて、単身帰国したそうです。

29歳の時に帰国するも自殺を図り精神病院に入れられていた

そして、オノ・ヨーコさんも、1962年、29歳の時には、日本に帰国するのですが、その後、自殺を図り、東京の精神病院に入れられてしまったといいます。

オノ・ヨーコが30代の頃は「ビートルズ」のジョン・レノンと出会い再婚していた

30歳の時にアメリカのジャズミュージシャンで映像作家のアンソニー・コックスと再婚し娘を出産

しかし、そんな中、アメリカのジャズミュージシャンで映像作家のアンソニー・コックス(Anthony Cox)さんという男性が、オノ・ヨーコさんの作品を観て感銘を受け、オノさんに憧れて日本まで追いかけてくると、

精神病院に入れられて孤独な日々を送るオノ・ヨーコさんのもとに、毎日、花束を持って面会を申し込んでくれたそうで、

やがて、オノ・ヨーコさんは、アンソニー・コックスさんの励ましで、精神病院を退院することができると、二人は交際に発展し、オノ・ヨーコさんは妊娠。

これをきっかけに、オノ・ヨーコさんは、別居中だった夫・一柳慧さんと離婚し、1963年6月6日、30歳の時には、アンソニー・コックスさんと再婚し、同年8月には、娘を出産したのだそうです。

オノ・ヨーコと2番目の夫のアンソニー・コックスと娘
(左から)オノ・ヨーコさん、娘のキョーコさん、2番目の夫のアンソニー・コックスさん。

31歳の時にパフォーマンス「カット・ピース(Cut Piece)」、言葉による作品集「グレープフルーツ(Grapefruit)」を発表

そんな中、オノ・ヨーコさんは、芸術家として精力的に活動しており、1964年、31歳の時には、観客にオノ・ヨーコさんの服をハサミで切り取らせる、「カット・ピース(Cut Piece)」というパフォーマンスや、言葉による作品集「グレープフルーツ(Grapefruit)」(1964)などの作品を発表しています。

(ただ、日本では、まだ、前衛芸術という概念がなかったため、作品は認められず、オノ・ヨーコさんは辛い日々を過ごしていたそうです)

オノ・ヨーコの「カットピース」
オノ・ヨーコさんのパフォーマンス「カットピース」

33歳の時に「ビートルズ」のジョン・レノンと出会う

その後、オノ・ヨーコさんは、アーティストとしての活動拠点をロンドンに移すと、1966年11月9日、36歳の時、個展「未完成の絵画とオブジェ(Unfinished Paintings and Objects)」の開催に先立ち、インディカ・ギャラリーでプレビュー・ショー(内覧会)を開くのですが、そこで、「ビートルズ」のジョン・レノンさんと出会います。

すると、オノ・ヨーコさんは、ほどなくして、ジョン・レノンさんと交際に発展するのですが、ジョン・レノンさんにも妻子がおり、お互い、ダブル不倫の中、不倫現場を、ジョン・レノンさんの妻・シンシアさんに目撃されたこともあったといいます。

(ジョン・レノンさんはシンシアさんと1968年に離婚が成立しています)

36歳の時に2人目の夫・アンソニー・コックスと離婚

そんな中、オノ・ヨーコさんは、1969年2月2日に、2人目の夫のアンソニー・コックスさんと離婚すると、娘のキョーコさんの親権を取ろうと法廷闘争するのですが、キョーコさんに拒絶され、完全に連絡を絶たれてしまったといいます。

36歳の時にジョン・レノンと結婚

それでも、お互いの離婚が成立したオノ・ヨーコさんとジョン・レノンさんは、晴れて結婚しようとなったそうですが、ビザの関係で、なかなか結婚できる国がなかったそうで、1969年3月20日、ジブラルタルで結婚することができたのだそうです。

オノ・ヨーコとジョン・レノンが結婚

36歳の時に「ベッド・イン」という平和のためのパフォーマンスをしていた

ちなみに、オノ・ヨーコさんとジョン・レノンさんが結婚したのは、ベトナム戦争真っ只中で、世界中でベトナム戦争に反対する声が高まりつつあった時期だったことから、

2人はハネムーンを利用して、「ベッドイン」という平和のためのパフォーマンスをしています。

「ベッド・イン」

37歳の時に「ビートルズを解散させた」として激しいバッシングに遭っていた

また、オノ・ヨーコさんは、1970年、37歳の時に、「ビートルズ」が解散した際には、「ビートルズを解散させた」元凶として激しいバッシングに遭っているのですが、

実際、ポール・マッカートニーさんは、「ビートルズ」のメンバーがオノ・ヨーコさんの存在にウンザリしていたことを明かしています。

「ビートルズ」のレコーディングに割り込むオノ・ヨーコ
「ビートルズ」のレコーディングの間、オノ・ヨーコさんはアンプの上に座っていたといいます。

(ジョン・レノンさんにとってオノ・ヨーコさんは、幼い頃に他界した母親のような存在で、オノ・ヨーコさんにベタ惚れだったそうです)

38歳の時に夫のジョン・レノンがソロでリリースした「imagine(イマジン)」は共作だった

そんな中、1971年には、夫のジョン・レノンさんが、ソロで「imagine(イマジン)」をリリースするのですが、実は、「imagine(イマジン)」の歌詞はオノヨーコさんの作品集「グレープフルーツ」から拝借したものだったそうで、本当は共作だったといいます。

オノ・ヨーコとジョン・レノン

オノ・ヨーコが40代の時には夫・ジョン・レノンが銃撃により殺害されていた

さんざんバッシングに遭う中、オノ・ヨーコさんは、1975年、42歳の時には、ジョン・レノンさんとの間に、待望の男の子、ショーンさんを出産するなど、順調な家庭生活を送っていたのですが・・・

1980年12月8日、47歳の時には、オノ・ヨーコさんのすぐ近くで、夫のジョン・レノンさんが銃撃されるという悲劇に見舞われています。



オノ・ヨーコ
ジョン・レノンさんの死去を伝える日本のメディア。

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オノ・ヨーコの40代後半(ジョン・レノン死去後)~90代(現在)

83歳の時には脳卒中で倒れて病院に搬送されていた?

ジョン・レノンさん死去後も、オノ・ヨーコさんは、創作活動、音楽活動、平和活動を続けていたのですが、2016年、83歳の時には、倒れて病院に搬送され、「脳卒中」と報じられています。

ただ、息子のショーン・レノンさんはこの報道を否定しています。

とはいえ、オノ・ヨーコさんの関係者は、オノ・ヨーコさんが車椅子での生活を余儀なくされるほど健康状態が悪化していることを明かしており、実際、この頃に、やつれ果てた様子や車椅子に乗るオノ・ヨーコさんの姿が目撃されています。

オノ・ヨーコ

84歳の時にはDLB(レビー小体型認知症)の症状が出ていることを弟の小野啓輔に発表されていた

そして、2017年5月には、オノ・ヨーコさんの弟・小野啓輔さんが、「週刊新潮」の取材に対し、オノ・ヨーコさんが前年の2016年5月頃、「DLB(レビー小体型認知症)」と診断され、2017年2月には、「DLB」の症状が出ていたことを明かしています。

夫のジョン・レノンはアメリカ政府に殺害されたと発言していた

そんな中、ジョン・レノンさんが銃撃されてから、40年もの年月が流れた2020年(87歳)、ジョン・レノンさん殺害の罪で服役中のマーク・チャップマンは、オノ・ヨーコさんに謝罪の言葉を口にしているのですが、

オノ・ヨーコさんはというと、

ジョンはアメリカ政府に殺害されたのではないか

と、語っています。

実際、オノ・ヨーコさんとジョン・レノンさんは、FBI(連邦捜査局)に厳しく監視され、尾行や電話の盗聴もされていたそうで、ジョン・レノンさんは殺害される直前、親しい友人に、

自分は殺されるかもしれない

と、話していたといいます。

90歳の時には50年間住んだダコタビルからフランクリン近郊に移住していた

オノ・ヨーコさんは、2023年、90歳の時には、50年間住んだニューヨークのダコタビルを離れ、1978年に夫のジョン・レノンさんと購入したニューヨーク州フランクリン近郊の600エーカーの広大な農場に移り住んでいます。

(オノ・ヨーコさんは、ここで、ジョン・レノンさんと結婚生活を送っていたそうで、ジョン・レノンさんとの結婚生活や、100頭のホルスタイン牛との思い出がたくさん詰まっているのだそうです)

オノ・ヨーコの自宅
オノ・ヨーコさんの現在の自宅。

オノ・ヨーコさんは、体調の問題から、ここ数年、公の場から遠ざかっているのですが、2023年2月18日、90歳の誕生日を迎えたオノ・ヨーコさんは、その後、息子のショーン・レノンさんと恋人のシャーロットさんを含む親しい友人や家族を招待して、パーティを開いたそうで、

ゲストの1人であるオノ・ヨーコさんの長年の友人で広報担当のエリオット・ミンツさんは、

午後を通して行われたランチイベントでたくさんの「歌と笑い」があり、午後9時ごろに終了した

と、自身のインスタグラスで明かしています。

オノ・ヨーコの自宅の内部
オノ・ヨーコさんの自宅の内部。

また、オノ・ヨーコさんの別の関係者は、オノ・ヨーコさんについて、

本当に元気で、とても良く見える

と、語っているのですが、

1960年代からオノ・ヨーコさんが精力的に行っていた、公的行事への出席や活動家キャンペーンなどはもうしていないとのことでした。

お読みいただきありがとうございました

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