「ココナツ・バンク(ごまのはえ)」解散後は、ソロ活動のほか、アレンジャー、プロデューサーとしても活躍し、佐野元春さん、沢田研二さん、アン・ルイスさん、ウルフルズほか、数々のアーティストをプロデュースし、「笑っていいとも」のテーマ曲「ウキウキWATCHING」の作曲も手掛けた、伊藤銀次(いとう ぎんじ)さん。
今回は、そんな伊藤銀次さんの、若い頃(「ココナツ・バンク」解散以降)から現在までの、プロデュース&アレンジ作品や経歴を時系列でまとめてみました。
「伊藤銀次のデビューはごまのはえ(ココナツバンク)!大瀧詠一に師事していた!」からの続き
伊藤銀次は25歳の時に「シュガー・ベイブ」の「ダウン・タウン」を作詞(山下達郎作曲)
大瀧詠一さんの「ナイアガラ・レーベル」第一弾としてデビューする予定で、1973年9月21日、「はっぴいえんど」の解散コンサートで、バンド「ココナツ・バンク」としてお披露目されるも、
その翌日にメンバーが次々と去って解散することになり、一人残った伊藤銀次さんは、山下達郎さんに誘われ、山下達郎さんのバンド「シュガー・ベイブ」に加入したそうです。
そして、伊藤銀次さんは、1975年4月25日にリリースされた「シュガー・ベイブ」のアルバム「SONGS」の収録曲に作詞も提供しているのですが、同日、その中の1曲「ダウン・タウン」(作曲は山下達郎さん)がシングルカットされています。
「ダウン・タウン」
伊藤銀次は25歳の時に大瀧詠一、山下達郎と共に「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」を発表
また、伊藤銀次さんは、1976年3月25日(25歳)には、大瀧詠一さん、山下達郎さんと共に、アルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」をリリースしています。
(左から)山下達郎さん、大瀧詠一さん、伊藤銀次さん。
伊藤銀次は26歳の時にアルバム「DEADLY DRIVE」でシンガーソングライターとしてもデビュー
そして、伊藤銀次さんは、1977年5月25日(26歳)には、自身のアルバム「DEADLY DRIVE」で、シンガーソングライターとしてもデビューしています。
伊藤銀次は28歳頃からアレンジャーとして「バイバイ・セッション・バンド」や「松原みき&カステラムーン」を手掛けていた
そんな伊藤銀次さんは、1979年(28歳)頃からは、アレンジャーの仕事も手掛けるようになり、「バイバイ・セッション・バンド」や「松原みき&カステラムーン」などを担当しています。
伊藤銀次は29歳の時に佐野元春のデビュー・アルバム「Back to The Street」にギタリスト兼プロデュースで参加
そして、1979年には、佐野元春さんと運命的な出会いを果たすと、佐野元春さんのデビュー・アルバム「Back to The Street」(1980年4月21日)に、ギタリスト兼プロデュースで参加しているのですが、
伊藤銀次さんは、初めて佐野元春さんに出会った時、メガネをかけてバディ・ホリーを唄う佐野元春さんのロッカーぶりに、イスから転げ落ちそうになるくらいの衝撃を受けたそうで、デビュー当時の佐野元春さんを、
10年に1人の逸材
佐野元春は僕らの夢だ
などと絶賛しています。
その後も、伊藤銀次さんは、
- 「Heartbeat」(1981年2月25日発売)
- 「SOMEDAY」(1981年6月25日発売)
と、佐野元春さんのアルバムを手掛けると、
1980年代前半には、佐野元春さんのバンド「佐野元春&WITH THE HEARTLAND」にギタリストとしても参加し、佐野元春さんの活動を支えたのでした。
伊藤銀次が31歳の時にリリースしたソロアルバム「Baby Blue」の「そして誰のせいでもない」「恋のソルジャー」は佐野元春が提供していた
ちなみに、伊藤銀次さんは、1982年4月25日(31歳)には、2枚目のソロアルバム「Baby Blue」をリリースしているのですが、
このアルバムでは、逆に、佐野元春さんが、「そして誰のせいでもない」を作曲、「恋のソルジャー」を作詞・作曲しているほか、両方の曲でコーラスとしても参加しています。
伊藤銀次は29歳の時に沢田研二のアルバム「G.S. I LOVE YOU」をプロデュース
その後、伊藤銀次さんは、1980年(29歳)には、沢田研二さんのアルバム「G.S. I LOVE YOU」(1980年12月23日リリース)でプロデュースを務めているのですが、
このことがきっかけとなり、以降、沢田研二さんのシングル「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」(1981年9月21日発売)や復活した「ザ・タイガース」のシングル「色つきの女でいてくれよ」(1982年2月5日発売)などでアレンジを担当しています。
「タイガース」の「色つきの女でいてくれよ」
伊藤銀次は31歳、33歳の時にアン・ルイスのシングル「ラ・セゾン」「六本木心中」のアレンジを手掛けていた
さらに、伊藤銀次さんは、アン・ルイスさんのシングル、「ラ・セゾン」(1982年6月5日リリース)、「六本木心中」(1984年10月5日リリース)などでもアレンジを手掛けています。
アン・ルイスさんの「六本木心中」
伊藤銀次は31歳の時に「笑っていいとも!」のオープニング曲「ウキウキ WATCHING」を提供していた
そして、伊藤銀次さんは、1982年、31歳の時には、お昼の番組「笑っていいとも!」の、(いいとも青年隊による)オープニング曲「ウキウキ WATCHING」も提供しており、
タモリさんが四か国語麻雀とか“イグアナ”をやっていた頃でね。そのタモリさんがオープニングでいいとも青年隊の3人をバックに踊りながら歌う歌を書いてくれ、と。
小学校の頃に好きだった『シャボン玉ホリデー』の『明日があるさ』みたいな感じはどうでしょうって提案したら、プロデューサーの横澤彪さんが乗ってきた。20分ぐらいで作りました。
テレビ主題歌などは通常、手数料払いなんですが、いいとも青年隊がレコードを出してくれて、著作権が発生してラッキーでした
と、語っています。
ちなみに、今でも、この「ウキウキ WATCHING」を自身のライブで演奏すると、観客が盛り上がるそうで、
「笑っていいとも!」放送終了後、一時期、演奏をやめていたところ、ファンの人から、
いいともの曲が聞きたかった
との要望が多く、復活させたのだそうです。
「ウキウキ WATCHING」((左から)野々村真さん、久保田篤さん、羽賀研二さん)
伊藤銀次は44歳、45歳の時にウルフルズの「ガッツだぜ!!」「バンザイ ~好きでよかった~」をプロデュース
また、伊藤銀次さんは、ウルフルズのシングル、「ガッツだぜ!!」(1995年12月6日リリース)、「バンザイ~好きでよかった~」(1996年2月7日リリース)などもプロデュースし、どちらも大ヒットさせています。
ウルフルズの「ガッツだぜ!!」
実は、伊藤銀次さんは、ウルフルズと出会った頃、この仕事に限界を感じていたそうで、
いいアレンジをしても、出来上がりを聴いてがっかりすることもあった時期に、ウルフルズを見に行った。すぐに、レコーディングだけじゃなく、根本的にアプローチして全部やりたいとレコード会社にお願いしたんです
と、語っているのですが、
伊藤銀次さんは、トータス松本さんの作る曲に魅力を感じていたそうで、それをどう料理し、最もインパクトのある曲にするかを考えて提案すると、トータス松本さんからはどんどんアイディアが出てきたそうで、
結果、ウルフルズのプロデュースを「100点」と自賛するぐらいの出来栄えとなったのだそうです。
ちなみに、ウルフルズのメンバーによると、伊藤銀次さんは、”銀次ヨットスクール”と呼ぶほどの厳しさだったそうですが、
伊藤銀次さんは、
OKをなかなか出さなかったんです。意地悪しているわけじゃなく、ちょっとやればどんどんトータス君から良いものが出てくるので諦めたくないと
と、語っています。
伊藤銀次は38歳~39歳の時には「イカすバンド天国」の審査員を務めていた
また、伊藤銀次さんは、1989年2月~1990年3月には、バンド・ブームを牽引した音楽番組「イカすバンド天国」の審査員も務めており、お茶の間にも知られるようになっています。
「イカすバンド天国」より。吉田建さん(左)と伊藤銀次さん(右)。
伊藤銀次は52歳~66歳の時にはソロでの全国ツアーほか、弾き語りライヴ「I STAND ALONE」も開催
そんな伊藤銀次さんは、1990年代には、ウルフルズのほかにも、「ザ・コレクターズ」「七尾旅人」などの作品を手掛けているのですが、
その後は、
- 2003年(51歳)には、「ココナツ・バンク」の再結成とミニアルバムをリリース
- 2007年(56歳)には、ソロでの全国ツアーを展開
- 2007年(56歳)には、杉真理さんらと「マイルドヘヴン」や、「L⇔R」の黒沢秀樹さんと「uncle-jam」など新バンドを結成
- 2009年(58歳)には、弾き語りライヴ「I STAND ALONE」を全国35か所で展開
- 2012年(61歳)には、デビュー40周年を迎えベスト・アルバム 「伊藤銀次 GOLDEN☆BEST~40th Anniversary Edition~」をリリース
- 2017年(66歳)には、「ココナツ・バンク」の初のフルアルバム「THE COMPLETE COCONUT BANK」をリリース
など、精力的に活動しています。
伊藤銀次は現在(70代)も「伊藤銀次のWINTER WONDER MEETING」などバンド活動を継続中
伊藤銀次さんは、12月24日が誕生日ということで、クリスマスイブにちなみ、毎年恒例の「伊藤銀次のWINTER WONDER MEETING」を開催しているのですが、
74歳となる2024年12月25日にも、東京・吉祥寺のライブハウス「吉祥寺STAR PINE’S CAFE」で、「伊藤銀次のWINTER WONDER MEETING」を開催しており、現在も現役でバンド活動を続けています。
「伊藤銀次と佐野元春の出会いは?伝説のライブ「東松山の奇蹟」とは?」に続く
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