山本富士子はTVドラマ「明治の女」で女優復帰していた!

1963年2月、「大映」からフリー宣言をすると、記者会見では円満退社を強調するも、実際には、「大映」の永田雅一社長により、映画界・演劇界から完全に干されてしまったという、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、その後、テレビドラマ「明治の・・・

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山本富士子は昔「大映」永田社長により芸能界から干されていた!

「大映」との10年契約更新の事前交渉で、果たされていなかった「年間2本の他社出演を認める」という約束の実行を強く迫るも、機嫌を損ねた永田雅一社長から、今度は「他社出演を一切認めない」旨の強い条件で迫られ、「大映」と決裂し、フリー宣言した、山・・・

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山本富士子が若い頃は「大映」と決裂し「フリー宣言」していた!

もともと「3年経って一人前になったら自由契約」だった約束が、「五社協定」が出来たことで、うやむやになって、「年間2本の他社出演を認める」に変えられるも、この約束さえ果たされず、毎年1本しか出演させてもらえず、不満を抱えていたという、山本富士・・・

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山本富士子は「五社協定」のなか他社映画に毎年1本出演していた!

1958年、小津安二郎監督作品「彼岸花」に出演したことで、女優として大きく飛躍した、山本富士子(やまもと ふじこ)さんは、その後も、美貌と演技力を兼ね備えた「大映」の看板女優として活躍するのですが、1963年にフリー宣言をすると、映画界から・・・

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山本富士子が語る小津安二郎監督への想いとは?

「大映」の看板女優でありながら、一度だけ、「松竹」の小津安二郎監督作品に出演したという、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、その作品(「彼岸花」)の撮影で過ごした小津監督との時間は、忘れられない思い出となっているそうです。

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山本富士子は昔小津安二郎監督から余計な動きをしないよう指導されていた!

1958年には、小津安二郎監督作品「彼岸花」でコミカルな役を演じ、新境地を開拓した、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、この作品では、小津監督から、余計な動きをしないことや自然体で演じることを学んだといいます。

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山本富士子が若い頃は小津安二郎監督の「彼岸花」にも出演していた!

1956年、吉村公三郎監督作品「夜の河」で、自立した京都の女性を清々しく演じて、スターに駆け上がると、以降、「大映」の看板女優として活躍した、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、1958年には、「松竹」の小津安二郎監督作品「彼岸花」に・・・

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山本富士子が若い頃は「夜の河」で大ブレイクしていた!

1950年、「第1回ミス日本」で「ミス日本」に輝くと、映画会社各社からスカウトが殺到し、「大映」に入社するも、その後、しばらくは、なかなか人気が出なかったという、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、1955年、映画「湯島の白梅」で衣笠・・・

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山本富士子は「ミス日本」で映画デビューも当初は人気はいまいちだった!

高校時代には、クラスメイトから「胸の痛くなるような美人」と称されるほか、美人過ぎるという理由から日本銀行の就職試験に不合格になっていたという、山本富士子(やまもと ふじこ)さんは、1950年には、「第1回ミス日本」で「ミス日本」に輝くと、そ・・・

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山本富士子の生い立ちは?高校時代から美人で有名だった!

1953年、「大映」に入社し、同年「花の講道館」で映画デビューすると、以降、「大映」の看板女優として活躍し、1963年、フリーとなってからは、舞台を中心に活動を続けている、山本富士子(やまもと ふじこ)さん。今回は、そんな山本さんの生い立ち・・・

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